STEP UP !



20








 自分の隣で、太朗の顔が泣きそうに歪んだのが分かる。
父親を慕う太朗にとって、この苑江の言葉は覚悟していたものだとしても辛いものだろうが、上杉にすれば当然の反応で、いや、
想像以上に柔らかな表現だとさえ思った。
(タロを気遣ってるのか・・・・・いや、俺のことも・・・・・)
 苑江にとって一番に考えなければならない太朗の気持ちを考えた上での言い回しだろうが、その中に上杉への配慮も含まれて
いる気がして苦笑がもれた。
真っ直ぐな気性の太朗の父親は、こんな場面でも・・・・・出来るだけ上杉に偏見の目を向けまいとしている気がしたのだ。
ありがたくて、申し訳ない・・・・・複雑な思いだった。
 「父ちゃん・・・・・」
 「俺は、お前のことを信じている。まだ子供だって人は言うかもしれないが、その子供だって人をどう見るか・・・・・子供の目の方
が正しいと思うこともあるしな」
 「・・・・・」
 「お前が言う通り、上杉さんはいい人間かもしれない。お前を大切に思ってくれているのだって分かるさ。でもな、太朗・・・・・普
通の親は、子供がヤクザに係わることを嬉しいとは思わない。そのうえ、男同士で・・・・・」
 苑江は太朗から上杉に視線を移した。何かを耐えるような、懇願するような、複雑な色合いになった視線を、上杉は黙って見
返すだけだ。
 「あんたに別れてくださいって言っても・・・・・駄目なんだろうな」
 「悪いが、無駄だな。俺はタロを離さない」
 「・・・・・」
 「最悪な人間に見込まれたと思って、諦めてもらうしかないな」
 「・・・・・」
 苑江は眉間の皺をますます深くする。
すると、そんな上杉を振り返った太朗は(どうやら泣いてはいないようだ)、その腕を掴みながら違うと言った。
 「諦めてもらうんじゃ駄目だよっ。俺、ちゃんと認めて欲しい」




 自分の言っていることがさすがに綺麗ごとだというのは自覚しているつもりだ。
男同士な上、相手はヤクザで、親としたら、どこに賛成材料があるのか分からないだろう。
(でも・・・・・っ)
 諦めてもらって、暗黙の了解のように付き合って・・・・・誰にも、自分が好きなのはこの人だと言えないまま一生を過ごしていく
のなんて、太朗には耐えられない。
 見知らぬ人にまで自分達の関係を祝福してくれとは言わないが、せめて自分の家族には、自分の大好きな人達には、自分
と上杉のことをちゃんと認めて、祝福して欲しい。
(時間が掛かったって、全然いいよなっ)
 「父ちゃんっ、俺、攻め続けるからっ」
 「太朗・・・・・」
 「父ちゃんが煩いって言っても、ジローさんのいいところを伝えるし、どういう人なのか分かってもらうっ」
 真っ直ぐに父を見つめて言うと、心なしか父の眉間の皺が薄くなったような気がする。呆れたのだろうが、それとも仕方ないなと
諦めたのだろうか。
 「・・・・・泣くぞ」
 「父ちゃん」
 「きっと・・・・・泣く。お前は素直で優しいから、この男を受け入れてくれない世間に対して、悲しくて辛くて泣くだろう。それでも
いいのか?」
 「な、泣くわけ無いじゃん!俺っ、男なんだぞっ?」
 たとえ泣きたいことがあったとしても、絶対に後悔はしないと言える。するくらいなら、最初から上杉のような男を好きになったりは
しないはずだ。
(ジローさんのことだから、強引にってことはありえるけど)
 「大丈夫だって、父ちゃん」




 話す言葉や考え方は、生まれた時からずっと自分が慈しんで育てた太朗のものと全く変わりない。こんなに変わらないのに、も
うこの目の前の男を一生の相手と決めているということが・・・・・悔しい。
 「・・・・・俺が警察官なら、淫行罪でしょっ引くのにな・・・・・」
 「インコーザイ?」
 「お前の歳はな、いくら本人同士が好き合っていても、その、関係を持つことは犯罪なんだ」
 「えーっ?」
 全く思いつかなかったのか、太朗は思わずというように上杉を仰ぎ見る。
すると、この憎らしい男は、ちらっと自分の方に視線を向けてきて、口元に意味深な笑みを浮かべた。
(なんだ?)
 「まあ、それも本当だが、お互いに将来の約束をするくらい真剣なら、それは淫行とは言わないんじゃねえか?」
 「しょ、将来って・・・・・」
 「お前、上杉太朗になるんだろ?」
 「えっ?」
 「許さんぞ!!」
 驚く太朗以上の声を上げて、苑江は上杉に詰め寄った。
こんなヤクザな男に大事な息子を奪われ、その上、戸籍上までも自分から離されるというのは冗談でも許さない。太朗は、一
生、《苑江太朗》だ。
 「許さんからな!!」
 興奮して叫ぶ自分を、目を丸くして見ている息子と、堪えきれない笑い声を漏らしている男。
今、この男が本当にそう思っているとは思えないと頭のどこかで分かってはいるものの、苑江はこんな心臓の悪い例え話を笑って
聞き逃すことはとても出来なかった。




 「熱いお茶をいかがでしょうか?」
 「・・・・・あ、はい、すみません」
 話が一応落ち着いたと見たのか、小田切が静かに言葉を挟んできた。
実直に頭を下げる苑江の頭の中には、この小田切もヤクザの一員だという認識はあるのだろうかと上杉は少し心配する。
(真面目なのも悪くないが、よく今まで何も無かったな)
 変な保証人にされるとか、詐欺に遭うとか。苑江を見ていたらそんなことまで心配になるが、もしかしたらそういった悪人も、この
生真面目さには手が出せなかったのだろうか。
どちらにせよ、もうこの男は自分の身内と同じだ。これからは自分が目を光らせればいいだろう。
 「・・・・・」
 「・・・・・ん?」
 小田切が苑江と話していると、太朗がじっと自分を見て、小さな声で言ってきた。
 「ごめんね、ジローさん」
 「どうした」
 「・・・・・やっぱり、反対されちゃった」
 「・・・・・仕方ねえ。賛成される方が驚くって」
 「・・・・・でも」
 「俺は別に悲観してないぞ?お前も言ったじゃねえか、攻めていくって。一度や二度反対されたからって、俺は何とも思っちゃ
いねえぞ、タロ。このくらいで、諦めてたまるか」
太朗を慰めるために言うのではない。
 元々、上杉としては一度で認めてもらえるなどとはとても思っていなかった。いや、先ず男同士で、20近くも年上・・・・・その
ハードルを越すことが第一段階だと思っていたほどだった。
それが、見掛けとは違う男らしい太朗が、一気にもう一つの、もしかしたら最大のハードルかもしれないヤクザだということまでば
らしてしまった。
(・・・・・ったく、タロにはかなわねえな)
 ここまできたら、もう取り繕うことも無い。ありのままの自分を見てもらい、その上で納得させるしかないだろう。もちろん、最終的
には太朗を自分のものにするのは当たり前だが。




 暴力など振るったことも無いような綺麗な指先が、流れるように熱い日本茶を差し出してくれる。
(・・・・・信じられないな)
目の前のこの男がヤクザだということが。
自分が、ヤクザの組にこうしていることが。
(・・・・・分からんな、本当に・・・・・)
 「苑江さん」
 「・・・・・は?」
 「驚かれたでしょう?」
 「・・・・・まあ、そうですね」
 あまりにも驚きすぎて、今は逆に妙に落ち着いてしまっているが、それでも今目で見たこと、耳で聞いたことは全て本当だ。
無かったことにして、平然と日常を過ごすことなど、苑江の性格からはとても出来なかった。
 「大いに、反対しても構いませんよ」
 「え?」
 いきなり、思いもかけない言葉を掛けられ、苑江は驚いて目の前の男・・・・・小田切を見た。小田切は苑江の眼差しに微笑
んで頷き、更に言葉を続けた。
 「私も、太朗君みたいないい子が、こんな悪い男に引っ掛かるのは、あまりいいことだとは思っていませんしね」
 「・・・・・」
 「おい、聞こえてるぞ!」
 上杉が横から言葉を挟んできたが、その声は怒っているというよりも楽しそうな響きだったし、
 「聞こえるように言っているんですよ」
答える男も平然としている。自分の上司にあたる上杉に、こんなに堂々と言い返すこの男はいったいどういう立場なのだろうかと
思った。
(本当に、あの男が組長・・・・・なのか?)
 「・・・・・いいんですか?反対しても?」
 「ええ」
 「・・・・・」
 「そんなことで諦める男ではありませんから」
 「・・・・・っ」
 「私が仕えようと選んだ男です。苑江さん、あなたはこの人を排除することを考えるよりも、利用しようと思った方がいいのかもし
れませんよ?」
そう言った男は、本当に楽しそうに目を細めて笑った。




(勝手なこと言いやがって)
 それは、小田切なりの後押しなのかもしれないが、それならばそれでもっと言葉を選べばいいのにと思う。どう聞いたって、小田
切の言葉の中には多分な毒が含まれているのだ。
それでも、小田切にしては非常に友好的なのだろうが。
 「・・・・・帰るか、タロ」
 「父ちゃん?」
 不意に、苑江がそう言って立ち上がった。
 「佐緒里さんと伍朗が待ってる。・・・・・上杉さん、悪いが送ってもらえますか」
 「・・・・・もちろん」
小田切の《利用する》という言葉を早速実行することにしたのだろうか・・・・・あまりにも可愛いその要求に、上杉は苦笑しながら
も立ち上がった。