STEP UP !



10








 伍朗はテーブルの上に並べられた料理を見て、思わずポカンと口を開けてしまった。
 「こ、これ、全部食べていーの?」
 「全部食べられるわけないだろ」
 「いいじゃんっ、だって、全部俺の好きなもんばっかりだし!」
 「後で腹が痛いって言っても、さすってなんかやらないからな」
呆れたような兄の言葉も、伍朗には全く届かなかった。
(これ、ぜ〜んぶ夢ってこと、ないよな?)

 「伍朗、外ご飯よ!」
 夕方、いきなり母にそう言われた伍朗は、やったと喜びながら2階の自分の部屋からかけ下りた。
何時もは伍朗が妬きもちをやくくらい仲のいい父と兄が喧嘩をしてしまい、兄は家を飛び出して、父はずっと不機嫌だった。
 伍朗は何だか怖くて、ずっと部屋の中に閉じこもっていたが・・・・・客が来た気配がして、また父の怒鳴り声がして・・・・・そして
ご飯を食べに行くという母の声が聞こえた。
 「あ」
 「よお」
 「ジロー」
 「ご、伍朗もこいつを知っているのかっ?」
 下におりて茶の間に入ると、思い掛けない人物がそこにいた。何度か会ったことのある、兄の友達のジローだ。
ジローは伍朗の顔を見てにやっと笑い掛けてきた。
 「どうしてジローがここにいるんだよ?」
 「お前のおやじ・・・・・父ちゃんに会いに来たんだよ」
 「ふ〜ん」
伍朗は首を傾げながら頷き、ふと視線をジローの向こうに向けて・・・・・見知らぬ人物に思わず母の後ろに隠れてしまった。

 その、見たことの無い2人の男がジローの友達とお父さんと聞いてもピンと来なかったが、不機嫌な父の運転でやってきた店は
なんだか高そうな店だった。
てっきり何時ものファミレスに行くのかと思っていた伍朗は多少は戸惑ったものの、それでも自分の好きな食べ物を知っている母
がどんどん注文してくれた料理を見て、今までのモヤモヤした戸惑いは一瞬で消え失せてしまった。




(ゴロの奴、恥ずかしいなあ、もうっ)
 太朗は、目の前でバクバクと息継ぎ無しでハンバーグを口に詰め込んでいる弟を、眉を顰めながら見つめた。
上杉とは顔見知りだった弟は、初めて会う小田切や上杉の父の姿に最初は人見知りをしていたようだが、大好きな食べ物を
前にすると、全ての感情に食欲が勝ったようだった。
(ホントに、子供は気楽でいいよ)
 「あら、美味しい」
 「・・・・・」
 そんな太朗の耳に、楽しそうな母の声が聞こえてきた。
 「フグの白子ってこんなに美味しかったのねえ」
 「本場下関の天然とらふぐですよ」
 「ふふ、死ぬ前に食べることが出来てよかったわ」
小田切は、出汁は何でとっている、付け合せはと、穏やかに笑いながら母と話しをしている。
(・・・・・母ちゃん、すごく食べてる・・・・・)
 弟の伍朗が、周りの状況など全く分からずに好きなハンバーグを食べているのは分かるが、母まで父や上杉にはいっさい声を
掛けず、食べたかったもの(全てが高級なものばかりだ)をドンドン注文しているのには、これでいいのだろうかと思わず上杉の方
を見てしまった。
 「・・・・・」
(こっちはこっちで・・・・・なんか、全然空気が楽しくないし)
 意図したわけではないだろうが、向き合う形の席に座っている上杉と父は、お互い視線を合わすことなくグラスを傾けている。
上杉はビールから洋酒に移ったようだが、父は無理を言って用意してもらった焼酎をお湯割でずっと飲んでいるようだ。
 「と、父ちゃん?」
 「・・・・・」
 太朗が声を掛けると、父はチラッと目線を向けてきた。
しかし、何だか考え込むように眉を顰めると、そのままグラスを傾ける。
(・・・・・怒ってるっていうより・・・・・困って、る?)
 「・・・・・」
太朗は上杉を振り返った。




 助けを求めるような太朗の視線には気が付いたが、上杉は目の前の苑江をどうしようか実際は考えていなかった。どうでもい
いというよりは、何とかなるだろうという達観した思いだった。
自分の伝えたいことは言ったし、向こうが自分と太朗の関係を許せないというのも分かる。相容れない感情を無理矢理すり合
わせたとしても、どこかでまた綻びてしまうはずだ。
 「・・・・・」
 「どうした、タロ」
 「・・・・・っ」
 上杉が太朗の名前を親しそうに呼ぶと、グラスを持った苑江の手がピクッと震えるのが分かった。
(なんだかなあ)
これぐらいでそんなに顕著に反応してもらうと悪いなと思ってしまうぐらいだが・・・・・慣れてもらわなくては困る。
 「え、えっとさ、ごめんね、今日は」
 「飯なんてもんは大勢で食った方が美味いからな。お前の弟も喜んでいるし、気にするな」
 「う、うん、ゴロや母ちゃんはいいんだけど・・・・・」
 「・・・・・」
 「・・・・・うー・・・・・」
 何と言っていいのか、太朗本人も分かっていないのだろう。自分と父の顔を交互に見て、しまいには唸ってしまった。
なんだか、餌を待てと言われている子犬のようなその様子に、上杉は思わず目を細めて笑った。
 「可愛いなあ、お前は」
 「はあ?」
 「ホント、犬みたいだ」
 「い、犬って、なんだよっ、それ!俺、ちゃんとした人間だろっ」
ポンポンと文句を言ってくる太朗のその姿が、マンションにいる大福がキャンキャンと騒いで構ってほしがっている様子と重なって
しまう。苑江の前で刺激が強いかと、我慢しようと思えば思うほど笑いがこみ上げてきて・・・・・上杉は堪らずにグラスを置いて
笑い出した。




 「ふっ・・・・・くっ」
 「ちょ、ちょっと!何だよっ!何がおかしいんだよ!」
 「お、お前の顔・・・・・っ」
 顔を伏せて笑い続ける上杉を、太朗が顔を真っ赤にして怒鳴っている。だが、どう聞いてもそれは喧嘩ではなく、仲の良い恋
人同士のじゃれ合いにしか聞こえなかった。
(俺の前で慣れあうんじゃないっ!)
 苑江はそう怒鳴りたいのを必死で我慢していた。ここで上杉に喧嘩を売ったら太朗に悲しい顔をさせてしまうし、何も知らない
伍朗を怖がらせたくも無かった。
 今この瞬間、自分が我慢していればいいのだが・・・・・チラチラと見えてしまう太朗と上杉の様子を見てしまうと、2人の仲が昨
日今日の関係ではないということはよく分かる。歳若い太朗が、上杉のような男に憧れ、惹かれるというのは分かる気もするが、
上杉のような男が本当に太朗のような子供に本気になるとは・・・・・。
(・・・・・くそっ)
 「七之助さん、デザート頼む?」
 高まりかけた苑江の気持ちを宥めるように、暢気な声が名前を呼んだ。
 「あなたの好きな抹茶アイスのデザートもあるわよ?」
 「オレッ、バナナパフェ!」
 「伍朗はまだご飯中だろ」
 「ご飯食べながら食べれるもん!ねえ、父ちゃん」
無邪気に自分に笑い掛けてくる伍朗に、苑江は出来るだけ笑みを作って(かなり強張っていたが)言う。
 「・・・・・飯と甘いものは入るところは別なんだ。・・・・・佐緒里さん、アイスを全種類」
 「和菓子もあるわよ?」
 「当然、それも」
 「・・・・・だ、そうよ、小田切さん」
 「全種類、食べられますか?」
 「苑江家4人でかかればね」
佐緒里の言葉に、苑江は胸の中で当然だろうと頷いた。




 頑固な苑江に、どんなに言葉を継いでも仕方が無いことは分かっていた。この場にいるということだけでも、彼にしたらかなりの
譲歩だと思う。今はこんなふうに2人の関係を受け入れている佐緒里も、始めはかなり驚いたのだ。太朗を溺愛している苑江の
この態度も良く分かる。
 「いいんですか?」
 「ん?」
 「助け舟を出さなくても」
 佐緒里は口の中にあった白子を飲み込んで、意味の読めない笑みを浮かべている小田切に視線を向けた。
 「味方はしないんでしょう?」
 「あら、誰に聞いたの?」
 「誰だったでしょうか・・・・・でも、あなたならそうするだろうとは思いましたよ」
 「・・・・・まあ、私は七之助さんの妻ですもの。彼の味方をするのは当然だし、あなたも思っているでしょう?上杉さんと太朗は
合わないって」
 「・・・・・普通に考えればそうですね」
 「普通に考えたいけど・・・・・私も結構親馬鹿なのよ、太朗が泣くのは見たくないの」
 どんな答えが親として正しいのか、佐緒里だってはっきりと言葉にして言うことは出来ない。
ただ、分かることは一つ。太朗は父親の苑江に似て、一度こうと決めたことを周りの言葉で覆すことはしない。それが、父や母の
言葉であっても、自分の決めた愛する者を、途中で切り捨てるような真似は絶対にしないだろう。
 「上杉さんの味方はしないけど、敵にもならないわ」
 「そうしてあげてください。あなたまで反対に回られたら大変だ」
 「あら、私がどんな化け物だと思ってるの?失礼しちゃうわね〜・・・・・フカヒレ食べちゃうわよ」
 「ここの物は気仙沼産のもので美味しいですよ」
 「じゃあ、2人分」
にっこりと笑って言った佐緒里の希望に応えるように小田切は店員を呼んだ。