STEP UP !
16
「あら」
玄関先に立った佐緒里は、そこにいる上杉の姿に少し驚いたようだった。まさか学校帰りの太朗と上杉が一緒にいるとは思
わなかったらしい。
「太朗」
「あ、あのっ」
「悪い、勝手に連れ出した」
そもそもの原因が自分の父親だと言うつもりは無かった。突き詰めればその要因が自分にあるのは分かっていたし、自分の親
を管理出来ていない方が悪いのだ。
「ジローさん」
太朗はそんな上杉の思惑が分からないのか、どうしてと訴えるような眼差しを向けてくる。その眼差しに、上杉は笑い掛けた。
「秘密のデートも楽しかったけどな」
「え・・・・・?」
「タロは駄目だってちゃんと言ってたぞ」
「・・・・・」
佐緒里は上杉を見、次に太朗を見て・・・・・もう一度上杉に視線を戻した。
「一応、その言葉を信じることにします。太朗」
「う、うん、ごめんなさい」
「いいわよ、七之助さんも今日は遅いらしいし」
「え?父ちゃん残業?」
「ん〜、珍しい人と付き合いで飲むらしいわよ。あんたばかり我慢させて、自分が楽しんでいたって説得力が無いのにねえ」
「父ちゃんズルイ!!」
自分だけが我慢を強いられているような気になったのか、太朗は怒ったように叫んでいるが、上杉は少しだけ・・・・・本当に少
しだけ嫌な予感がした。
太朗と佐緒里の見送りを受けた上杉は、車に乗った瞬間に携帯電話を取り出した。
登録はしていないが、頭の片隅で覚えている番号。もう10年近くも変わっていない番号を押しても・・・・・向こうはマナーモード
になっているらしく留守電に切り替わった。
「どうしたんですか?」
「・・・・・」
ちょうど赤信号で車を止めた小田切が、バックミラー越しの視線を向けてくる。
それに答えないままでいると、察しのいい男は何かに気が付いたようだった。
「・・・・・壱郎さん、どちらに行かれたんでしょうね」
「・・・・・」
「まさか」
「・・・・・まさか、な」
今父親が動く意味などないように思う。もしも、だ、もしもあの男がまた妙なことをしようとしていたら・・・・・かえってややこしくな
りそうな気がする。
(変なことしてくれるなよ・・・・・)
自分の懸念が懸念のままで終わることを願いながら、上杉は事務所へと戻っていった。
上杉の父親、壱郎から連絡があった時、苑江はどんな絡め手で自分を説得する気なのかと身構えた。
どうも始めからつかみどころの無い男だったが、それでもあの憎らしい男の父親だ。子供の為にどんなことをするのかと様々な予
想を巡らせて、苑江はこの酒の席に挑んだつもりだった。
しかし・・・・・。
「あれ?ビールでいいの?」
「え、ええ」
「焼酎、色んな種類があるみたいだけど」
酔ってする話だと思わないのでセーブしていると、壱郎は勝手に店員を呼んで注文を始めた。
「・・・・・」
(かなり、マイペースな人物だな)
テーブルの上に並べられた料理はどれも居酒屋の中では高い料金の物ばかりだが、それに少しずつしか箸を付けない。小食と
いうか・・・・・とにかく、酒を水のように飲む姿に圧倒されて、苑江は自分もつられたように運ばれた焼酎のお湯割りを口にした。
「僕は、男友達っていうのが少なくてね」
不意に、壱郎は話を切り出した。
「こうして、酒を酌み交わすことなんて少ないんだよ」
「・・・・・会社の方とは?」
「部下は私に文句を言わないし、注意もしない。人に指摘されるようなことをしているつもりは無いけど、何も言ってもらえない
というのはつまらないものだよ」
「・・・・・」
穏やかに話す壱郎は常識人には思えるものの、ここで気を許すわけにはいかなかった。
(俺は、何時までこんなところで酒を飲んでいるんだ)
きっと壱郎は、自分の息子と太朗の関係のことを言うために自分を呼んだはずだった。それならば、何時話を切り出されるかとド
キドキして待っているよりも、こちらから言った方がまだましだ。
「上杉さん、私に何か言いたいことがあって呼び出したんでしょう?はっきり言ってください、私もそのつもりで来ましたから」
生真面目な人間だと思う。
もっと若い頃なら鼻につき、ネチネチと苛めたであろうが・・・・・今は歳をとったせいか、この生真面目さが好ましく感じた。
この父親に育てられた太朗なら、きっとずっと息子の傍にいてくれるだろう。
(太朗君のことを考えれば、別れさせた方がいいというのも分かるけれどね)
それでも、息子が欲しいというのならば、あれだけ真剣な眼差しで見つめる相手が出来たならば、少しでも手助けをしたいと
思っても仕方がないだろう。
ただ、簡単に実る恋などつまらない。
若い頃、かなりヤンチャをしていた息子に、本当に太朗一筋に思いを向けてもらうためにも、少々障害はあった方が面白いだろ
うと思うが。
「言っていいのかな?」
「・・・・・い・・・・・」
「い?」
「いい、ですっ」
厳つい顔をますます強張らせて、苑江は真っ直ぐに壱郎に向き直って頷く。何だか生真面目な生徒を前にした教師のような、
くすぐったい気分になってしまった。
「そんな風に覚悟をしてもらって嬉しいけど、本当に僕は息子の擁護をしにきたわけじゃないんだよ?」
「・・・・・は?」
「もっと、君を知りたいと思っただけ」
「・・・・・え」
その瞬間、ざっと身を引く苑江の慌てぶりが可笑しくて、壱郎はプッとふき出すと堪えきれずに笑い始めた。
太朗といい、苑江といい、息子は楽しい知り合いばかりいて羨ましい。こんなことなら何年も音信不通にしていないで、自分か
ら積極的に会いに来れば良かったと思った。
「こうして、君と飲みたかったから・・・・・これだけじゃ理由にならないかな?」
笑みを含んだ声で言うと、苑江はますます焦ったように後ずさった。
(ほ、本気なのか?この人は)
50を過ぎた男が・・・・・世間ではそれなりの常識を持ち、高い地位にいるはずの年齢の男が、こんなにも何も考えていないよう
な言動でいいのか?
「・・・・・」
苑江は溜め息をついた。色々なことを考えて、考え過ぎて、どんな風な言葉で相手を説得しようか、就業時間前からずっと考
えていた自分が馬鹿らしい。
「・・・・・」
苑江は傍に置いてあったまだ手付かずの焼酎のお湯割をくっと飲み干した。
「おかわり下さいっ」
「あ、調子出てきたねえ」
「何だか馬鹿らしくなって」
「馬鹿らしい?」
「私の息子とあなたの息子のことは、私達には関係ないはずなのに・・・・・あ、いや、確かに関係はありますが、いくらあの男が
憎らしいからって、親のあなたにあたるわけにはいかないし」
あたるなら、あの男本人にぶつけなければ面白くない。
(それに、親に何を言ったって、あの男が堪えるようには思えない)
会ったのは僅かな時間だったが、あの男の傲岸不遜な性格はよく伝わってきた。自分よりも幾つも違わない年下の、そのくせ
自分よりも遥かに金も持って、顔もいい男。
(それだけじゃ・・・・・ないんだろう・・・・・)
太朗は、女ではない。そして、狡猾でもない。
外見で人を判断しない息子が、男でもいいと選んだ人間だ。それなりの価値がどこかにあるのだろうと思うが、親としてはどうして
も2人の付き合いに素直に頷くことは出来なかった。
「・・・・・当然だ、許せるはずが無いっ」
「分かる分かる」
「あなたっ、本当に分かっているんですかっ?」
「うん、少しは」
「あのね〜っ」
あくまでも暢気な壱郎の言葉にイライラしてしまうが、壱郎は全く違うことを聞いてきた。
「・・・・・ねえ、苑江さん。君、どうして僕に対して敬語を使うんだい?もっとフランクに話してくれてもいいんだけど」
「・・・・・自分より年上の方に、乱暴な口なんか出来ませんよ」
「はははっ、真面目だね〜」
早く帰るつもりだったのに、苑江は日付が変わる寸前まで壱郎と飲んでいた。
少し変わった男だったが壱郎は聞き上手で、苑江の職場の話から(もちろん企業秘密は漏らさないが)、家庭の話まで、どんな
ことでも楽しそうに聞いてくれた。
中でも、壱郎が楽しそうだったのは子供達の話だ。
太朗と伍朗の生まれた時の話から、今現在まで、自分の息子の恋人の話というよりは、親戚の・・・・・まるで自分の兄弟の子
供の話のように興味深そうに聞いていた。
親馬鹿と自負している苑江の話は尽きることが無く、そのまま2件目、3件目と移って・・・・・気がつくと、玄関の廊下の上で
大の字になっていた。
「あ・・・・・れ?」
大きな身体の自分を、細腕の妻や子供達だけで運ぶことなどとても出来なかったのだろう。
それでも、風邪をひかないようにと身体にはたくさんの布団が掛けられ、枕までしてくれているのが何だか嬉しくて。
「・・・・・」
苑江は思わず笑ってしまうと、そのまま目を閉じて・・・・・再び心地良い眠りに落ちていった。
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