STEP UP !
17
父が飲んで夜遅く帰ってきてから5日。
太朗はただいま、《ジローいい男大作戦》決行中だった。もちろん、それは容姿などではなく、上杉の内面の良さを父に知っても
らいたかったからだ。
「ジローさん、俺の前じゃ煙草止めてくれたんだよ?」
禁煙しているとは言い切ることは出来ないが。
「遅くなった時は、ちゃんと車で家の前まで送ってくれるし、ジローの散歩だってちゃんと付き合ってくれるんだ」
ズルズルと、そのまま外泊にもつれ込まれることもままあったけれど。
「喧嘩も強いんだけど、自分からは手を出さないし」
周りに守ってくれる部下がいるからかもしれないが。
一つ一つ言葉にしながら、自分の心の中で突っ込んで、それでも太朗は父に少しでも上杉のことを知ってもらいたいと強く思っ
た。もちろん、実際に会って話をしてくれることが一番手っ取り早いのかもしれないが、今の父の状況では無理だろう。
会うなり2人が喧嘩をしてしまうことは絶対に避けたいと思う。
・・・・・だだ。
(なんか、ちょっと・・・・・変なんだよな)
殺気が無い。
先程太朗から掛かってきた電話でそう聞いた上杉は、どうしてだろうと聞かれてもすぐに答えることは出来なかった。
どうやら太朗の父、苑江は、数日前に飲んで帰って以降、少しだけ態度が軟化しているらしい。
もちろん、自分の方から上杉の話をふることはないようだが、それでも太朗が上杉のことを話していても無言でその場を立ち去
ることも、怒って眉を潜めることもなくなったようだ。
『ねえ、いったいどうしてだと思う?』
それは、こっちこそ知りたい。
「・・・・・壱郎さんの功績ですかね」
太朗との会話を側で聞いていた小田切が楽しそうに言った。
「知るか」
「でも、この間太朗君の父親を飲みに連れ出したのは彼でしょう?」
「・・・・・」
(全く、何考えてるかちっとも分からねえ)
あの夜、結局何度電話を掛けても留守電だった父親は、翌日の昼過ぎ、自分の方から上杉に連絡をしてきた。
『何度も電話をくれるなんて、そんなに僕の声が聞きたかった?』
ふざけたことを言う父親に、夕べのことを白状させようとした上杉だったが、たった一度の問い掛けに、父親は拍子抜けするよう
に素直にそうだよと頷いた。
「お前、どういうつもりだ?」
『ん〜、特にはねえ』
「俺とタロを別れさせたいのか?」
『何言ってるんだよ、ちっともそんな気はないくせに』
楽しそうに笑った父親は、ただ親同士で飲みたかったんだとだけ言った。
『お前と太朗君のことには触れてないよ。あのねえ、滋郎、あのお父さん面白いよ〜?あの親だから、太朗君みたいないい子
が生まれたんだろうねえ』
そう言った父親は、後は何を聞いても言葉を濁すだけだった。
いい加減上杉が切るぞと怒鳴っても、じゃあねと言って自分から電話を切ったくらいだ。
「あの男、本当に俺の親か?」
「自分が生まれた時のことは分かりませんしねえ。疑うのならDNA鑑定でもしたらどうです?でも、私から見たら、あなたとあの
人は何だか似ていますよ」
「・・・・・冗談は止めろ」
「本気なんですけど」
「・・・・・」
父親といい、この小田切といい、どうして自分の周りには癖のある人間が多いのだろうか。
(・・・・・タロが足りない・・・・・)
ちょっとしたことでイライラしてしまうのは、きっと、素直で単純で、とにかく可愛い太朗が全然足りないせいだ。
あの日だって、父親が飲んで遅くなるのだったら、あのままマンションに連れ込んで、快感に弱い身体を思い切り啼かせてやった
ら良かったとさえ思っていた。
(変にいい人間に見せようとするとろくなことが無いな)
「・・・・・ったく、男で、歳の差があるだけでこんなんじゃ、俺がヤクザだって知ったらどうなるか・・・・・」
「・・・・・そうでもないんじゃないんですか?」
少し考えたような小田切が言った。
「ん?」
「あの父親だったら、一度受け入れたら後はどんなことでも動じないような気がしますけど」
「自分は公務員なのにか?」
普通の会社員だってヤクザという存在を怖がり、疎むのに、公務員ともなればそれはもっと顕著のはずだ。
(どういう基準で考えてるんだ?)
「息子の恋人と自分の職業は違うんじゃないんですか?」
「・・・・・」
小田切自身、恋人が警察官という変わったカップルだ。
小田切は自分が誘いをかけたと言っていたが、一夜の遊びならともかく、恋人といえるような位置に警察官の男を置くなど本来
はとても考えられない。
何回か会ったことのある犬は、小田切の上司で常に側にいるというだけで自分にまで嫉妬の目を向けていて・・・・・あの様子
を見れば、向こうから積極的にアプローチをしてきたとしか思えなかった。
「お前はどうなんだ?」
「私ですか?飼い犬が外でどんな遊びをしようと構いませんよ」
家に帰れば従順ですからと言う小田切と自分の思考は、多分共通するものは無いような気がした。
「ただいまあ〜!」
学校から帰ると、父も母も弟も家にはいなかった。
台所のテーブルの上を見ると、どうやら母は弟を連れて買い物に行ったらしい。
「・・・・・俺も、ジローの散歩に行かないと」
独り言のように呟いた太朗は、その拍子にはあ〜っと溜め息をついてしまった。
(・・・・・なんか、やる気が起きないんだよなあ)
大好きな犬との散歩は苦痛ではないはずなのに、何だか億劫なのだ。
「・・・・・」
原因は、さすがにもう自分でも気付いている。散歩に行っても、そこで上杉に会えないからだ。
「・・・・・ジローさん・・・・・」
以前も、散歩に行くたびに会えたというわけではなく、会ったとしても、本当に数十分で帰ってしまうことだってあった。
それでも、大好きな人と一緒にいる時間は楽しくて、太朗はそれまで以上に犬の散歩の時間が待ち遠しく思っていたのだが、今
は自分から会うのを控えようと言った手前、会いたいと電話を掛けるのさえ躊躇ってしまうのだ。
父のことが心配だからという太朗の言葉に上杉は納得をしてくれたが、この会えない時間、上杉はいったい何をしているのだろ
う?
先日、壱郎に連れ出され、そこへ上杉は迎えに来てくれたが、どこにも寄り道をすることなく、自分の家まで送ってくれた。
今までの上杉なら、強引にマンションに連れて行くことだってしたかもしれないのに・・・・・。
「・・・・・まさか・・・・・?」
(う、浮気してるってこと・・・・・ないよ、な?)
煩い父親がいる太朗を面倒に思って、その間綺麗な女の人と浮気でもしようかと思っていないだろうか・・・・・?
「・・・・・っ」
太朗は急いで部屋に行って制服から着替えると、携帯と家の鍵だけ持って外に飛び出す。
「ジローッ、散歩は中止!!」
犬小屋の前に寝そべっていた愛犬は、少しだけ顔を上げると再び眠りの体勢になった。
夕べ夜勤だった苑江は、早く帰ってくださいという署員の言葉にもズルズルと残業してしまい、午後4時、ようやく着替えて建物
から出た途端、
「父ちゃん!」
元気な声が自分を呼び止めた。
「太朗?」
幼い頃は本物の消防車に(こっそりと)乗せてやったりして職場にも連れて来ていたが、高校生になってからはほとんどその機会
はなかった。
そんな太朗がわざわざここまで何をしに来たのか・・・・・苑江は顰めそうになる顔を何とか我慢した。
「どうしたんだ?迎えに来てくれたのか」
「一緒に行って欲しい場所があるんだ!」
「・・・・・場所?」
「ジローさんのとこ!」
なぜか、互いの家族を含めて食事をしてから、太朗は意識してあの男のことを口に出すようになった。
あの男が自分にどんなに優しく、大事にしてくれているか。
色んな、大切なことを教えてくれているか。
大勢の部下の上に立ち、仕事を一生懸命しているか。
しかし、もう一度会ってほしいということは言わず、本人もどうやらあの男と会うのを控えていた様子だったのだが、どうして今、
一緒に会おうと言い出したのか・・・・・分からない。
(・・・・・まさか、な)
先日一緒に飲んだあの男の父親の顔が一瞬頭の中に浮かんだが、あの父親は自分にきっぱりと言ったのだ。
「僕は傍観者だから」
口調は柔らかいものの、多分あの言葉は嘘ではないように思えた。そう考えると、何らかの切っ掛けがあって、太朗自身がそう
決断したということになる。
「太朗、お前・・・・・」
「俺っ、ここで後悔したくないから!」
「後悔?」
「このままどんどん会う時間がなくなって、離れて行っちゃって・・・・・その間に誰かに取られるのなんて嫌なんだ!」
それは、言葉は少々幼稚ながら、立派に愛の告白・・・・・いや、嫉妬だ。
あの男を他の誰にも渡したくないと、父親の自分に向ってきっぱりと言う太朗に、苑江は次の言葉がなかなか出てこなかった。
「父ちゃん、お願い!」
「・・・・・」
「父ちゃん!」
行きたくないと言えば、きっと太朗は悲しむだろう。しかし、苑江はまだあの男に改めて会う覚悟は出来ていない。
2人を引き離したいのにそれが無理だろうということも感じている今、苑江は自分がどんな行動を取ればいいのかと、太朗の顔
を見ながら考えてしまった。
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