STEP UP !
18
『今から行くから!』
意味の分からない太朗からのメールが届いたのは、今から1時間ほど前だ。
上杉は直ぐに電話を掛けたが、携帯に太朗は出ず、家も留守電になっていた。
(今からって・・・・・あいつ、どこから?)
場所さえ分かれば迎えに行ってやれるのだが・・・・・それも分からない。
いや、太朗には護衛をつけているので、連絡をつければ直ぐに分かるのだが、もしもの場合を除いて出来るだけ行動を縛り付け
たいとは思わず、とにかくここで待っていれば来るはずだと、気持ちを落ち着かせた。
「・・・・・」
(もうそろそろか・・・・・?)
上杉がもう一度時計を見上げた時だった。
ドアがノックされて、小田切が顔を見せた。
「お待ちかねの方がいらっしゃいましたよ」
「・・・・・」
(・・・・・変だな)
何時もの小田切ならば、わざわざ報告をする前に太朗を一緒に連れてくるはずだ。その小田切がこんな断りを言いに来るとは、
いや、それが当たり前なのだが、珍しくその手順を取った小田切を眉を潜めて見つめた。
「・・・・・通せ」
「よろしいですか?」
少しだけ目元を緩めているその様子は、どうも楽しんでいるようだ。このドアの向こうに小田切を楽しませる何かがあるのだと思
うと不気味だが、上杉は今更嫌だとは言えなかった。
「ジローさん」
「タロ」
上杉が何時も仕事をしている部屋(太朗がその姿を見ることは極端に少ないが)に入ると、既に立っていた上杉は目を細めて
名前を呼んでくれた。
(・・・・・大好きなんだよなあ)
男らしい容貌も。
見惚れるほどに良いスタイルも。
外見ももちろん好きだが、太朗が一番好きなのは上杉が自分を見てくれる目だ。この視線を見れば、上杉のことを疑った自分
の方が恥ずかしく思ってしまう。
(ジローさんは・・・・・浮気なんかしない)
少なくとも、太朗と付き合っている間は他に目を向けることは無いはずだ。もしも、他に好きな相手が出来たとしたら、その相手
と太朗両方と付き合うような不誠実な男ではないと思った。
「お前、どうしたんだ?」
「今日はね、父ちゃんも連れてきた」
「・・・・・はあ?」
さすがに驚いたように上杉が声を上げる。
その上杉ににっと笑い掛けてから、太朗は後ろを振り返った。
「父ちゃん」
(・・・・・何の会社なんだ?)
苑江は太朗の後ろをついて歩きながら、どうしても眉間に刻まれてしまう皺を解くことが出来なかった。
まだ30代・・・・・その男が、こんな大きなビルで会社を構えているという。太朗の話ではこのビルは自社ビルらしく、そうだとすれば
上杉の持ち物ということだ。
太朗とのことが分かってからろくに名刺も見ていなかったが、あの肩書きはそれ程儲かるものなのだろうか?
「・・・・・」
(それに、ここの社員は・・・・・)
受付に座っていた女子社員は普通であったし、時折すれ違う者も普通のサラリーマンに見えたが、所々にいる男達の目付きが
というか、雰囲気が・・・・・少し、違和感があった。
そう考えても、ただのという言葉が似合わない感じがする。
「あ、こんにちは!」
「いらっしゃい」
しかし、太朗はごく普通に男達に声を掛け、男達も太朗がそこにいることに違和感なく言葉を返していた。それだけ、太朗がこ
こに来ているということの証明でもあるだろうが、そんな太朗が少しもここの雰囲気を怖がっていないということは、今自分が感じて
いるのは上杉に対する偏見の目が見せているものなのかと、苑江は偏りがちになってしまう自分の思考を出来るだけもとに戻そう
と思った。
「こちらです」
案内してくれる小田切という男は、最初、太朗と共に現れた自分を見た時に少しだけ驚いた表情だったが、今はどこか楽しそ
うに笑みさえ浮かべている。
上杉以上に苦手なタイプ(上杉の父親と同じくらいかもしれない)な彼のその視線に耐えながら上の階へ上がると、少しお待ちく
ださいと先ずは小田切がノックをして部屋の中に入った。
「父ちゃん」
すると、それまで前を向いていた太朗が振り返った。その表情は少しだけ硬い。
「・・・・・ここまで、一緒に来てくれてありがと」
「太朗・・・・・」
「ジローさんのこと・・・・・今日、もっと分かるかもしれないけど、大丈夫だからね?俺、ちゃんと考えて、それでもジローさんのこ
とが好きだって思っているから」
「・・・・・」
どういう意味で太朗がそう言ったのか分からないが、そこには強い決意が見える。怒ることも笑ってごまかすことも出来なかった苑
江は、
「どうぞ」
そう、呼びにきた小田切の言葉に顔を上げた。
父がこの会社を見てどう思っているのかは分からない。それでも、本当に知って欲しい、許して欲しいと思うのならば、何かを隠
したままでということは卑怯だと思った。
この先、ずっと上杉と付き合っていくつもりならば、いつかは上杉の生業も知られてしまう。受け入れてもらった後でそれを知られ、
上杉が非難されることは避けたい。
「・・・・・」
上杉は太朗の後ろから現れた父の姿を見て、何かを問うような視線を太朗に向けてくる。
それに向って、太朗は先ず、聞いておきたかったことを口にした。
「ジローさん、浮気してないよね」
「はあ?何言ってんだ、お前は」
「・・・・・してない?」
「するわけ無いだろ」
「・・・・・うん、分かった。ごめん、疑ったりして」
違うとは思っていたが、実際に顔を見て、言葉で否定してもらって安心した。
「お前、そんなことを聞くために来たのか?」
「それもあるけど・・・・・父ちゃんに、ジローさんのこと、全部見てもらいたいって思ったんだ。・・・・・ごめん、勝手に動いちゃって、
でもっ」
「いいって」
「ジローさん」
「お前の方から動いてもらって・・・・・少し情けないがな」
そう言った上杉は太朗の頭をクシャッと大きな手で撫でてくれた。父と同じ、優しい感触。しかし、嬉しさと同時にドキドキ感も
感じるのは、きっと相手が上杉だからだ。
(ジローさん、分かってくれたんだ・・・・・)
真っ向勝負をしたいという太朗の気持ちを、こんなにもいきなりなのにちゃんと受け止めてくれた。さすが、自分の好きになった人
だと思う。
そして・・・・・。
「苑江さん」
上杉が、太朗の後ろに立つ父に視線を向ける。大好きな父が、上杉の本当の姿を知っても、偏見の目で見ないで欲しいと心
から思った。
「わざわざ来ていただいて、すみませんね」
「・・・・・いや」
本当は来るのを躊躇ってしまったということはとても言えなかった。
目の前の男に向けた太朗の眼差しと、嬉しそうな表情。親である自分に向けるのとはまた違ったその顔を見るのが気恥ずかしく
て・・・・・寂しかった。それは、相手が、この自分よりも格上に見える男だからだということではなく、自分以外にということ自体に、
ショックを受けているのだとも分かっている。
子供の恋人と張り合う方が馬鹿らしいのかもしれないが、それまでの親密な親子関係から考えると、こんなにも早く(高校3
年生では遅いかもしれないが)自分の手から離れていってしまうとは正直考えたくはなかった。
「・・・・・立派な会社だ」
「どうも」
「社員も多いようだし」
「まあ、ここにいない連中も含めればいるかもしれませんね」
自分以上に落ち着いていて、形ばかりの謙遜もしない目の前の男が憎らしい。苑江は部屋の中に視線を向けながら、次にど
んな言葉を言おうかめまぐるしく考えた。
すると、
「変な感じ、しませんでしたか?」
いきなり、上杉が笑みを含んだ声で意味が分からないことを聞いてきた。
「変な、感じ?」
同じ言葉を繰り返して言った苑江は、ふと感じていた違和感のことかと思った。どう考えても、普通のサラリーマンがしないような
厳しい眼差しをしていた男達。仕事上、色んな企業を訪問していた苑江にとっても、どうも馴染めない雰囲気がここにはあるよ
うな気がしたが・・・・・。
「やっぱり、気付いたか」
苑江の表情に肯定の意味を見たのか、上杉は更に笑みを深く・・・・・いや、苦笑のようなものに変化をして、どうぞとソファの方
へと誘った。太朗の肩を抱いたままだというのは気に入らなかったが、苑江は黙って歩いていくと、上杉と太朗が腰掛けたソファの
前へと腰を下ろす。
「小田切、バッジ」
「・・・・・はい」
(バッジ?)
苑江の疑問を含んだ眼差しが、机から何かを持ってくる小田切の姿を追った。
「どうぞ」
小田切に何かを手渡された上杉は、そのままそれをテーブルの上に置いた。それは、金色の小さなバッジだ。社員章のようだが
違うのだろうか?
「見たことは?」
「・・・・・いや、無いと思うが・・・・・」
「・・・・・これは、大東組系羽生会の印・・・・・苑江さん、俺は羽生会という組を背負っているヤクザなんですよ」
「!」
苑江はいきなりの告白に息をのんでしまった。
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