STEP UP !
13
「どうするかなあ」
上杉は持っていた万年筆でトントンと机を叩く。
こんな風にサボっていれば、口から生まれたような男が直ぐに注意を促してくるところだが、今の上杉は堂々と休憩だと言えるほ
どに、机の上の仕事を綺麗に片付けていた。
「・・・・・」
何時もの散歩デートに、太朗の父親がオマケのようについて来てから一週間。その間、上杉は太朗に会うことは叶わなかった。
もちろん、電話で話はしているが、実際に顔を合わせることは出来ずじまいだ。
「しばらく、時間を置いた方がいいのかも」
太朗がそう言った時も、上杉はそれでもいいかと思った。太朗の父親の困惑は十分分かるし、もしも自分が反対の立場だっ
たとしたら、こんな男に息子をくれてやろうなどとは絶対に思わない。
だからこそ、少し猶予を与えようと思ったのだが・・・・・もしかしたらこのままズルズルと長引いてしまうのではないかと、上杉はここ
数日、自分の決断が正しいのかどうかずっと考えていた。
「失礼します」
そこへ、ノックをして小田切が入ってきた。
「・・・・・」
じっと、机の上へと視線を向けてくる小田切に、なんだよと上杉は視線を返す。普段の怠惰な様子を想像されるのも仕方がな
いが、今自分に任せられている仕事は全て片付けて(あまりに暇でやることがないので)いるのだ。
「・・・・・いいえ、随分品行方正だなと思いまして」
「ああ?」
「あなたらしくもない」
「・・・・・」
偉いと褒められるとは思っていなかったが、それでも仕事をして皮肉を言われるとは思わなかった。
いや、小田切の言葉に、ズクッと腹の下の何かが疼くような気がしたのだ。
(俺らしく・・・・・ない?)
「おい」
「あなたのことですから、誰が何と言おうと・・・・・それこそ、太朗君の親が反対しようと、強引に付き合いを認めさせると思った
んですけどねえ」
意外に真摯なんでと付け加える言葉は煩いが、小田切の言葉には一理・・・・・いや、かなり心に響いた。
太朗を悲しませたくないからという理由をつけて、向こうの親の態度が軟化するのを待つというような消極的な作戦に出てしまっ
たが、本来の自分はそんな男だろうか?
「・・・・・」
「・・・・・」
「・・・・・小田切、お前、俺をけしかけたいのか?」
「真面目に仕事をしていただくのは嬉しいのですが、大きな図体をしたライオンが、餌をもらえないままウロウロしているのはどう
も目障りで」
「・・・・・バ〜カ」
上杉は苦笑を零した。
「机と仲良しこよしは、そろそろ限界だと思ってたんだよ」
「ええ。そう見えました」
「・・・・・動くか」
小田切の言葉が後押しになった形だが、上杉自身、子供のようだと思われてもいい、そろそろじっとしているのも限界だった。
「どうせ嫌われるんなら、とことん、だな」
重い足取りで校門を出た太朗は、今日はどうしようかなと小さく呟いた。
何時もの日課のジローの散歩はあるものの、オマケの楽しみ・・・・・いや、もしかしたらこちらの方が楽しみだったかもしれない上
杉とのデートが、もう今日で3回流れた結果となった。
(でも・・・・・)
「しばらくは大人しくしていなさい。外泊も無しよ」
そう言った母は、何時までかは自分で判断するようにと言った。
会うなと言われたわけではなかったが、父に内緒で上杉に会うのは悪い気がして・・・・・自分から会うのをしばらく止めようと上杉
に言ったのだが、今はその自分の言葉に縛られた形で、会うこと自体怖くなっている。
「会いたいんだけど・・・・・」
「太朗君」
「・・・・・っ」
いきなり声を掛けられた太朗は、慌てて後ろを振り向いた。
「あっ」
「やあ」
「お、お父さん?」
そこにいたのは上杉の父、壱郎だった。
クリーム色のスーツに、紫のネクタイという、とても自分の父は着ないだろうなと言う格好をした壱郎は、胸元のポケットに入れてあ
るサングラスをわざわざ掛けた。
「こうしていると、結構若く見えないかな?」
「え、あ、も、元々、すっごく若いですけど」
「はは、ありがとう。嘘がつけないような君に言ってもらうと嬉しいなあ」
「は、はあ」
目を丸くしている太朗を楽しそうに見て、壱郎はチラッと高校の校舎へと視線を向ける。
「近くまで来てね、この辺りに高校があったかなあって思って、もしかしたらって・・・・・やっぱり僕は運がいい」
「はあ・・・・・」
「せっかくだし、今からデートしようよ」
「デ、デートぉ?」
どうしてだとか、嫌だとか、全ての疑問や拒絶の言葉は全く言うことが出来ず、太朗は半ばひきづられるような形で、銀色の
スポーツカーの助手席に押し込められてしまった。
「タロが誘拐されたっ?」
太朗の下校時間を考えた上杉が今にも部屋を出ようとした時に掛かってきた電話。傍で聞いていた小田切は、瞬時に自分
の携帯電話を取り出して捜索の手を伸ばそうとする。
しかし・・・・・。
「茶髪に、ピアス?」
「・・・・・」
(茶髪に、ピアス?)
「・・・・・銀のフェラーリ・・・・・ったく!・・・・・いや、お前のことじゃない」
怖いほどに張り詰めた上杉の気配が、その瞬間に霧散した。
「あー・・・・・そのまま追い掛けろ。今から俺も出る、逐一携帯の方に場所を教えろ」
クシャッと髪を掻き毟った上杉は、舌打ちをうちながら携帯を切った。
「・・・・・壱郎さんですか?」
「あいつ、いったい何を考えていやがるんだ」
「・・・・・」
(あの人が、太朗君にね・・・・・)
今の連絡は、上杉が太朗につけた護衛からだろう。怪しい人物の出現に急いで報告をしてきたのだろうが、小田切でも今のキ
ーワードを聞いて直ぐに思い浮かんだ。
年甲斐もなくと言ったら失礼かもしれないし、第一あの男はそういった服装が似合うのだが・・・・・。
(理由があってと、思うべきだな)
「出掛ける」
色々思うことはあるのだろうが、結局、実際に会うことが一番早いと思ったのだろう。そのまま部屋から出ようとした上杉に、小
田切は待ってくださいと声を掛けた。
「私も同行します」
「お前が?」
「ええ」
(なんだか、面白そうだし)
幸い、上杉がきちんと仕事をしてくれていたおかげで、溜まっている書類はない。
いい息抜きになるかもしれないと思った小田切は、地下駐車場で待っていてくださいと言い残し、急いで(見た目は優美に)自
分の部屋へと向った。
太朗が入ったことがある喫茶店とは少し違った雰囲気の店。六本木のお洒落なビルの地下にあるそこは、喫茶店というよりは
バーのような飲み屋だと思える場所だった。
(お、俺、場違い・・・・・?)
太朗と壱郎以外にも数人の客はいたが、誰もが背広ではなくお洒落な私服を着ていて、手にしている時計もチラッと見えたが
ダイヤがいっぱいあるものだった。
「太朗君は何飲む?ここのマスターは器用だから何でも注文して」
「え?あ、あっと、コ、コーヒー」
「コーヒー?」
「・・・・・メ、メロンソーダ?」
「出来る?」
「ええ」
カウンターの向こうにいる男は、上杉よりも少しだけ年上のような感じで、白いシャツに黒いズボン、腰にブラウンのエプロンをし
ている姿は、どちらかといえばバーのマスターのようではないだろうか。
(・・・・・バーって行ったことないけど)
黒い髪を軽く後に撫で付けている横顔は端整といってもいい顔立ちで、男はじっと見ている太朗の眼差しに気がついて少しだ
け笑みを浮かべた。随分、色っぽい笑みだ。
(う・・・・・綺麗)
「太朗君」
「あ、はい!」
カウンターの中ばかりに視線を向けていた太朗は、壱郎の声に反射的に声を上げる。そのあまりの勢いが面白かったのか、壱
郎は目尻に優しい皺を浮かべて笑っていた。
「あ、あの・・・・・」
「ああ、ごめんね?なんだか君といると楽しくて仕方がないよ。いや、君の家族はみんな楽しくて、真っ直ぐで・・・・・また一緒に
食事をしたいくらい気に入ったんだけど、多分ご迷惑だろうね」
「そ、そんなことないですよっ?今度、うちに来てください!母ちゃ・・・・・母の料理はすっごく美味しいから!」
「ぜひ呼ばれたいけど・・・・・滋郎の前に僕が行くのもおかしいだろう?」
「あ・・・・・」
壱郎の言葉の中に上杉の名前が出てきて、太朗は壱郎の出現で混乱していた自分の思考がいっぺんにクリアになった。
(そうだよ、俺、ジローさんのこと考えてたのに・・・・・)
本当にこのまま会わずに、ただ時間が過ぎていくのを待つだけでいいのか、悩んでいたことを改めて思い出して、太朗は情けなく
眉を下げてしまった。
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