昔日への思慕
8
倉橋が一同を案内したのは、病院から車で30分ほど走った先にある寿司屋だった。
一見して古い、小さな店だ。
暖簾も出ていないその店のドアを開けると、倉橋はカウンターの向こうにいる初老の男に丁寧に頭を下げた。
「無理を言って申し訳ありません」
「いや・・・・・わしも菱沼さんには世話になった」
既に倉橋の手配は万端のようで、店内には他に客の姿はない。
「・・・・・」
どうやら菱沼関係の店だということが分かった海藤も、軽く会釈をして奥の座敷に入った。
そこは8畳ほどの和室で、男5人が座るには問題のない広さだ。
「メニューはお任せにしてありますので」
そう言うが早いか、先程一行を出迎えた男が自ら料理を運んでくる。
寿司に汁物に茶碗蒸しなど、素朴ながらも一目で素材の新鮮さが分かるほどだった。
その途中で宇佐見も合流する。
「ごゆっくり」
支度を終えると、男は直ぐに部屋から出て行った。
「では、食べながら話を進めますが?」
「ああ、頼む」
無駄なことが嫌いな海藤は、直ぐに手を合わせてから箸を持つと早速料理に手をつけた。
それを見終えた他の人間も箸を取って食事を始めると、綾辻が唐突に切り出した。
「『一条会』の高橋を覚えていますか?」
その名前に、海藤だけでなく宇佐見も顔を上げた。
海藤はそのまま宇佐見に視線を向ける。
「生きてるのか」
「・・・・・現行法じゃ死刑までくわせられない」
「お役所仕事だな、警察は」
「そいつがホシか」
それは海藤ではなく、宇佐見から洩れた質問だった。
綾辻は海藤に視線を走らせ、その首が縦に振られたことを確認してから続けた。
「郷洲(ごうしゅう)組という、九州では両手の指に入るかどうか位の組なんですが、そこの組長が高橋の腹違いの兄弟のよう
です。最も、仲が良いというわけではないらしく、上に這い上がろうとして潰れた高橋の面目を取り戻そうとしてるわけでもないよ
うですが・・・・・多分、売名じゃないでしょうか」
「・・・・・」
(そんな事情があったとはな・・・・・)
数ヶ月前の、忌々しい出来事。
実質的な被害こそなかったが、確かあの事件が切っ掛けで、今間の前にいる宇佐見と必要以上の縁が出来てしまったのだ。
「東京での協力者は?」
「大物はいないようです。今勢いのあるうちに牙を剥いて、名を上げたいってとこでしょう」
「・・・・・そんなことで、海藤さんのお父さん・・・・・撃たれちゃったんですか?」
真琴が呆然とした口調で言葉を挟んだ。
真琴にとっても、あれは海藤と付き合う上での初めての大きな事件だっただろう。
元はレーサーだった弘中は、今はヤクザの運転手になり、妹で高橋の愛人だったアンナは関東から追放された。
2人に同情的だった真琴には、あの事件の首謀者である高橋の名は忘れることは出来なかったはずだった。
「・・・・・酷い・・・・・」
呟く真琴の肩にそっと手を置きながら、海藤は宇佐見に視線を向けた。
「お前はどうする?」
「・・・・・」
「俺の方で始末をつけてもいいのか」
「か、海藤さんっ」
宇佐見が警察の人間であるかないかなど関係ない。
同じ海藤貴之の血を受けたものとして聞いた。
その海藤の言葉を受けた宇佐見は、少し考えるように目を眇めた後ゆっくりと口を開く。
「証拠は」
「一条会の残党と郷洲との盗聴テープ」
こんな短期間でどうしてそこまでの証拠を集められたのか・・・・・見掛けとはまるで違う綾辻の優秀さに、さすがの宇佐見も一
瞬言葉を失ったようだった。
「・・・・・非合法か」
「私達の世界はどれが合法でどれが非合法か境目が曖昧なの。今回のことをどう捉えるかはそちら次第ね」
綾辻はにっこりと宇佐見に笑い掛けた。
その綺麗な、しかし掴みどころの無い綾辻の笑み。
海藤でさえ、綾辻の情報網を全て把握は出来ないし、時折御するのも苦労する。
味方で良かったと、つくづく思わせる男の1人だ。
「・・・・・分かった」
心中でどう解決したのか、宇佐見はただその一言だけを言った。
海藤もそれ以上追及するつもりは無かったので、流れはそのまま昼食にへと移った。
「真琴、他にも食べたいネタがあったらどんどん言え」
「う、うん」
多分、心境的には食事どころではないだろうが、真琴はせっかくだからとふっくらした卵焼きを口にした。
「・・・・・おいし」
「そうか?」
「お出汁が効いてて、ほんのり甘くて、わぁ〜、これ、すごいっ」
凄い、凄いと言いながらたちまち自分の分の卵焼きを完食した真琴の皿に、海藤は自分の分を乗せてやった。
「い、いいですよ?海藤さんも食べてください」
「いいから。お前の方が美味く食えるだろう」
「・・・・・ありがとう」
本当に口に合ったようで、真琴は素直に海藤の与えた分も食べてしまった。
幸せそうなその顔を見ると、ついさっきまでの物騒な話など頭の中から消えていくような感じさえしてしまう。
すると・・・・・。
「俺のも食べろ」
「あ」
宇佐見が自分の分の卵焼きを真琴の皿に乗せた。
海藤は当然面白くなく、真琴も途惑ったように宇佐見を見た。
「宇佐見さん、あ、あの」
「甘いと言っただろう?」
「え?」
「俺は甘いものは嫌いなんだ。残すと店に悪いし、君が食べてくれたら助かる」
「・・・・・ありがとうございます」
自然で無理の無い理由に、真琴は3切れ目の卵焼きを口にし始める。
「・・・・・」
海藤は無言のまま宇佐見に視線を向ける。その宇佐見の視線は、誤魔化すことなく真琴へと向けられていた。
(どういうつもりだ・・・・・)
同じ人間を好きになるのは、同じ血が身体に流れているせいなのか・・・・・、海藤は因縁のようなものを感じて微かに唇を歪め
た。
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