間もなく、バスは湯島天神の近くまで着いたらしい。
 「うわ・・・・・凄い人」
全国でも一番初詣に来る者がいるらしい渋谷区の明治神宮はかなりの人出だろうとは思っていたが、湯島天神も劣らずに凄い
人出だった。
これから受験シーズンということで、参拝に来る人も多いのだろうかと思った真琴は、思わず隣の海藤を見上げた。
 「どうした?」
 「あの・・・・・ごめんなさい、俺、何も考えていなかったかも・・・・・」
 せっかくの正月。今年は太朗の受験もあることだし、絶対に御守りを渡してやりたいと思った。
明治神宮の人出はよくテレビでも見て、かなり多いというのも分かっていたが、湯島天神ならばまだ人数は少ないのではないかと
思っていたのだが、自分の予想以上の人出に、海藤達の身辺警護は大丈夫かと心配になってしまったのだ。
(綾辻さんや倉橋さんの考えることに抜かりはないだろうけど・・・・・)
 元旦から、こんなにも人出の多い所に連れ出してしまった自分が、彼らのことをあまり考えていなかったのではないかと思えてし
まう。
 「・・・・・」
 言葉に出さずとも、そんな真琴の考えを敏感に悟ったらしい海藤が、口元に笑みを浮かべながら頭を抱き寄せて言った。
 「気にするな」
 「でも・・・・・」
 「ここにいる者達はみな、あの子の合格を祝いたいと思ってここに来ているんだ。お前が気にすることは無いんだぞ。それに、警護
は綾辻と小田切が話し合って決めているらしい。少々言動が不安だが、やることはちゃんとしているしな」
 そう言いながら真琴の手を引いて立ちあがらせてくれた海藤に、真琴はすみませんと言いながら握られた手に力を込めた。




 「見ての通り、すっごい人だから、はぐれてもそのまま参拝してね。30分後、バスに集合。遅れる時はメールで連絡してね〜」

 綾辻の言葉の中に聞き咎めた単語があり、アレッシオは自分の隣にいる友春を見つめて言った。
 「お前はあの男のアドレスを知っているのか?」
 「え、あ、はい。色々連絡を取る時に便利だろうって教えてくれて・・・・・でも、どうして?」
 「・・・・・」
(トモは、あんな遊び人風の男と簡単に連絡を取れるのか)
まだ完全とは言わないものの、友春の心はかなり自分に傾いてくれていて、心も身体も手に入れる日はそう遠くないのではないか
と思っている。
 その反面、イタリアと日本、距離が離れ過ぎているので、いくら、友春にガードを付けているとしても、心配というものは一向に解
消出来ないのだ。
 「何時も連絡をしているのか?」
 「何時もじゃないですよ。本当に、たまにだし・・・・・」
 「・・・・・」
 「ケ、ケイ?」
 アレッシオの気配を敏感に感じとった友春は、首を傾げながら不安そうに聞いてくる。
アレッシオは溜め息を押し殺すと友春の手を握った。
 「え・・・・・」
 「お前が案内してくれないと、私は全く分からない」
 「そ、そうですね。ケイは初めてだし」
 自分の不機嫌さを誤魔化したつもりでそう言ったのだが、素直な友春はそのまま意味をとったらしい。しっかりと自分の手を握り
締める友春の手を見下ろしながら、アレッシオはこんな時間も悪くは無いと思い始めた。




 「・・・・・」
(鬱陶しい・・・・・)
 楓は横顔に張り付く視線に初めのうちは睨みを返していたが、次第に面倒臭くなってシャットアウトすることにした。
普段街を歩いている時もそうだが、人が多くなればなるほど、自分の容姿に見惚れる者が自惚れでも無く多くなるのが分かるの
だ。
(見られたって減らないと思ったけど、これだけ大勢に見られたら間違いなく減る)
 それでも、喧嘩友達である太朗のために御守りを買って、合格祈願もしてやりたい。きっとみんな同じ御守りを買って、そんなに
たくさん同じ物を持っても仕方が無いのだろうが、それでも自分に出来ることは何かしたかった。
 「・・・・・」
 そんな楓の側に立っていた伊崎が、何時もより少し前に立った。
(・・・・・馬鹿)
楓の姿を隠そうとしてくれているのだろうが、伊崎自身が綺麗に整った容貌で人目を惹くのだ。現に、神社の方から来たカップルの
女の方や、女同士で初詣に来ている者達が、チラチラと伊崎の顔を見ているのが分かる。
 「・・・・・」
 まるで物珍しい動物のように自分が見られるのも嫌だが、伊崎が女達に見られるのはもっと嫌だ。
そう思った楓は、強引に伊崎の腕を引っ張ると、まるで恋人同士のように腕を組む。
 「楓さん」
 「はぐれないようにするためだから」
それ以上の意味は無いのだと、楓は人混みの中を真っ直ぐ顔を上げて突き進んだ。




 「やっぱり、凄い人ですね〜」
 「元旦だからな」
 「・・・・・まあ、そうですね」
 きっぱりと言い切った秋月に、日和は困ったような笑みを浮かべる。

 今回、真琴から初詣に誘われ、戸惑ったものの誘ってくれたことは嬉しくて、秋月には行ってきますからという報告だけをするつも
りだった。
 しかし、日和が今回の件を言うと、秋月は眉間の皺を深くして何か考えるように時間をおくと、それから直ぐに携帯を取り出して
連絡を取り・・・・・。
 「俺も行く」
電話を切った後にそう言った秋月に、日和は意外に思ってしまったのだ。

 秋月がどうしてそう考えたのは分からなかったが、日和ももちろん心強いと思うので喜んで同行してもらうことにしたのだが、どうも
彼は皆と・・・・・特に、年長者達と距離を置いているような気がする。
(なんか、系列が違うって言ってたけど・・・・・流派か何か、かな?)
 高校生の日和には、秋月のいる世界のことは良く分からないが、色々と難しいことがあるのかもしれない。
それだけに、今日、こうして一緒に来てくれたことは凄いことなのかもしれないと思った日和は、感謝の意を込めて自分から秋月の
手を握った。




 「・・・・・楢崎さん、気になるの?」
 「・・・・・ん?」
 「・・・・・なんか、さっきから周りばっかり見てるから」
 上杉と太朗の少し後ろを歩いていた暁生と楢崎。
しかし、暁生は先程から楢崎の目が自分ではなく周りにばかり向けられていることに気が付いた。
それは、まるで上杉の身辺を気にするような感じで・・・・・。
(そりゃあ、ナラさんは上杉さんの部下だけど・・・・・)
 こんな時くらいデートみたいな時間を感じて欲しいと思っているものの、楢崎の性格を暁生も知っているので自分の我が儘を言
うことも出来ない。
(・・・・・仕方ないよな。こうして一緒にいるだけでも・・・・・)
 いいと思わないといけないだろうなと思っていた時、
 「あっ」
人にぶつかり、暁生の身体が参拝の人波にのまれそうになってしまう。だが、直ぐに伸びてきた大きな手が、痛いくらいに自分の
腕を掴んだ。
 「大丈夫か、暁生」
 「あ、ありがとう、楢崎さん」
 「凄い人だな・・・・・ほら」
 腕を掴んでいた手が離れ、そのまま目の前に差し出される。反射的にパッとその手を掴んだ暁生に、楢崎は苦笑を浮かべなが
ら言った。
 「はぐれたら大変だな」
 まるで幼い子供に言い聞かせるような感じで言う楢崎には、色っぽい感情など無いのかもしれないが、暁生は人前でこうして楢
崎と手を繋げることが嬉しくて仕方が無かった。




 真っ直ぐに前方を見詰めたまま歩く江坂の横顔を見上げ、静はクスッと笑った。
大勢の人波の中、ほとんど声に出さない笑いなど聞こえなくてもおかしくないのに、江坂は直ぐに振り向くと静の顔をじっと見なが
ら問い掛けてきてくれた。
 「どうかしましたか?」
 「・・・・・いいえ」
(ただ、こうして江坂さんと手を繋いで歩くことが不思議な感じがして・・・・・)
 江坂とはよく一緒に出掛けるが、それはほとんど夜の食事で、車移動の中、人払いも完璧で、人目など無いといってもいいよう
な、全てが整えられた空間だ。
 しかし、今は昼まで、見知らぬ人間が多い初詣という状況で。何だかその事実がおかしくてたまらなかった。
 「ここがこれくらい混んでいるなら、明治神宮なんて凄いんでしょうねえ」
 「・・・・・向こうに行きたかったですか?」
ここで、うんと言えば江坂は直ぐにでも明治神宮に行きそうな勢いだが、静は別にネームバリューで初詣をする場所を選ぶつもりは
ない。
 「いいえ、江坂さんと一緒なら、本当に小さな神社でも構わないくらい」
 一年の始まりに、こうして江坂と共に出掛けられる。
そこに、大切な友人達もいる。
静にとってはそれこそが重要だった。
 「・・・・・」
(あ、強くなった)
 江坂はその自分の言葉に応えることは無かったが、それでも握り締めてくる手の力がさらに強くなったのは分かる。江坂もきっと
自分と同じ思いではないのだろうか・・・・・静は再びクスクスと笑ってしまった。




 何とか参拝の先頭に立った太朗は、鈴を鳴らすと奮発した500円玉を賽銭箱の中に入れ、手を叩いて・・・・・一心に祈る。
(どうかっ、合格出来ますように!)
テストの時にもよく冗談で神頼みだと言ったことがあるが、今この時こそ、その言葉が心に重く響くことは無い。
(みんなが、こうして俺のために来てくれてるんだから・・・・・っ)
 今回の初詣は自分の合格祈願も兼ねていると聞いた時、太朗は皆の気持ちが本当に嬉しくて嬉しくてたまらず・・・・・泣きそう
な気分になった。
 しかし、次の瞬間に感じたのは大きなプレッシャーだ。これだけのことをしてもらって、これで不合格になどなってしまったら。
(・・・・・駄目だってっ、そんな後ろ向きなこと考えたらっ!)
 「・・・・・っ」
不意に、ポンっと頭を叩かれた。
パッと顔を上げると、上杉が笑いながら行くぞと言ってくる。
 「何時までもお前がここを陣取ってもいけないだろ」
 「あ、そ、そっか」
 願いがあるのは自分だけではないと、太朗は慌てて横にずれながら、何だか笑ったままの上杉にどうしたんだよと聞いてみた。
 「ん〜?見ているとお前が百面相してたから」
 「ひゃ、百面相?」
 「どんな願いごとをしたのか、その顔だけで分かるな、お前は」
それは、いったいどういうことなのかと口を尖らし掛けたが、上杉はそのまま太朗の腕を引いて、御守りの売り場へと大股で歩い
て行く。
 「神様も、こんなに熱心に祈ってくれるのなら、絶対に叶えてくれそうだよな」
 「・・・・・別に、俺は神頼みだけじゃ・・・・・」
 「分かってるって」
 「・・・・・ホントかよ」
 「俺の心の安寧のためにも、お前には絶対に合格してもらわねえとなんねーんだよ」
 何時まで経っても安心してセックスも出来ないと耳元で囁かれ、その瞬間にバシッと背中を叩いてしまった。
 「こっ、こんな場所で変なこと言うなよなっ、罰があたるぞ!」
変なことじゃねえんだがと、上杉は恥ずかしげも無く言うものの、太朗はどう誤魔化していいのかも分からず、ろくに文字も見ない
ままお守り袋を手に掴んでこれを下さいと叫んだ。
 「ガ〜キ」
 それが太朗の照れ隠しだと十分分かっているのだろう、上杉は忍び笑いを洩らすと、そのまま横にある絵馬を指差す。
 「おい、あれは書かないのか?」
 「か、書くに決まってるじゃん!」
(わ、忘れてたっ)
何しにここまで来たんだと、上杉の指摘に思わず良かったと思いながら、太朗はこれも下さいと続けた。




 綺麗に整った横顔。
ようやく目を開いた倉橋に、綾辻はにっこりと笑い掛けた。
 「何お祈りしてたの、克己」
 「・・・・・もちろん、太朗君の合格ですよ」
 「克己がお願いするなら、太朗君も絶対に合格間違いなしねえ」
 そもそも、そのためにこうしてやってきているのだが、綾辻の頭の中からは一瞬その事実は消えてしまっていた。
(気分はもう、2人きりの初詣だもの)
本来は2人でも来ようと思っていたくらいだったが、こうして現地でバラバラに行動すれば似たようなものだ。
 「ほら、克己、手を繋いでいないとはぐれちゃうわよ」
 「・・・・・」
 理由が無いと行動してくれない倉橋には、これは十分に理由のあることだと思ってくれるはずなのだが、倉橋はチラッと綾辻の
差し出した手を見つめた後、知らん顔をして歩き始める。
 「克己ってば!」
 「はぐれてもバスに帰ればいいんでしょう?」
 「・・・・・っ」
あまりにもまともな切り返しに、さすがに綾辻も言葉を飲み込むしかなかった。




 30分後。
始めに決めた通り、全員バスへと戻ってきた。
いや、若干一組、上杉と太朗が少し遅れて戻ってきたが、彼らは手ぶらではなく、大きな袋を持っていて・・・・・。
 「みんなっ、甘栗買ってきたよ!」
 「甘栗っ?」
 「うわっ、美味しそう!」
露店で買ってきた甘栗をそれぞれに配りながら、太朗は他には無かったんだよと残念そうに零す。
 「タコ焼とか買いたかったんだけど、すっごい行列だったし」
 「タロ、今日は祭りじゃないんだぞ」
 「じゃあ、楓、いらない?」
 「貰う。恭祐、皮剥いて」
 「結局食べるんじゃん」

 湯島天神の初詣が終わった一行のバスは、次の目的地、亀戸天神社へと向かう。
その途中の車内の中の様子と言えば、年少者達は談笑しながら甘栗の皮を剥き、自分の口の中に入れたり、隣に座る恋人の
口に入れたりと、賑やかに過ごしていた。