千三つ せんみつ











 上司である海藤の恋人に言い寄ってきた男。
それが、今中国でもかなり勢力を増大している香港伍合会のロンタウらしいと分かり、綾辻は即刻彼らの本拠地である香港へ
と飛んだ。
 自身の人脈もあったし、必要であれば東條院(とうじょういん)の名前も使い、綾辻は必要な情報を次々と入手していく。
綾辻自身、海藤の恋人である真琴をとても気に入っているので、出来ればそれが相手の一時的な興味であればいいと思ったの
だが、香港で入手した相手のプロフィールで、そんな軽い感情を持つ者ではないということを知らしめられてしまった。

 他人に・・・・・と、いうより、人間にいっさい興味が無く、まるで機械のように自身の組織を拡張していっている男。
欲しいものがあれば、どんなことをしてでも手に入れるが、それに長く執着することのない男。
確固たる地位を築く為に、愛の無い結婚まで平然と執り行おうとしている男。
 一見して、男が本当に真琴が知り合った人物と同一なのかと疑ってしまうほどであったし、仮に同一人物だとしても、とても真
琴に本気で愛情を抱くとは思えなかった。
 だが、一方で、これ程人間に対して興味のない男が、自分の琴線に触れた相手と出会ってしまった時、それはかなり激しい感
情になるのではないかと・・・・・思った。



 そして、東京に戻って直ぐに連絡を取った倉橋から、ロンタウが直接接触を図ってきたことを知らされた。
まさかここまで素早く行動するとは思わなかった綾辻は、帰国早々だが教えられた料亭へと急いで駆けつける。男がどんなに凶悪
な人物なのか散々聞かされてきた綾辻は、とにかく自分の目で倉橋の、もちろん海藤の無事を確かめたかった。
 「帰国早々悪いな」
 「いえ、ただ今戻りました」
 出迎えた海藤の声は、思っていたよりも落ち着いていた。
その様子に内心安堵した綾辻は、そのまま視線を倉橋に向ける。普段から色白の倉橋の顔色はあまりいいものには見えなかっ
たが、それでも外見的な怪我などは無い様子に綾辻は安堵した。

 海藤に伝えた香港での情報は、彼にとっても意外だと思うことも多かったらしい。
口を挟まずに最後まで聞くと、海藤は綾辻を労ってくれ、3人はそのまま遅い夕食を取った。
そして・・・・・。
 「今日は遅くまですまなかった。このまま帰るといい」
 香港から帰国したばかりの綾辻と、今日は緊張し続けたらしい倉橋に、海藤はそう言ってその場での解散を告げる。
責任感の強い倉橋は初めはそれを拒否したが、海藤の強い進めと自分の強引な説得に折れ、そのまま店の前で海藤を見送
ることに渋々同意した。



 「どっちに行く?」
 「え?」
 海藤の乗った車を見送った後、綾辻は倉橋にそう訊ねたが、倉橋は全く意味が分かっていないような表情を向けてくる。
仮にも恋人に近い存在が海外から・・・・・それも、敵の本拠地から戻ってきたというのに、このままさよならということはないだろうと
思うのだが。
 「克己のとこ?」
 「綾辻さん、何を・・・・・」
 「それとも、私のマンションに来る?」
 「・・・・・」
 そこまで言って、倉橋はようやく今自分が誰といるのかを自覚したらしい。
綾辻に向ける眼差しが慌てて逸らされるのがおかしかった。
 「克己」
 「・・・・・あなたもお疲れでしょう。今日はゆっくり休んだ方が・・・・・」
 「克己を抱きしめた方がよく眠れそうなんだけど」
 「・・・・・」
 「バ〜カ、冗談よ」
幾ら倉橋を欲しいと思っても、こんな真っ白な顔色の彼をそのまま組み敷くつもりは無い。
綾辻にとってはもちろんセックスは大切なコミュニケーション手段だが、無理矢理という状況付きでするものではなかった。
 「手、繋いで寝ない?」
 「・・・・・」
 「私のマンションでいいわね?」
 「・・・・・すみません」
 今だ倉橋のマンションに泊まることは無いが、それを拒絶されているからと思うほどに子供でもない。
臆病な倉橋の歩みに合わせるのも楽しいものだ。
 「じゃあ、帰りましょう。明日も早いんだから」
 「・・・・・はい」
 とにかく、今日倉橋が精神的に疲れたのは確かだろう。綾辻はまだ本人に直接会ったことはないが、噂を半分にしたとしても、ロ
ンタウの毒気にあてられた倉橋は相当に疲弊しているはずだ。
今日はただ、倉橋が少しでも眠れるようにしてやりたい。そんな欲望に勝る思いに、綾辻はその肩を抱き寄せた。



 留守にしていたのは数日だというのに、部屋の中は寒々としていた。
綾辻は直ぐに暖房を入れると、そのまま倉橋をリビングへと誘った。
 「食事はあれで足りた?」
 料亭ではほとんど箸が進まなかった倉橋にそう問い掛けるが、とても食欲が無いからと断ってきた。
何時もならばそれでも無理に何かを食べさせるのだが、今日はそれをやってしまったら吐いてしまいそうなほどに倉橋が弱っている
のが分かるので、綾辻は直ぐにそれならとバスルームを使うことを進めた。
 倉橋が頻繁に泊まるということは無いが、倉橋用のパジャマと新しい下着は用意してある。ワイシャツは多少身体が泳ぐかもし
れないが自分のものを着ればいい。
 「あなたが先に・・・・・」
 家主よりも先に風呂を使うのは申し訳ないと思っているようだが、綾辻としては1分でも早く倉橋をベッドで寝かせてやりたかった
ので、少し脅かすように笑って言った。
 「私がシャワーを浴びている間に帰る気?」
 「今更そんなこと・・・・・」
 「じゃあ、克己がシャワーを浴びてる最中、私が乱入すると思ってる?」
それはさすがに想像していなかったのか、倉橋の表情に戸惑いが濃く滲む。
 「・・・・・入ってくるんですか?」
 「まさか。見ているだけで寒そうだから、早く温まって欲しいの。その間、私も荷物の整理をするし、ね?私を安心させてよ」



 渋々といった感じで倉橋がバスルームに消えると、綾辻は手早くベッドメイクをした。潔癖な倉橋には、当然洗いざらしのシーツ
を敷いておかなければ・・・・・そう思うのは綾辻の勝手な思い込みかもしれない。
荷物という荷物は無いので、後はスーツの上着を脱ぎ、ネクタイを解いて首に掛けたままの状態で、グラスに入れたストレートのブ
ランデーを口にしながらパソコンを開いた。
自分はこちらに帰ってきたが、まだ向こうにいる知り合いは香港伍合会の情報を集めてくれているのだ。
 「・・・・・ふ〜ん」
(どんどんキナ臭くなってきたな)
 どうやら、反ロンタウの勢力が、主が不在な時を狙って煩く動き出したようだ。あちらの内輪揉めなど興味は無いが、それで自
分達に火の粉が掛かったら元も子もない。
まだ、・・・・・かもしれないという段階なので、確たる証拠を掴んでから報告する方がいいかもしれない・・・・・綾辻はそう思いなが
らパソコンの電源を切った。



 ゆっくり浸かるように言ったが、倉橋は15分も経たない内にバスルームから出てきた。
綾辻が用意してやっていたパジャマを着て、心許無い表情をしている倉橋は、こんな時だがかなり可愛い。
 「温まった?」
 「はい、お先にすみません」
 「いいのよ、はい」
 綾辻はちょうど用意していた熱い紅茶のカップを差し出した。中には少しだけ自分が飲んだブランデーを垂らしている。酒に弱い
倉橋は、きっとこれで眠れるはずだ。
 「ありがとうございます」
素直に受け取った倉橋だが、少し熱かったのかふーふーと息を吹きかけて冷ましている。
その仕草に目を細めた綾辻は、さてととわざと声を大きくして立ち上がった。
 「私もお風呂に入るわ。ゆっくりしていてね」
 「はい」

 倉橋はバスタブに湯を溜めていてくれた。
その気遣いに感謝して、綾辻は出来るだけゆっくりと風呂に入る。2人でいる時間が少ない方が、倉橋の気分が落ち着くだろうと
思ったからだ。
 そして、30分後。
バスローブ姿の綾辻がリビングに行くと、案の定倉橋はソファに座ったまま眠っていた。
 「克己?」
名前を呼んでも反応は無い。
綾辻はふっと笑みを零すと、そのままその身体を抱き上げた。
 「さすがに男は重いな」
 幾ら華奢だとはいえ、自分とそれ程に背丈の変わらない倉橋はそれなりの重さだ。だが、口で言うほどには苦労も無く寝室まで
運ぶと、先程整えたばかりのベッドに寝かせた。
 「・・・・・」
 酒が入ったせいか、それとも風呂の効果もあったのか、あれ程青白かった倉橋の頬には少し赤みがさしている。
とりあえずは温まったようだなと安堵した綾辻は、そのまま倉橋の掛けていた眼鏡を外し、前髪をかきあげてやった。
 「お疲れさん、頑張ったな」
 「・・・・・」
生真面目な倉橋にとって、今日のロンタウ・・・・・ジュウというらしいが・・・・・との対面はかなり神経を尖らせていたはずだ。
真琴のことももちろんだろうが、海藤に何かあったらいけないと、初めて会う中国マフィアのトップと張るようにその場にいた姿が目に
浮かぶ。
 倉橋は自分のことを真面目で融通が利かず、目立たない存在だとよく言うが、綾辻はそれのどこが悪いのだと思う。
正しく、信念があって、陰で支える存在。海藤がどれだけ倉橋を信用し、頼っているのか、本人は気付いているのだろうか?
 「俺みたいに見掛けだけじゃないのがカッコいいよ」
(それに、可愛いしな)
 綾辻はバスローブを脱いだ。その下は下着だけだが、眠っている倉橋には文句は言われないだろう。朝起きた時の反応を考え
ると楽しいが、それも緊張し続けている倉橋のいい気分転換になるはずだ。
 「おやすみ、克己」
 しばらくは慌しい日々が続くだろうが、今日はもう全て無しにして眠って欲しい。
倉橋の身体を抱きしめながら、綾辻は自分もゆっくりと目を閉じた。