昔日への思慕



22







 病室で出迎えたのは貴之と淑恵の2人だった。
1日・・・・・と、言うよりは、時間毎位に良くなっているようで、今目の前にいる貴之の顔色は初めて顔を見た時よりは格段に良
かった。
それにつれて目の力というのも強く戻っており、病室に入った途端に鋭い視線を向けられた真琴は思わず海藤のコートを掴んで
しまった。
 「手打ちになったと聞いたが」
 「・・・・・誰にお聞きになりました?」
 「御前から連絡を頂いた」
 「そうですか」
 既に菱沼から大体のことは聞いたのだろう。
しかし、貴之の口からは『ありがとう』とも『ご苦労だった』という言葉も聞かれず、さも当たり前だというような表情を向けられた。
貴之にとっては今回の事はそれ程たいしたことではなかったのかもしれない。いや、死ぬことなど全く恐れてはいないだろうが、そ
れが菱沼の為にならない、ただの犬死になることだけは避けたかったのだろう。
 「朝一番に、あれが来た」
 「・・・・・」
(宇佐見が来たのか・・・・・)
 「サツの犬にしては上等な部類だ。お前も足をすくわれない様にな」
 「はい」
淑恵の前で宇佐見の話をするのは珍しい貴之に海藤は探るような視線を向けるが、自分以上に無表情の父の気持ちは表
面だけでは分かることはなかった。
 海藤は直ぐに意識を切り替え、淡々と帰京の挨拶をした。
 「明日、帰ります」
 「御前を頼むぞ」
 「はい」
昔から菱沼を第一にする貴之のことは海藤も承知していたので、何かを感じるという事もなく頷く。
 「・・・・・では」
海藤は頭を下げ、そのまま真琴の肩を抱いて病室を出ようとしたが・・・・・。
 「あ、あのっ」
真琴が海藤の手をすり抜け、貴之のベットの前に立った。
 「真琴?」



 はるばる九州までやって来たというのに、このまま別れるのは余りに淋しいと思った真琴は、どうしても我慢出来ずに貴之の前
に立った。
海藤の面影が濃い(本来は、子供が親に似るのだろうが、真琴にとっては海藤の方が主なのでこういう思いになるが)貴之の目
は鋭く冷たい。
それでも、初対面の時のように怖いとは思わなかった。
(海藤さんのお父さんなんだから・・・・・)
 「元気になったら、お2人で東京に遊びに来てください」
 「・・・・・」
 「俺、たくさんいいとこ案内します。お酒は・・・・・ちょっと、付き合うことは出来ないけど、甘い物とか、あ、辛い物とかは全然大
丈夫ですから!」
 このまま帰れば、多分海藤は滅多なことでは両親に連絡を取ることはないだろう。もしかしたら、これきりという事もあるかもしれ
ない。
だったら・・・・・海藤が動かない、動けないなら、自分が動けばいいと思った。真琴が動けば、傍にいる海藤も自然と動けるはず
だ。無理矢理かも知れないが、それは十分に理由になるだろう。
 「お母さんも、ぜひ一緒に」
 「・・・・・」
 淑恵は途惑ったように真琴を見ている。
それは嫌がっているというわけではなく、本当に不思議だと思っているようだ。
 「真琴」
 「お父さん」
 「真琴、もういい」
 「・・・・・」
 返事をしようとしない貴之を、真琴はしばらくじっと見つめていた。
しかし、なかなか口を開こうとしない貴之に、真琴が傷付く前にと海藤がその身体を再び抱き寄せた。
 「それでは、失礼します」
 「・・・・・失礼、します」
(・・・・・駄目なのかな・・・・・)
生きているのに、同じ日本にいるというのに、ほんの少しでも心を通わせることは出来ないのだろうか・・・・・真琴は溜め息をつき、
海藤と共に病室を出ようとした。
その時、
 「・・・・・私は、甘いものは食わない」
 「・・・・・っ」
 真琴はパッと振り返った。
今の声が誰のものか、直ぐに分かったからだ。
 「お父さんっ」
 「私は食わないが、彼女は好きだろう」
 「貴之さん・・・・・」
 「お母さん、それ本当ですか?」
 「・・・・・ええ、そうよ」
 「じゃ、じゃあ、絶対、絶対来てくださいねっ?俺、東京で一番美味しいお店、探しておきますから!」
 「・・・・楽しみにしてるわ」
淑恵は少し恥ずかしそうに微笑んで言った。



 「勝手に約束しちゃったけど、その時は海藤さんも一緒にいてくださいよ?俺1人じゃ、やっぱりお父さんは怖いから」
 エレベーターに乗り込むと同時に言った真琴に、海藤は苦笑しながら頷いた。
 「分かった」
まさか、あそこで父があんな風に言うとは思わなかった。
海藤自身、幼い頃はほとんど会話をした覚えは無かったし、この世界に入ってからも話といえば菱沼や組のことしか言わない父
だった。
ほんの一言だったにせよ、食べ物の好みを口にするなど、普段の貴之を知っている人間ならば信じられないことだろう。
(・・・・・あの人も、年を取ったのか・・・・・)
 多分、今回のことで、父は死というものを強烈に意識したのだろう。
若い頃と同様、恐れるということは無いのだろうが、少しは人の思いというものを気遣うようになったのかもしれない。
いや、もしかしたら、真琴のパワーに押されただけかもしれないが。
 「このまま空港に行くんですか?」
 「いや、もう一泊しよう」
 「え?」
 「今日は中州に出るからな。屋台、楽しみなんだろう?」
 「ホントにっ?」
 「綾辻がいい店に連れて行ってくれるそうだ。楽しみにしてろ」
 「うわ!凄い!倉橋さん、屋台に行くって!凄いですね!」
 何が凄いのかは分からないまま興奮したように言う真琴に、倉橋も笑みを浮かべたまま頷く。
 「綾辻さんにお勧め聞いてみないと!」
エレベーターが開いた瞬間に飛び出した真琴は、早く早くと海藤と倉橋を急かせる。
それに笑いながらついて行こうとした海藤は、ふと足を止めて振り返った。
(次は何時か分からないが・・・・・)
出来れば、1日でも長生きして欲しい・・・・・今は素直にそう思える。
愛する人間を手に入れた今なら分かる両親への思いに、海藤は少しだけ素直になれたような気がしていた。