昔日への思慕



21







 「・・・・・真琴?」
 不意に、腕の中の体が重くなって、海藤はその顔を覗き込もうとし・・・・・。
 「・・・・・」
(眠ったか)
 かなり緊張していたのか、海藤が無事帰ってきてくれたことにホッとした真琴は、まるで海藤の存在を確かめるようにしがみ付
いたまま眠ってしまった。
自分の胸の中で静かな寝息をたてる真琴を愛おしそうに見つめた海藤は、そっとその身体を抱き上げる。
 「こちらに」
倉橋が襖を開けると、そこには既に床が用意されていた。
 「服はどうされます?」
 「このままでいいだろう。下手に着替えさせて起こすと可哀想だ」
 「はい」
 海藤の言葉を聞いて、倉橋は静かに部屋を出て行く。
海藤はそのまま真琴をそこに寝かせ、襟元のシャツのボタンを2つほど外し、ジーンズのボタンも外して楽にしてやった。
そして、もう一度滑らかな真琴のその頬に、そっと指を触れさせた。
(心配させたな)
自分の身内の事でこんな遠い地まで連れて来て、怖い思いもさせてしまった。
多分、面と向かっての謝罪は真琴は拒否するだろうと分かっているので、こんなふうに眠っている時に言うしかなかった。
連れてくるのではなかったかとも思ったが、真琴がいたからこそ両親共に真っ直ぐ目を向けて話すことが出来たのだと思う。
 「・・・・・」
海藤は軽く真琴の唇にキスを落とすと、静かに部屋から出て行った。



 客間に戻ると、タイミングよく倉橋が熱いお茶を差し出してくれる。
もうかなり遅い時間だというのに、倉橋も綾辻も全く疲れた様子は見せず、2人は海藤に向かって頭を下げながらしっかりとし
た口調で言った。
 「「お疲れ様でした」」
それに軽く頷いた海藤は一口お茶に口を付けると、視線を綾辻に向けて言った。
 「今回は手間を掛けさせたな」
この世界では、あまり上の者が下の者に頭を下げるということはしない。1つの会を率いている海藤もそうだが、彼は出来るだけ
言葉にするようにはしていた。
 「いえ、今回は私も含むところがありましたし」
 「・・・・・」
 改まった話の席では、綾辻も通常の男の言葉になる。
その切り替えを一体どうやってスムーズにしているのか、倉橋は一度綾辻の頭の中を開いて見てみたいと思っていた。
 「三和会の加茂さんには明日連絡をしよう」
 「波多野にはもう連絡しました。破門は無しになったと伝えた時はあからさまにホッとしていましたが、シマの幾つかの物件を没
収と言ったら青くなっていましたよ」
 「組長の暴走を止められなかった責任は取っていただかないと」
 「克己は厳し〜」
 クスクス笑う綾辻を軽く睨み、倉橋は海藤に言った。
 「御前にはどう報告を?」
 「そのままだ。別に隠すこともないだろう」
末端とはいえ、三和会の組織の人間が大東組という大看板に喧嘩を吹っかけたのだ。海藤の父、貴之が怪我を負ったという
事実もあり、何もなかったというわけにはいかないだろう。
三和会が何らかの示談を・・・・・それは多分金になるだろうが・・・・・大東組に見せることになるはずだ。
 「全く、あんな雑魚一匹、もっと早く始末していれば良かったのに」
 「同感です。頭が悪いくせにプライドだけは高い。始末に負えませんね」
 2人の言葉は辛辣だが、海藤も同じ思いなので苦笑を浮かべる。
下の人間を育てるはずの人間がああでは、いずれ郷洲組は潰れるだけだ。
 「明日、一度病院に顔を出してから帰ろうと思っている」
 「あ、社長、私、真琴さんに言ったんですが・・・・・」
 「ん?」
 「福岡は屋台が有名なので、社長に言って連れて行ってもらいましょうと」
 「お、いいじゃん!」
真琴に対して勝手に言った事に申し訳なさそうに言う倉橋とは反対に、綾辻は直ぐに賛成の声を上げた。
 「社長、行きましょう。マコちゃんもきっと喜びますよ」
 「社長」
 「・・・・・そうだな。何も土産がなく帰すのは可哀想か」
やっと全てが解決出来たのだ。真琴も笑ってこの地を去ることが出来るだろう。



 「・・・・・ん・・・・・」
 「おはよう」
 重い瞼を無理矢理開こうと努力した真琴は、優しいキスを受けてゆっくりと目を開いた。
 「あ・・・・・」
 「ん?」
優しく笑いながら自分を見つめているのは海藤で、真琴は自然とほにゃっとした笑みを浮かべた。
 「おはよーございます」
(何時もカッコいいなあ・・・・・あ?)
ぼんやりとした視界に映る天井が何時も見るマンションとは違うのにやっと気付いた真琴は、今自分がどこにいるのかようやく気
付いてパッと掛け布団を押しのけて起き上がった。
 「か、海藤さん!」
 「ん?」
 真琴の慌てようが可笑しかったのか、海藤は口元を緩めて聞き返してくる。
 「あ、あの、俺、昨日・・・・・」
 「疲れたんだろう。もう少し寝かせてやりたかったんだが、このままだと昼になってしまいそうだからな」
 「えっ?」
慌てて部屋の時計を見上げると、既に時間は午前10時半を過ぎていた。
(お、俺、あの後1人で寝ちゃったんだ〜っ)
昨夜は海藤が帰ってくるまでは少しも眠気を感じていなかったのに、顔を見た途端にプッツリ意識が途切れてしまったのだろう。
もっと色々と話そうと思ったのにと後悔しながら、真琴は布団の上に正座をして海藤を見上げた。
 「ごめんなさい、俺、寝ちゃって・・・・・」
 「よく眠れたか?」
 「う、・・・・・はい」
(恥ずかしい・・・・・っ)



 洋服を着たまま寝ていたので、服はすっかりクシャクシャになっている。
髪の毛もピンピンと跳ねていて、まるで子供のような寝癖に海藤は笑みを抑えることが出来なかった。
 「・・・・・海藤さん?」
 笑っている自分を不思議そうに見上げる真琴の髪を撫で、海藤はピンと跳ねている髪を軽く引っ張った。
 「跳ねてる」
 「!」
バッと海藤から未を引いた真琴は、一瞬のうちに真っ赤になった。
そして、急いで立ち上がって部屋を出て行く。多分、洗面所に向かったのだろう。
 「・・・・・可愛いかったのに」
海藤は苦笑しながら呟くと、そのまま自分も真琴の後を追った。