昔日への思慕



17







 食事を終えた海藤が綾辻を伴って出掛けると、部屋に残された真琴は不安そうな目でじっとドアの向こうを見つめ続けた。
(・・・・・俺だけじっとここにいて・・・・・いいのかな)
何をすることも出来ないのに、じっと待っていることも怖い。海藤に何かあって欲しくないのに、もしも何かあるのならば自分が身
を持って防ぎたいと思う。
多分、怖くて身体が動くことも出来ないだろうが。
 「真琴さん」
 そんな真琴の気持ちを感じ取っているのか、倉橋が苦笑を浮かべながら言った。
 「そんなに心配なさらないように」
 「・・・・・」
 「多分、今日中には決着が着くでしょう。社長の父上の容態も安心出来るようですし、早々に向こうに帰ることになると思い
ますが、東京に戻る前に屋台に行きませんか?」
 「屋台?」
 「綾辻ならきっと美味しい店を知っていると思いますし。真琴さんは行ったことありますか?」
 「え?いえ、屋台は無いです」
 「とんこつラーメンは本場だし、美味しい店はきっとたくさんありますよ」
それが真琴の気分を上向きにする倉橋の気遣いだというのはよく分かった。
その倉橋の心遣いに感謝し、真琴もその言葉にのった。
 「何だか海藤さんや倉橋さんが屋台でラーメン食べてる姿、全然想像出来ないです」
 「そうですか?」
 2人が顔を見合わせて笑い合った時、いきなり倉橋の携帯が鳴った。
まだ、海藤達が出てから20分も経っていないので、さすがに何かがあったとは思えないが、それでも真琴は緊張して倉橋の電
話の様子を伺った。
 「はい・・・・・え?」
 珍しく倉橋が焦ったような声を出し、一瞬真琴を振り返った。
(な、何?)
 「・・・・・分かった。いや、ロビーではなく、部屋に。それと、もう1人だれか応援を頼む」
携帯を切った倉橋に、真琴は直ぐに聞き返した。
 「2人に何かっ?」
 「・・・・・いえ、どちらかというとこちらの問題ですね?」
 「え?」
 「下に、宇佐見さんが来られたようです」
 「えっ?」



 海藤も綾辻もいないこの場では、倉橋が最高責任者ということになる。
全ての采配は任されていると言っていいが、その倉橋にしても宇佐見の登場は予想外の出来事だった。
(・・・・・このまま帰せば不審がられる)
 頑なに拒否をしてしまえば、かえって宇佐見は何かあったのではと勘繰ってしまうだろう。
それならば、仲間に引きずり込んだ方がいい。
真琴に対して何らかの感情を持っているらしい宇佐見には、真琴の顔を見せるだけでも違ってくるはずだ。
(すみません、会長・・・・・)



 来客を告げるインターホンが鳴り、倉橋がドアまで迎えに行く。
その開閉音と人の気配に、真琴も立ち上がって背筋を伸ばした。
(宇佐見さん、まだこっちにいたんだ)
 真琴としては、宇佐見はもう東京に戻ったものだと思っていた。
父親の容態も思った以上に心配が要らないと分かったはずなのに、宇佐見がまだここに残っている理由は何なのか・・・・・考え
ても分からない。
ただ、漠然とだが、宇佐見は自分にとって敵にはならない・・・・・そう思っていた。
 「どうぞ、こちらに」
 倉橋に続くように入ってきた宇佐見は、そのまま真琴の前まで歩み寄ると、いきなりその全身を鋭い目で見つめた。
 「あ、あの?」
 「・・・・・」
 「宇佐見・・・・・さん?」
 「怪我は無いようだな」
そう、一言だけ言った宇佐見の鋭い視線は、やっと幾分柔らかいものになった。
 「病院の中で何かあったらしいという報告を受けて・・・・・まさかと思ったんだが、どうしても直接確かめたかった」
 「・・・・・」
 「直ぐに来たかったんだが、どうしても断われない老人共との面会があったんだ」
 あの出来事を言っていいのかどうか分からない真琴は、困ったように倉橋を振り返る。
軽く頷いた倉橋は、そのままさりげなく真琴と宇佐見の間に身体を滑り込ませた。
 「ご心配をお掛けしたようですが、たいしたことは何も無かったのですよ」
 「・・・・・あいつは」
 「社長は所要がありまして」
 「彼を置いて?信じられないな」
 これまでの海藤の言動からすれば、こんな危険な状況で真琴だけを置いていくことは考えられなかった。
たとえ倉橋が優秀だとしても、いざという時の判断力は綾辻の方が上で、武道の心得もあるはず・・・・・そう考えたのかどうか、
宇佐見はいきなり倉橋の腕を掴んだ。
 「・・・・・っ」
 突然の衝撃に、さすがにポーカーフェイスが保てなかった倉橋が、痛んだ傷の為に僅かに眉を顰めてしまう。
それを見逃すことが無かった宇佐見は、きつい視線を倉橋に向けたまま言った。
 「何があった?」
 「何をおっしゃってるのです?」
 「お前が傷を受けるくらいだ。・・・・・突発的な襲撃か?」
 「・・・・・」
 「銃か?刃物か?」
 「・・・・・お答え出来ませんね」
 「宇佐見さんっ、手、離してください!」
 「言え」



 威圧的なオーラを纏った宇佐見は、倉橋が内心驚くほど海藤に似ているところがあった。
ヤクザの世界と、警察の世界と、どちらも組織の中でかなりの地位まで上り詰めている2人。
全く生活環境が違うのに、2人はどこか同じ匂いを持っている感じがする。
(彼らは根本が同じなのか・・・・・)
 「倉橋」
 「どういう立場で聞いてらっしゃいますか?警察組織の1人としてですか?それとも、海藤会長と血が繋がっている人間として
ですか?それとも・・・・・」
 「どうしても断われない面会は受けたが、今、俺は休暇を貰ってここにいる」
 「・・・・・」
 「病院に付けている人間も、俺が個人的に雇った人間だ」
 「・・・・・」
 「今、俺は宇佐見貴継個人として聞いてる」
 「どうして、そこまで?」
言うか言わないか、倉橋は探るように聞く。
一瞬口をつぐんだ宇佐見は、ふと真琴に視線を向けて・・・・・倉橋が思ったよりもきっぱりと言い切った。
 「彼が心配だからだ」
 「・・・・・え?」
真っ直ぐな視線を向けられ、真琴は途惑ったように聞き返してしまった。
 「俺を、ですか?」
 「ああ。あいつのことや、あいつの組のことは一切関係ない。俺にとって一番気になっているのは、西原真琴、お前だ」