昔日への思慕
6
病室の中は未明に来た時と少しも変わらなかった。
白い壁に豪奢な装備。
ベットの上にはたくさんのチューブをつけられた・・・・・。
「あ・・・・・」
つい数時間前まで酸素マスクを付けられ眠っていたはずのベットの主が、じっとこちらの方を向いていた。
(似てる・・・・・)
30半ばで父親になった貴之は、歳からいえばもう70に近いだろうがその鋭い眼光に衰えは無く、声にも張りがあって、それなり
の歳には見えるがとても老人とは言えない容姿だった。
「・・・・・来たのか。向こうは?」
「綾辻に任せてあります」
「綾辻・・・・・あいつか。それなら心配は無いな」
綾辻のことを知っているのか貴之はそう呟いた後、今度は海藤の隣に立っている真琴に視線を向けてきた。
白いものが目立つ髪だがそれは綺麗に整えられていて、上品なロマンスグレーといった雰囲気だ。その面影から若い頃の美貌
が偲ばれ、さぞモテたのだろうということは想像出来る。
そして、その面影は海藤によく似ていた。
海藤もこんな歳の取り方をするのだろうかと思うと、真琴はしばらく言葉も無いまま視線を逸らすことが出来なかった。
「そちらは?」
そんな真琴をじっと見たまま貴之が聞く。
真琴が答える前に、海藤が淡々と応えた。
「西原真琴。私の連れです」
それがどういう意味なのか、貴之は直ぐに分かったらしい。
鋭い視線をますますきつくし、海藤を見据えて詰問口調で言った。
「・・・・・御前は」
「紹介しました。許しも頂いてます」
「・・・・・そうか。それなら私が言うことは何も無い」
本当にそれだけで済んでしまったのか、貴之の視線は真琴と海藤から外れてしまった。
あまりにも呆気なく、淋しい気がして、真琴は思わず口を開いた。
「あ、あのっ、お父さんっ」
真琴は緊張しながらも貴之に向かって深々と頭を下げた。
「西原真琴です。海藤さんと、あの、一緒に暮らしてます。怪我をされたって聞いて、海藤さん心配して・・・・・」
「真琴」
「昨夜東京を発ってここまで来ました」
手術が終わったばかりで身体が本調子ではないのは分かるが、真琴はもっと別の言葉を海藤に投げて欲しかった。
来たのはこちらの勝手かもしれないが、あれ程・・・・・顔色を無くすほど心配した海藤に対して、もっと親子らしい、もう少しだけ
優しい言葉が欲しかった。
(相変わらずだな、この人も・・・・・)
妻よりも子供よりも、父親が何を一番大切に思っているのかは海藤はよく分かっていた。
自分と真琴の関係を知って直ぐに菱沼の名前を出したのは、開成会の次代の跡継ぎのことを心配したからだろうということは
容易に想像がつく。
何もかも組が一番・・・・・それが極道として生きた父親の全てなのだろう。
母親と結婚したのさえ、菱沼の口添えがあったからこそだ。
組に全てを捧げた父と、盲目的に父を愛し続ける母。海藤にとって両親は、親というよりも歪な生き方しか出来なかった2人
の男女としか思えなかった。
(俺も・・・・・)
そんな2人の間に生まれた自分も、どこか人間として欠落していたと思う。だが・・・・・。
海藤はそっと真琴の肩に手を置いた。
「海藤さん・・・・・」
泣きそうな目で自分を見上げる真琴を見つめていると、海藤の心は不思議なほど穏やかに温かくなる。
真琴を手にして、初めて人間になれたと思った。
「お疲れでしょうが・・・・・」
海藤は自分でも驚くほど自然に、後ろに立っていた宇佐見を振り返った。
「もう1人、あなたを心配した人間が来ていますよ」
「・・・・・」
海藤の言葉に貴之の視線が動き、宇佐見の顔を見た瞬間僅かに驚いたように目を見開いた。
「・・・・・どこで知った?」
海藤に対するのと同じように、素直に来てくれた礼を言わずに詰問する貴之。もちろん、宇佐見が警察側の人間と知っての言
葉だろう。
「・・・・・あなたに付けていた部下から連絡が入りました」
「私はマークされているのか?」
「いえ、それはありません。あなたが組織から既に引退しているのは周知のことです。ただ、俺は・・・・・」
自分以上に複雑な立場の宇佐見は、それ以上言葉にすることは無かった。
貴之と宇佐見の視線の間に淑恵が割って入ったからだ。
「ごめんなさい、貴之さん疲れているだろうから」
「・・・・・いえ」
「お見舞いのお礼は後日改めて」
「いえ、お気遣い無く」
普段の少女のような口調とは打って変わり、淑恵は宇佐見に対して固く強い態度を崩さなかった。
自分の夫に良く似た面差し・・・・・それは、明らかな夫の不実を思い知らされる現実なのだろう。
これ程長い間その感情を持ち続ける母親には呆れるが、今更何を言っても変わることはないと分かっていた。
「あの、多分、まだ落ち着かれてないと思いますよ?」
宇佐見が病室を出るのと一緒に出た真琴と海藤は、そのままエレベーターホールまで一緒に歩く形になってしまった。
追い出されたといってもいい形の宇佐見に何と言ったらいいのか分からず、それでも無言のままなのは堪えられなくて、真琴は小
さな声で言ってみた。
しかし、その言葉が全く何の根拠も無いというのは分かっている。
(あ〜、何て言ったらいいんだろ・・・・・)
落ち着き無く視線を泳がす真琴に、宇佐見は平静な声音で言った。
「予想出来た事だ。何とも思っていない」
「でも・・・・・」
「それより、君がここまで来ていることの方が意外だった」
「え?」
「こんな誰が相手かも分からない不安定な地に、自分の大切な人間を連れてくるなんてな」
その言葉は真琴ではなく、明らかに海藤に向けられたものだ。
それは誤解だと、真琴は慌てて言った。
「俺が海藤さんに無理言って付いて来ちゃったんですよ!海藤さんは、本当はそんなつもりじゃなくて・・・・・っ」
「・・・・・いや、確かにそいつの言う通りだ」
「海藤さん!」
仲の良い兄弟ではないだろう。いや、元々お互い兄弟とは思っていないのかも知れない。
それでもなんだか淋しい気がして、真琴は慌てて海藤の服の裾を引っ張った。
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