STEP UP !
9
「・・・・・」
「へえ〜、ここ、一度来てみたかったのよね」
「兄ちゃん、ここハンバーグある?」
「あるんじゃないか?おっきい店だし」
苑江家一家4人の反応を見ていた上杉は、ふきだして笑いたいのを我慢するのが大変だった。
「一応、認めてはおられないでしょうが顔見せのようなものですからね。それなりの店を用意しましょう」
小田切が言う《それなりの店》は、普通の感覚ではかなりランクが上の店だ。
絶対に上杉の車には乗らないと、自家用車で上杉達の車の後を生真面目に付いてきた(無視して来ないという選択もあっただ
ろうが)苑江家一行。
しかし、車が停まった銀座の一角にある店を見上げると、それぞれの反応はまるで違っていた。
太朗と弟は全く店のグレードを気にしていなかったが、さすがに女である佐緒里はその名前を知っていたらしい。家長である苑江
は店の名前は知らないかもしれないが、どう見ても一般人は立ち入り禁止のような高級な佇まいに圧倒的な気後れを感じてい
るようだ。
「・・・・・あんた」
「上杉、ですよ」
「・・・・・上杉さん、確かに今回はあんたにたかろうとやってきたが、ここじゃ金額が割に合わないはずだ。この近所にはファミレスは
ない・・・・・か」
高級な街で知られるこの辺りにも当然リーズナブルな店も多いが、この辺りはそれさえも見当たらない別格な場所らしい。
「帰ろう」
「えーっ!」
「えーって、お前達なあ」
「俺、ハンバーグ食べたい!」
「私も、フグの白子なんか食べたいわ」
「俺は肉!」
いっせいに上がった苑江への反対の声に、上杉はとうとう我慢出来ずに笑ってしまった。
家族に責められ、男としてのプライドを傷付けられたらしい苑江に、まあまあと壱郎が声を掛けた。
同じ父親といっても歳は違うし、家族の形態も正反対といってもいい。だが、そこにある父親という共通項だけで、壱郎はその気
持ちが分かるような気がしていた。
「苑江さん、ここはあの子の顔をたててやってくれませんかねえ」
「・・・・・」
「あなたに会ったことで、あの子も緊張しているんですよ。少しでも自分のことをよく思ってもらいたくてこんな場所を選んだなんて
可愛いと思いませんか?」
「・・・・・あんな大男、可愛いはずがないです」
嫌々ながらもきちんと言葉を返してくる苑江の人の良さが心地良い。こんな風に何の利害も無く言葉を言い合える相手は貴
重だと思った。
(まあ、滋郎が緊張したなんてことはないだろうけど)
どんなことがあっても自分の意思を曲げない息子は、初めから苑江に認めてもらおうという気はなかったと思う。ただ、太朗の為
に、付き合っているという報告だけはしておこう・・・・・それくらいの気持ちだったのではないか。
(大体、三十も後半の男に、高校生の息子との付き合いを許すなんてことはありえないだろうし)
「ビフテキ、食べるんでしょう?」
「・・・・・」
「ここの肉、近江牛なんですよ?食べて損はないと思うんですけどねえ」
父にこそこそと何か話している上杉の父親は、苑江家に向う前からの上機嫌がずっと続いているように思えた。父も、上杉に対
しての厳しい態度とは違い、どこかあたりが柔らかな気がする。
(気が合うのかな・・・・・父親同士だし)
「あっと」
それよりもと、太朗は父の視線がこちらに向いていないうちにと上杉の傍へと駆け寄った。
「ジローさん」
「ん?」
先程から、何が楽しいのかずっと笑っていた上杉だが、太朗が声を掛けると目を細めて先を促してくる。その優しい表情に少しだ
けドキドキとしながら、太朗は今気懸かりだと思ったことを口にした。
「お金、大丈夫?」
「え?」
「こんないいとこ連れて来てくれなくても良かったんだよ?母ちゃんはともかくさ、父ちゃんもゴロもファミレスの季節限定のデザート
が大好きだし」
「・・・・・お前の父ちゃん、甘い物食えるのか?」
「うん。母ちゃんよりも好きだよ。よく、お土産でたい焼きとかアンマン買って帰るんだ」
だからというわけではないが、上杉がこんな高級そうな店に自分達家族を連れて来てくれたことが申し訳なかった。
そうでなくても、何時も太朗は上杉に奢ってもらっている。たまには割り勘にしようと(お年玉をこっそり持ってきて)言ったこともある
が、未成年のうちだけだと、笑って取り合ってくれなかった。そうだと思うと、たまに太朗が買った肉まんやハンバーガーを、ご馳走さ
んと言って食べてくれる。
(多分・・・・・大人の余裕なんだろうけど)
収入の格差はもちろん分かっているし、今の自分はそう言われても仕方が無いとも思っているが、やはり家族全員がとなると、
太朗も簡単には納得が出来なかった。
「だからさ、今からでも場所変えようよ。さっき、向こうで回転寿司の看板見たし」
「それじゃ俺が情けねえだろ」
「そんなこと無いよ?」
「まあ、ちょっとした男の意地ってやつだ。お前も付き合え」
太朗の心配は嬉しいが、さすがにこの面子で仲良くファミレスや回転寿司には行けないだろう。いや、オマケの2人はきっと面白
がるだろうから・・・・・特に、だ。
太朗と2人ならば、話のネタにお子様ランチなどを頼んでからかったりも出来そうだが、まさかあの苑江をからかうのは・・・・・今はさ
すがに出来ない。
(それに、かりにも公務員のタロのオヤジとヤクザの俺が一緒に飯を食うっていうのは知られない方がいいしな)
プライバシーをきっちりと守れ、それなりの料理を出せる店はおのずと決まってしまうのだ。
「金なら心配するな、腹いっぱい食っていいって、お前の弟にも言ってやれ」
「本当に大丈夫?」
「なんだ、可愛いこと言って。礼っていうんならキスの一つでも貰っておくぞ?」
「ちょっ、ジローさんっ」
びっくりしたように後ずさろうとした太朗を捕まえようとした上杉は、
「こらっ、そこ!!」
まるで、学校の教師のような怒鳴り声を耳にする。振り返らなくても、その大声の主は当然のごとく分かった。
「引っ付くのは禁止だ!禁止!いいなっ、タロ!」
「くっ付いてないよ!父ちゃんの勘違いだよ!」
「・・・・・」
(少しも、空気を読めねえなあ)
せめてキスをするまでこちらのことに気付かないか、それとも自分の父親が引き止めてくれたらいいのに・・・・・そこまで考えた上
杉は、ふと嫌な予感がして顔を上げる。
(まさか・・・・・)
その視線の先にいた父親は、上杉を見てにこにこ笑いながら手を振ってきた。どうやら、嫌な予感は当たったようだ。
(あいつがタロのオヤジに言ったのか)
親なら子供に協力しろと心の中で毒吐きながら、上杉は苑江の元へ走っていく太朗を面白くなさそうに見送った。
「お酒はどうしますか?」
創作和食の店の個室。居心地の良い上品な空間に落ち着いた一行を前に、注文を取りに来た店員と向かい合っていた小
田切は振り返って訊ねた。
当然、前もって苑江夫婦の好きな酒などは調査済みだが、そういった個人情報を知られていると思うと人間は警戒してしまう。
それを念頭に入れて、小田切はわざと訊ねたのだ。
「七之助さん、何にする?」
「酒は飲まない」
「あら、勿体無いわよ?この店だったら珍しい種類のお酒がたくさんありそうなのに」
「・・・・・佐緒里さん、俺は」
「酔って上杉さんに絡んだら?頑丈だから少々小突いたって大丈夫なんじゃない?」
「・・・・・」
(酒癖は悪い方ではないということだが・・・・・)
佐緒里は自分の夫をリラックスさせる為に酒を飲まそうとしているのか、それともただ単に面白がっているのか・・・・・さすがに小
田切も判断はつきかねた。以前も思ったことだが、佐緒里は結構侮れない。
「洋酒がよろしいですか?それとも、ビール?酒もありますが、お好みのものを何でもおっしゃってください」
「・・・・・じゃあ、焼酎をお願いします」
「焼酎ですね?」
少し前なら、これほどのグレードの高い店には焼酎など置いていなかったが、今のブームでかなりの銘柄は揃っているはずだ。
せっかくだからと珍しいものを注文しようとした小田切の耳に、
「いいちこをお願いします」
きっぱりと言い切る苑江の声がした。
「いいちこ、ですか?」
「そんな安い焼酎はありませんか」
睨むような眼差しは、もしかして自分に挑戦しようとしているのだろうか。
(・・・・・太朗君の父親じゃなかったら、たっぷりといたぶってやるんだが)
素人相手にそれは少し無理かもしれない。
「いいえ、どんなものでもとこちらが言ったんですから、用意させましょう」
小田切は即座にそう答えると、目の前で困惑した様子の店員に言う。
「今の注文は聞きましたね?」
「あ、はい、しかし・・・・・」
「全ての来客の希望に応えると、確かこちらのオーナーがおっしゃられていましたよ。私の名前を出して、早急に対応してくださ
い、いいですね?」
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