千三つ せんみつ
6
【事務所に弾を打ち込まれました!】
早朝に鳴った携帯の向こうで怒鳴っている組員の声に、それでなくても目覚めの良い綾辻は反射的にベッドから起き上がった。
それが誰の仕業かなど、考えなくても分かっている。
「怪我人は?」
【いません。打ち込まれたのは2階の便所の窓です。あそこは防弾じゃないんで】
「直ぐ行くわ。克己には連絡したの?」
【別の者が。会長には倉橋幹部の方から伝えるとのことです】
「・・・・・分かった」
電話を切った綾辻は急いで着替えるとそのまま部屋を飛び出した。
(まさか、こんな乱暴な手段を取るなんて・・・・・明らかに脅し、か)
割れたガラスの取替えを見つめながら、綾辻は苦々しく舌を打った。
表向きはきちんとした会社形態を取っているものの、その実はヤクザのサイドビジネスといわれても仕方が無い。だからこそ、1階の
ガラス張りのロビーも含めてガラスはほとんど防弾にしていたが、まさかこんな小さなトイレの、それも2階の窓ガラスを割られるとは
思わなかった。
「綾辻幹部」
「何?」
「サツが」
「・・・・・これ、通報されたの?」
「いえ、消音銃だったみたいで、詰めてた組の奴らもガラスが割れる音で駆けつけたくらいだそうです。その音を聞かれたかもしれ
ませんが・・・・・」
「分かったわ」
銃が打ち込まれたと分かったら色々と面倒だ。
開成会は経済ヤクザで、きちんとした表の企業も経営しているが、大東組系列の中でもかなり目立った資金源でもあるという認
識が警察内部ではあるようで、時々、まるで世間話をしに来るような振りで探りを入れてくる者がいる。
そんな警察に今回のようなことが知られてしまったら、痛くない腹を探られかねなかった。
「あらあ〜、緒方さんじゃないの」
「なんだ、幹部のお前がこんな朝っぱらからご出勤か?」
銜え煙草をしてロビーのソファにふんぞり返っていた男を見て、綾辻は内心厄介だなと思った。
口先だけで誤魔化せるまだ若い刑事や、やる気がなく、賄賂で幾らでもこちら側の自由に動く中年の刑事でもない、綾辻でさえ
厄介だと思う男・・・・・緒方竜司(おがた りゅうじ)。本庁の暴力団担当の警部であるこの男は、見掛けこそ自分の方がヤクザ
と見間違えられそうな派手な容貌と服装だが、この世界ではその名を知られているやり手の男だ。
色んな組が金や女で組み込もうとしたらしいが一切受け付けず、この男が去年解散に追い込んだ組は片手以上のはずだ。
世間的には知られていない海藤の異母兄弟、宇佐見貴継(うさみ たかつぐ)も同じ警察組織の人間だが、なまじエリートなの
で(警視庁組織犯罪対策部第三課警視正)現場で顔を合わすことはまず無かった。
「祭りでも始まったか?」
「お祭りにはまだ時期が早いと思うけど?」
「じゃあ、ガラスが割れたような音っていうのは、ババアの気のせいか?」
「今度補聴器でもプレゼントしようかしら?」
「・・・・・」
「・・・・・」
綾辻はじっと見られる視線から少しも目を逸らすことなく、にっこりと明らかに作ったような笑みを浮かべて見せた。
自分よりも年下の相手だが、この男にだけは少しの隙も見せられない。
「・・・・・分かった」
「朝早くから大変ね。コーヒーでも入れましょうか?賄賂にならないくらい安いインスタントコーヒー」
「・・・・・じゃあ、貰うかな。おたくが入れてくれるんだろう?綾辻幹部」
さっさと出て行けという綾辻の裏の声に、真正面から笑みを浮かべて居座ることを告げた緒方。自分が気に食わないと思ってい
るように緒方もそう思っているんだなと、綾辻はふっと苦笑を零してしまった。
ようやく外から朝日が差し込んできた頃。
長い足を組んでいた緒方が紙コップをテーブルの上に置きながら言った。
「最近、外から接触はあるのか?」
「外?」
「アジア・・・・・香港」
「・・・・・いいえ」
どういうつもりでそんな話を切り出したのか分からないので、綾辻はわざと怪訝そうな表情をして見せた。
緒方のことだ、大東組が香港伍合会と接触をしているということは当然知っているだろう。その上で鎌を掛けている・・・・・と、いう
わけではなさそうだ。
(何を知りたがってる?)
綾辻が否定をすると、緒方はふ〜んと生返事をしながら煙草を取り出す。
「じゃあ、昨日からの香港の客のことは知らないってことか?」
「・・・・・香港から?」
「えらく人相の悪い奴らばかりらしいが、空港で引っ掛かるような奴はいなかった」
「・・・・・」
(前科者や手配者はいないっていうことか)
「・・・・・まあ、何かあったらまた連絡くれ」
「緒方さんにいいお土産を渡してあげたいんですけど・・・・・うちは全うな商売をしているから」
「・・・・・口が上手いな」
多分、全てを納得はしていないだろうが、緒方はそう言い残すと帰って行った。緒方も開成会のことはよく調べているはずで、益の
ない抗争などをやるとは疑っていないのだろう。
「綾辻幹部」
「とにかく、情報収集して頂戴」
もう直ぐ海藤と倉橋がやってくる。事実だけは倉橋から聞いているはずなので、綾辻はそれプラスの報告を海藤にしなければな
らなかった。
「・・・・・なんか、モゾモゾしちゃうわね」
緒方が漏らした言葉・・・・・香港からの客。あまりにタイムリーすぎだが、その客がジュウと関係あると考えた方がすんなりと想像出
来た。ただ、それがジュウの呼びつけた者か、それとも自分が香港で聞いたジュウに対抗する者かの区別は付かない。
(マコちゃんに期限を区切ったくらいだからもう直ぐ帰国するのは確かなはずだけど・・・・・)
その帰国日が目前というのに、改めて部下を呼びつけるだろうか?
それだけこちら側を警戒しているというのならば嬉しくはない光栄だが、あのジュウがと考えると頷きがたい気もした。基本的にあの
男は他人を信じないタイプのはずだが・・・・・。
(多分・・・・・)
「とにかく、これも社長に言わないと」
頭が痛いと、綾辻は眉間を人差し指で押さえた。
事務所に訪れた海藤に、綾辻は緒方の話をした。
「その警部さんが面白いこと言ってたんですよ。昨日、どうやら香港から人相の悪いおじさん達が来てる様だけど聞いているかっ
て」
「香港から?」
「多分、ロンタウとは別口だと」
綾辻の説明を聞きながら、海藤は険しい表情になっていた。
緒方が言う香港から来たという者達がジュウの側であっても、反対勢力であっても、どちらにせよ真琴にとって危険な存在だという
ことは変わらないからだろう。
(むしろ、反対勢力の方が厄介かも・・・・・)
反対勢力がジュウと交渉するにしても脅すにしても、真琴を人質に取ってということが考えられる。
綾辻の説明が終わって、海藤は何かを考えるように口を開いた。
「ジュウが帰国するのは明日だな」
「あの時、三日後って言ってましたしね。時間は、今から関東圏の空港のデーターを調べて、自家用ジェットやチャーター機も含
めて見当をつけます」
航空会社のコンピューターをハッキングすれば簡単に手に入る情報だ。早速自分の部屋へ行こうと立ち上がりかけた綾辻に、そ
れは自分がすると倉橋が言った。そして、綾辻には真琴に付いていて欲しいと続ける。
倉橋がどんな気持ちでそう言ったか・・・・・綾辻は全て分かって、気をつけてと背中に送られる言葉に笑いながら言った。
「ありがと」
結果的に、倉橋が早めに背中を押してくれたのは正解だった。
法定速度を軽くオーバーするように車を走らせて海藤のマンションに駆けつけた綾辻は、ちょうど玄関から出てきた真琴と鉢合わせ
をする。
硬いその表情を見て真琴が何を考えているのか想像出来た綾辻は、何時もの笑みを真琴に向けた。
「セーフ?」
「・・・・・綾辻さん」
「お散歩なら付いていっていいかしら?」
綾辻が地下駐車場に車を止めた時、表で見掛けなかったシルバーのベンツ。ちょうどタイミングがずれて到着したのは綾辻の運
が良かったからだろう。これが少しでも早かったら相手が来なかったかもしれないし、遅かったら真琴だけが連れ去られていた。
(・・・・・鉄仮面。上司に似るのかしら)
無表情に自分達を見ながら誰かに電話をする男に、綾辻はさてと考え始めた。
もしも許可がもらえなくても強引に付いて行く気ではあったが、それからどうやって海藤達に連絡を取ろうかと思う。多分、この車を
部下の久保が追っているとは思うが、確かめる術が無いのだ。
(身体検査なんかやられちゃったらまずいし)
しかし、どうやら同行の許可は下りたようだ。
拘束はされたが真琴と一緒にいられるのならば問題は無い。縄抜けは出来るし、靴底には剃刀も仕込んであった。
(車がどこかに止まった時に動くか・・・・・)
真琴が、思った以上に落ち着いているようで、綾辻にとってはそれが一番の安心材料だった。とにかく落ち着いていてくれたらこち
らも動きやすい。
・・・・・だが、どうやら事は綾辻の思っていたものとは違う様相を呈してきた。
中国語で話しているジュウの部下は、きっとこちら側は意味など分からないと思っているのだろうが、綾辻は普通の会話ならば中
国語も十分聞き取れる。
(中部国際空港?セントレアから出国?)
当初はジュウが泊まっている都内のホテルに向かうと思っていたが、どうやら車はそのまま名古屋方面へと向かうらしい。そして、会
話から察するに、どうやらこれはジュウの命令でもないようなのだ。
(まさか、ロンタウと敵対する相手・・・・・?)
その可能性も考えていたはずだが、こうも的中するとは思わなかった。
綾辻はこれからどうするか、このまま真琴を香港へと連れて行かれるわけにはいかないと、めまぐるしく様々な手段を考え始めた。
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