STEP UP !
19
上杉は注意深く苑江の変化を見ていた。
驚いたように目を見張り、次には何を思ったのか眉を顰め、今は怒りを堪えた表情になっている。
(予想通りの反応だな)
人の頭の中まで見えるわけではないし、心の中を窺い知ることはとても出来ない。しかし、一般的な意見を考えれば、ヤクザ
の自分が高校生の少年を誑かした・・・・・そう思うだろう。
太朗の今までの話からしても、子供を愛して育ててきた男だ。きっと・・・・・。
「・・・・・!」
「父ちゃんっ!」
上杉が考える間もなく、その襟首を掴まれたかと思うと、激しい衝撃が右頬を襲った。
「・・・・・っ」
大柄な体格に似合う重い拳の威力に、さすがに上杉はソファの上に身体を投げ出された。それでも、その手が右手ではなく、
左手だったということが、苑江の迷いを表しているように見える。
全く知らないわけではなく、もう何度か会ってしまっている以上、苑江は嫌でも太朗が自分にどういう感情を持っているのか見
知っているはずだ。
そんな太朗の目の前で、力任せに上杉を殴ることは出来なかったのだろう。上杉からすれば甘いとしか思えないが、それが親と
いうものなのかもしれない。
「父ちゃんっ、何するんだよ!」
しかし、太朗はいきなり上杉を殴った父親に詰め寄った。
「いきなり、暴力振るうなんて酷いよ!」
「・・・・・」
「ジローさんは、ちゃんと父ちゃんに全部話そうとしてくれているのに、どうして話を聞いてくれないんだ!」
「太朗・・・・・」
「ジローさんは、絶対に父ちゃんに手を上げたりしない!抵抗しない相手に手を出すなんてっ、本当なら父ちゃんが一番嫌い
なことなんじゃないか!」
愛する息子から詰られた苑江は、呆然と立ったまま拳を握り締めている。上杉には、その表情が途方にくれているように見えた。
「父ちゃん!」
「タロ、言うな」
「だ、だって!」
「それ以上言ったら、お前も辛くなる」
今は、父親が上杉を殴ったことにショックを受け、驚いて、興奮して、父親を責めているが、少し落ち着いてしまった後、きっと
太朗は、父親にそんな言葉を投げつけてしまったことを後悔するはずだ。
太朗にはそんな思いをさせたくは無かった。
見かけの厳つさとは違い、暴力を振るうことの嫌いな父は、どんな理不尽なことでも先ず口で注意をして、分かるまで相手と
話すような人だった。母に聞けは、喧嘩が弱いというわけではなく、柔道と空手は段も取っているらしいが、そもそも《暴力》とい
うことが嫌いな人なのと笑っていた。
強いのに、その強さを極力使わない父がカッコよくて、太朗はずっと尊敬し、憧れていたが・・・・・。
(どうして・・・・・っ)
初めて見たといってもいい父の力を振るう姿。それが、自分の大好きな人に対してというのが太朗にとってはとてもショックで、無
意識のうちに自分の口からは父を非難する言葉が零れてしまった。
「タロ、言うな」
そんな太朗を、上杉が抑えた。
「だ、だって!」
「それ以上言ったら、お前も辛くなる」
「・・・・・っ」
(どうして・・・・・!)
こんなにも、自分の気持ちを分かってくれる優しい人なのだ。それが、ヤクザだというその生業だけで、どうして不当に評価をされ
なくてはならないのだろう。
もちろん、太朗も世間から見たヤクザというものの反社会的な姿は知っているつもりだ。しかし、上杉は違う。自分の大好きな
この男は、違うのだ。
「父ちゃん・・・・・どうしたら、許してくれるんだよ・・・・・?」
「・・・・・」
「俺・・・・・俺、父ちゃんが大好きだから、俺が選んだジローさんのこと、好きになってもらいたくって・・・・・何が駄目?どうしたら
いい?ねえ、父ちゃん」
未成年の自分が悔しい。未成年だから、対等に恋愛をしているつもりでも、全て上杉が悪いことになってしまう。
確かに最初は上杉からのアプローチだったが、心を惹かれ、全てを受け入れようと思ったのは自分だ。自分で選んで、この手の
中に掴んで、今は少しも後悔していない。
人に気安く言えない関係だとも十分分かっているが、それでも・・・・・この男がいいのだ。
「父ちゃん・・・・・」
「・・・・・太朗・・・・・」
太朗の気持ちがぶれないということを思い知った苑江は、この先、まだ若い太朗の気持ちが変化していくのを待つしかないかと
半ば諦めに近い気持ちになっていたことは確かだった。
太朗の気持ちや、上杉の想いが簡単に折れることはないとも感じていたが、それでも、まだこれから先が長い太朗にとっては、こ
れが人生の通過点になる可能性はあった。
しかし、そんな苑江にとっても、目の前の男がヤクザだということは驚愕といってもいい事実だった。
普通の会社員でも、30も半ばを過ぎた男が男子高校生と付き合うということはかなり稀なことなはずだが、その男がヤクザの、
それもただのチンピラなどではなく、一つの組を背負っているとは・・・・・。
上杉の、太朗への愛情を信じないというわけではない。だが、それだけではすまない問題だ。
「・・・・・お前・・・・・」
「・・・・・」
「お前、もしかして無理矢理・・・・・」
「多分、違う」
「・・・・・多分、だと?」
「俺にしては十分過ぎるほど時間を掛けたつもりだが、タロに逃げ場を与えなかったのは事実だしな。こいつを見付けた時から、
絶対欲しいと思った。だから、無理矢理と考えればそう思えなくも無いなとな」
「・・・・・」
もっと言い訳をすればいいのに、この男は無駄に正直だ。苑江は内心舌をうちたくなった。
どうせなら自分を恫喝するか、それとも狡猾に脅してくるかすれば、自分の中のモヤモヤはいっそ消えてしまうと思ったのに、こんな
風に誠実に話されると、言葉を断ち切ることも出来ない。
「・・・・・組の顔を殴った俺は、ずっと狙われるということか?」
「さあ。どうだ、小田切」
それまで、静かな笑みを湛えて黙って立っていた小田切が、いいえと直ぐに否定をした。
「これは組の問題というよりも、会長個人の問題ですから。どこの世界でも、大切なお子さんを攫う者は疎まれても当然ですし
ね。それに、会長はちょっとやそっとじゃ壊れないくらい頑丈ですから」
「だ、そうだ」
「・・・・・」
この、エリート然とした綺麗な容姿の男も、ヤクザということなのだろう。
(・・・・・想像と違う)
警察官ではないものの、消防の関係でヤクザの事務所や屋敷に行ったことがある。
しかし、そこで見た組員は粗野で、喧嘩っ早く、とても社会に溶け込めないのではと思う者が多かった。それらから比べれば、ここ
の事務所にいる者達は目付きは悪いものの、きっちりとした統制は取れているように思えた。
(・・・・・っ、くそっ)
そこまで考えた苑江は、ますます顔を顰める。
何か一つでもこの男のいい所を探そうとしている自分を、苑江は認めたくなかった。
自分を殴った時は、確かに感情が爆発したのだろう。歯は折れてはいないものの、口の中を切ったのか苦い血の味がしている
のは確かだ。
しかし、今は少し、トーンが落ちている。あまりの驚きに神経が飽和状態になったのか、それとも、大切な息子である太朗に非
難されたのがよほど堪えたのかは分からないが。
(どうせ、一発は殴られるつもりだったしな)
初対面のやり直しだと上杉は考えており、この一発でいいのかとさえ思っていた。
「・・・・・」
「・・・・・」
苑江親子はじっと互いを見ている。上杉は隣で立ち上がっている太朗の腕を引いて、少し強引に自分の膝の上へと腰を下ろさ
せた。
「ジ、ジローさんっ?」
何をするんだと、太朗は慌てたように上杉を振り返る。その表情がやっと何時もの太朗に戻ったようで安心した上杉は、もっと
怒らせたくなってからかった。
「お前が何時までも父親と見つめ合ってるからだろ。お前が見るのは、この俺」
「あ、あのねえ」
「何時もいい男だって褒めてくれるだろーが。それとも、お前はやっぱり熊が好みか?」
「クマ・・・・・?」
無意識なのだろうが、太朗の眼差しが父親に向けられる。それだけで太朗の中の父親のイメージが鮮明に分かって、上杉は
思わずくくっと笑みを零した。
「・・・・・」
「タロ?」
「・・・・・好みで言えば、クマの方が好きだな」
「おい」
思った通りのその返しに、上杉は苦笑を漏らす。しかし・・・・・次の太朗の言葉には、さすがの上杉も普通の表情を保ってはい
られなかった。
「でも、クマよりもジローさんが好きだから」
「・・・・・」
(・・・・・おいおい、タロ~)
上杉は自分の今の顔を誰にも見せたくは無かった。きっと、デレデレで、情けない表情になっているはずだ。
自分の父親の前で、太朗がこんな風にはっきりと言うとは思わなかったし、上杉自身もこんな反応が返ってくるとは思わなかった
が、もちろん、嬉しいと思わないはずが無い。
「・・・・・」
自分の膝の上に座らせている太朗の身体越しに、上杉は苑江を見た。
「・・・・・」
苑江は、太朗を見ている。立ったまま、両手の拳を握り締めたまま、じっと、自分の愛する息子の顔を見ていた。
「・・・・・太朗」
やがて、苑江は太朗の名前を呼んだ。太朗は、直ぐに何と返事を返す。
「お前は・・・・・本当に、その男でいいのか?」
「だって、大好きなんだよ」
「太朗・・・・・」
「他の人には渡したくないって思ってるし・・・・・これって、独占欲ってやつだよね?俺、ジローさん以外にそんなこと感じたこと無
いんだ。俺ね、女みたいに守られるだけじゃないつもりだよ?ジローさんを、ちゃんと守ってあげたい。もちろん、父ちゃんが何時も
言ってるように、暴力じゃ何も解決しないっていうことも分かってるから」
その途端、苑江が大きな溜め息をつくのが分かった。大きな身体が崩れるようにソファの上に投げ出されると、太朗は慌てて上
杉の膝から立ち上がって苑江に駆け寄る。
「父ちゃんっ?」
「・・・・・親として・・・・・ここで、認めるとは・・・・・言ってはいけないと思っている」
呻くように、苑江は口を開いた。
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