千三つ せんみつ











 古河と森脇を送り、海藤と真琴をマンションに送った後、綾辻はそのまま倉橋のマンションへと車を走らせた。
 「あなたの方が疲れているんですから、先に・・・・・」
 「いいから」
確かに、肉体的には自分の方が動いただろうが、精神的に疲れているのは倉橋の方だろう。実際に現場に立ち会うよりも、待つ
立場の方が何倍も精神を疲弊するだろうということは十分想像がついた。
 「ゆっくり休んで欲しいの」
 「綾辻さん・・・・・」
 「もちろん、私がぐっすり寝かせてあげられるようなことしてもいいんだけど」
 笑いながら言った言葉はもちろん冗談だ。なかなか身体を合わすことを許してくれない薄情な恋人を腕に抱くチャンスは逃すつ
もりは無いが、かといって無理矢理はやはり自分が面白くない。
(もう少し落ち着いたら押し倒しちゃうから)
助手席に座ったまま黙っている倉橋の横顔を時折盗み見しながら、綾辻は忍耐強い自分を褒めたくなってしまった。

 やがて、倉橋のマンションに着いた。
何時ものように地下駐車場に車を滑り込ませた綾辻は、シートベルトを外している倉橋に向かって言った。
 「今日はゆっくり休んでね。明日遅刻したって、社長は見逃してくれるわよ」
 「・・・・・」
 「克己?」
 口数が少なくなってしまった倉橋を、綾辻は心配になって見つめた。それほど、倉橋は疲れているのかと、部屋まで送ってやった
方がいいかと思ったのだが・・・・・。
 「・・・・・遅刻は、出来ません」
 倉橋が言ったのは、そんな可愛げのない言葉だった。
 「克己?」
 「・・・・・申し訳ありませんが、起こしてもらえますか?」
 「え?ええ、もちろんいいわよ。なんなら、添い寝して、耳元で優しく起こしてあげましょうか?」
冗談のように明るく言った綾辻に、
 「・・・・・お願いします」
と、倉橋は言葉少なに答える。
その意味を問い返すほど、綾辻も無粋な男ではなかった。



(・・・・・私から、誘ったことになるんだろうか・・・・・)
 部屋主から先にどうぞとバスルームに押し込まれた倉橋は、シャワーを浴びながら自分が言ってしまった言葉を何度も頭の中で
繰り返していた。
 自分でも、なぜいきなりあんなことを言ったのか分からなかった。ただ、あのまま綾辻を帰したくない・・・・・そう思ってしまって口を
ついて出てしまった言葉に、綾辻も一瞬目を見張ったのは驚いたからだろう。
それでも、彼は直ぐに応えてくれた。

 「一緒に寝坊するかもね」

 ・・・・・甘やかされていると思う。
1人になりたくないという我が儘な自分の気持ちに応えてくれる綾辻に、それでも簡単に身体を開くことが出来ない自分がいる。
もう両手で数えるほどにはセックスをしたが、未だに慣れない自分に、綾辻はいい加減呆れたりしないのだろうか。
(女性以上に面倒なのに・・・・・)
 セックスの技巧など全く無く、返って硬いままの自分の身体を解すのに手間が掛かってしまうほどで、何時綾辻が呆れてしまうか
とも思ったが・・・・・。
 「・・・・・物好きな人だ・・・・・」
 漏れる言葉がどれほど甘いか、綾辻はきっと知らないだろう。そして、倉橋もこんな自分の声を綾辻には聞かせたくないと思って
いた。



 倉橋の性格そのままの、整頓された無機質な部屋。
家具は必要最小限で、本当に寝に帰っているだけだと分かる部屋を見ていると、綾辻はこのまま倉橋を自分のマンションへと連
れて帰りたくなった。2人で生活をすれば、そこに愛着を持ってくれるかもしれない。綾辻の元へというわけでなく、その部屋へ帰る
という感情ならば抱いてくれるのではないか。
 「勝手にこの部屋解約して、荷物全部移しちゃおうかしら」
(強引にしないと分かってくれないだろうし)
 きっと、倉橋は烈火のごとく怒るだろうし、冷静な口調で文句も言われるだろうが、きっと・・・・・マンションは出て行かないような
気がする。基本的に、倉橋は綾辻に甘いのだ。
 「愛されてるものね〜、私」
 「・・・・・何不気味なことを言ってるんですか」
 「あら、もうあがったの?」
 振り向くと、リビングの入口に複雑な表情で立っている倉橋がいた。もちろん綾辻はその気配に気付いていて聞こえるように言っ
たのだが。
 「克己はパジャマも似合うわね」
 「・・・・・馬鹿なことを言ってないで、あなたも入ってください。新しいタオルは置いていますし・・・・・」
下着は新しいものですからと小さな声で言うのが可愛い。
綾辻は笑いながら頷いた。
 「じゃあ、そうしようかしら。克己はベッドで待っていてね」
 「なっ!」
 「後でね」
 倉橋はどうするだろうか。
ここに綾辻を誘ったということは、十分セックスすることも意識しているとは思うが、あの人一倍潔癖症で照れ屋で、感情表現の
下手な倉橋がどんな行動を取るのか、綾辻は楽しみだなと思いながらバスルームへと向かった。



 からかわれているのは分かっているものの、倉橋は真面目に考える。
食事は既に済んでいるのでキッチンに立つ必要は無かったし(元々作れないのだが)、テレビを見ているというのも変だ。
(やはり、ベッドで・・・・・)
服を全て脱いでベッドに横になっているのが一番いいのかもしれないが・・・・・やはりそれは恥ずかしい。
 「・・・・・どうしよう」
 倉橋は心許無い表情になっている自分に気付かないまま、がらんとした部屋の中を見回してみる。
 「あ」
そして、その視線がある場所で不意に止まった。



 倉橋の性格そのままに、きちんと畳まれたタオルとパジャマ、そして新しい下着。
綾辻はふっと笑ってそれを見た後、身体を拭ってそのまま腰にバスタオルを巻いた姿のまま脱衣所から出た。これからやることを考
えた上というよりは、自分のこの姿を見て恥ずかしがる倉橋を見たかったからだ。
 「か〜つ〜み〜」
 バスルームに近い寝室のドアを開けてみたが、そこには倉橋の姿はやはりなかった。
(やっぱり、誘い込むしかないのか)
それもまた楽しいかもと思いながら、そのままリビングに向かった綾辻は、
 「・・・・・克己?」
 ソファに、くったりと身体を預けている倉橋の姿を見付けた。
(いったい・・・・・あ)
その理由は直ぐに分かった。リビングのローテーブルの上に、1本だけチューハイの缶が置いてあったのだ。酒の飲めない倉橋のマン
ションになぜこんなものが置かれてあったのか・・・・・それは明日にでも聞けばいいと頭を切り替え、綾辻はソファの前に回りこんだ。
 「克己」
 「・・・・・はい」
 「酔った?」
 「・・・・・いいえ」
 返事は返ってくるものの、その反応はかなり遅い。綾辻は缶を持ち上げてみた。
(半分は残っているようだけど・・・・・)
 「眠たい?」
倉橋がセックスから逃げたくてこれを飲んだとは思わない。きっと、綾辻を待つ自分という姿が恥ずかしくて、誤魔化す為に飲んだ
のだろう。
だが、酔った倉橋をこのまま騙すように抱いてもいいものか、さすがに綾辻は判断しかねて声を掛けた。
 「・・・・・え、ない、で」
 「え?」
 「・・・・・帰・・・・・ら、ない、で・・・・・」
 倉橋はそう言いながら綾辻の首に手を回してきた。腰を屈めただけだった綾辻はバランスを崩して、そのままソファに座っている倉
橋の身体の上へと顔面をぶつけそうになってしまった。
 「克己」
 「綾辻さ・・・・・」
 普段色白の肌が、ほんのりと赤く染まっている。それが風呂に入ったせいか、それとも酒のせいかは分からないが、この差し出し
てくる手は間違いなく倉橋のもので・・・・・。
 「食べちゃってもいいの?」
それでも、確認するように言うと、倉橋は滅多に見せないような嬉しそうな笑みを綾辻に向けてきた。
 「食べて・・・・・くだ・・・・・」
その言葉を最後まで言わせず、綾辻はいきなり倉橋の唇を奪った。

 リビングのソファの上。素面の倉橋なら、絶対に許してくれないだろう場所。
彼が普段過ごすことが一番多いだろう場所でその身体を暴いて行くのは、思った以上に綾辻の支配欲を刺激していた。
 「ふぁ・・・・・」
 舌を絡めた濃厚なキスを解くと、倉橋の唇の端から唾液が滴り落ちてしまう。それを舐め上げてやりながら、綾辻は片方の手で
倉橋の背を支え、もう片方の手でパジャマのボタンを外し始めた。
滑らかな白い胸が露になり、綾辻はそのまま唇を落とす。
 「あっ」
(反応が素直)
 今までのセックスなら、我を忘れるまで・・・・・いや、それでも頭のどこかで、こちらが胸が切なくなるほどに自分を律しようとしてい
る倉橋が、酒の力を借りればこんなにも素直な反応を見せてくれた。
本当はこれが素面ならばもっと嬉しいのだが、そこまで望むのはまだ早いのかもしれない。
 「気持ち、いい?」
 「い・・・・・い」
 「ふふ、可愛い」
 ちゅっと、頬にキスをし、今度は胸の小さな飾りへと唇を寄せた。
淡いそれを口に含んで軽く噛んでやると、それだけで倉橋は身体を震わせる。無意識なのか、むずがるように綾辻の胸元に腰を
押し付けてくるその仕草に、綾辻は深い笑みを漏らした。
 「ホント・・・・・美味そうな身体」
 倉橋の身体はけして女には見えない。高身長の方だろうし、多少は筋肉もついている。それでも、どこかしなやかな青年のよう
に見えるのは、普段から小食で太れない体質からなのか。
一見、自分とほぼ同じような体型に見えながら、服を脱げばこんなにも頼りない身体。着痩せする鍛えられた身体の自分とはま
るで違うこの身体は、綾辻にとっては喰らい尽くしたいほどの魅惑的な餌だった。