STEP UP !



15








 「何を飲まれますか?」
 「私は・・・・・ミルクセーキを」
 「かしこまりました」
 これは出来ないのではないかと思った注文を口にした小田切は、全く表情も変えないで受けたマスターに苦笑を向けた。
ここには何度か飲みに来たことがあったが、どんな時でも物静かな態度を崩さない彼を少しでも動揺させたくて来るたびに変わっ
た注文をするのだが、絶対にそれは出来ませんと言われたことはなかった。
(壱郎さんもここを知っているなんて・・・・・ね)
 隠れ家的な存在のこの場所を知っている自分達の共通点が少しおかしかった。
 「お前は帰ってもいいぞ」
そんな小田切の上機嫌を察したのか、何か言われる前にと上杉が先手を打ってくる。もちろん、こんな面白い場面を見逃すこと
は出来なかった。
 「私にはあなたの送迎という仕事がありますから」
 「そんなの・・・・・」
 「太朗君も、私が一緒の方がいいでしょう?」
 たとえ上杉が嫌だと言っても、この場では太朗の意思の方が重要だろう。
そう思った小田切が太朗を見つめながら言うと、太朗は一瞬上杉を見てからコクッと頷いた。
 「一緒にいてください」
 「・・・・・っ」
どうやら先程の上杉の行動に怒っているらしい太朗は、考える間もなくそう答える。上杉が舌をうつ音が微かに聞こえ、小田切は
悪戯っぽく笑った。




 とりあえず、太朗に何もなかったことは自分の目で確認した。
後はここにいることもなく、本当ならばこのまま太朗を連れて帰ってもいいのだが、面倒臭いことが嫌いな父親が何の為に太朗を
連れ出したのかが気になった。
そこをきちんと決着をつけておかなければ、また同じことをされるかも分からない。
(今回は良かったが、次が何も無いとは限らない)
とても腕力に自信があるとは思えない父と太朗では、何かあった時に常に自分が傍にいるとは言えないのだ。
 「おい」
 上杉は父に視線を向けた。
 「どうして太朗を連れ出した?」
 「会いたかったから」
 「はあ?」
 「なんだか、元気な太朗君に会って和みたかったんだよねえ」
 「・・・・・なんだ、それは」
(全然理由になってねえじゃないか)
他の人間が聞けば、それはごまかしの言葉ではないかと疑ってもおかしくはない答えだが、父の性格をよく知っている上杉にとっ
ては、これがこの男の真意だということは分かった。
(・・・・・ったく、こういう男だよ)
 意味がないのならば、今度こそここにいたって仕方がない。そう思った上杉は、太朗の腕を掴んだ。
 「帰るぞ」
 「え?」
 「これ以上こいつといたって仕方が無いだろ」
無駄な時間を過ごすなら、少しでも太朗と2人きりでいたい。当然太朗も自分と同じ気持ちだと思ったが・・・・・。
 「・・・・・やだ」
 「タロ?」
 「おと・・・・・壱郎さんも、何か俺に話があってわざわざ会いに来てくれたんだよ?このまま帰ったら、それこそ意味ないじゃん」
 今の壱郎の話を聞いて、どうしてそう思うのだろうか。
上杉自身はそう思ったものの、それでも溜め息をつきながら上げ掛けた腰を再び椅子に下ろした。




 いったい、壱郎は自分に何を話すつもりなんだろう?
太朗は出来るだけ生真面目な表情をして壱郎を見つめた。この間の家族での対面の中で、きっと壱郎は何か考えることがあっ
たに違いが無いのだ。
怒られても仕方がないと思いながら、太朗は自分に掛けられる言葉を待った。
 「・・・・・太朗君」
 「は、はい」
 「本当に、意味はないんだよ?」
緊張している太朗の顔を笑いながら見て、壱郎はあっさりとそう言い切る。一瞬、それが自分の聞き違いかと思ってしまった太
朗は、ますます不安になってしまった。
 「・・・・・え?」
 「僕が君に会いたいと思った理由。ただ、会いたいから・・・・・それだけじゃ駄目だった?」
 「え?あ、いや、えっと・・・・・」
(だ、駄目って言ってもいいわけ?)
 「おい、タロが困ってるだろ」
 「だって、それが本当なんだからしょうがないでしょ。僕が何を言ったって、お前が言うことを聞くわけじゃないだろうし、それは太朗
君の、苑江さんも一緒だと思うしね。違う?」
 「ち・・・・・違いません」
 「でしょう?」
 「・・・・・」
 「・・・・・」
(ほ、本気なのか・・・・・)
どうしたらいいんだと上杉を見ると、ほら見ろというような苦笑を返された。




(予想外に来るのも早かったなあ)
 出来ればもう少し太朗と遊んでいたかったが、これから先は暫く会えなかったであろう恋人同士の時間だ。
壱郎はそのまま椅子から立ち上がった。
 「じゃあ、僕は帰ろうかな」
 「・・・・・いったい、何しに来たんだ、お前は」
 呆れたような上杉の言葉もなんとも思わない。
実はこれから用事があって、その前の景気づけに太朗の顔を見たかっただけだ。可愛い息子の顔も見れたし、時間的にもちょう
どいい頃だった。
 「じゃあね、太朗君」
 「あ、はい、ご馳走さまでした!」
 「ああ、それは滋郎の奢りだから」
そう言うと、壱郎は軽く手を振って店から出て行った。




 一体なんだったのかと思いながらも、上杉は行くぞと太朗を促す。
壱郎もいなくなってしまい、今度こそここにいる意味のなくなった太朗は、今度は素直に椅子から下りると、カウンターの中にいる
男へ頭を下げた。
 「ご馳走さまでした」
 「いいえ。またお越し下さい」
ただのリップサービスにしては、口調も表情も先程よりもずっと柔らかい。余計な心配かもしれないが、上杉は自分の身体で太
朗の身体を隠しながら外へと向かった。

 「マンションに行きますか?」
 店の前の車道に堂々と路上駐車をしていた上杉(駐車違反は免れていた)は、当然のように太朗と共に後部座席へと座る。
それを予想していたのか、運転席へと乗り込んだ小田切が訊ねてきた。
(どっちに行くか・・・・・か)
 今はまだ、午後4時半前。
いつもならこのままマンションに連れ込み、夜8時頃に送っていってもおかしくはないのだが、今までは自分の存在を知らなかった
苑江は、帰らない太朗をいったいどう思うだろうか。きっと2人きりでいることへ妙な先入観を持って、もしかしたら倒れてしまうかも
しれない。
(人に遠慮するってガラじゃないんだがな〜)
 「・・・・・タロの家だ」
 「・・・・・」
 バックミラー越しに小田切と目が合う。意味深に笑っているさまにも突っ込みが出来なかった。
 「分かりました」
 「ジローさん」
 「・・・・・早くしろ」
 「はいはい」
今度は小田切も何も言わないで、ゆっくりと車を発進させた。






 『飲みに行きませんか?』

 いきなり掛かってきた電話。
何時の間に自分の携帯の番号を調べたのかと一瞬身構えたが、考えれば先日会った時、何時もの調子で名刺を交換してい
たのだ。
 「・・・・・」
 どうしますかとさらに問われ、反射的に行きますと答えてしまった。いったいどんな話を自分にするのか分からないが、とにかく会
わないことには話が始まらないだろう。



 時間と場所は向こうが指定してきたが、特に拘りはなかったので同意した。
久し振りに居酒屋にやって来たが、雑多な空気もたまにはいいものだ。
 「ミルクティー」
 「は?」
 注文を取りに来た店員にそう言うと、怪訝そうな顔をされた。
 「冗談冗談。ビール頼むよ。それと・・・・・」
メニューを見ながら適当に注文していると、入口が開く音がして、店員のいらっしゃいませという元気な声がする。つられるように
視線を向けて、そこに待ち人の姿を見つけて思わず笑い掛けた。
 「ここですよ、苑江さん」
 「・・・・・上杉さん」
 「こっちこっち。何飲まれますか?」
苦々しい表情の苑江に、壱郎はヒラヒラと片手を振ってみせた。