STEP UP !



21








 車の中は静まり返っていた。
1人の時は分からないが、上杉は太朗を乗せている時は音楽もラジオもつけないので、余計にその沈黙が重たく感じてしまう。
(ど、どうしよ・・・・・)
 助手席に座った太朗は、チラチラと視線を後ろに向けるが、父は腕を組んで目を閉じているし、上杉はといえば、頬に少し笑
みを浮かべたまま運転を続けている。
 2人の仲をとりもつのは自分しかいないと思うものの、かといって何を話していいのか分からなくて・・・・・太朗が1人頭の中をグ
ルグルとさせていた時、ふと、後ろから声が掛かった。
 「上杉さん」
 「・・・・・っ」
 呼ばれたのは上杉なのに、太朗の方がドキッとした。
 「はい?」
当の本人はまったく普段と変わらないまま・・・・・いや、少しだけ何時もより改まった口調で応えを返す。
少し、間をおいた後、いきなり父は思い掛けないことを言った。




 「貯金はあるのか?」
 「と、父ちゃんっ?」
 突然金のことを言いだした父親に太朗は慌てたようだが、上杉も少しだけ意外に思いながら、バックミラー越しに苑江の様子
を伺った。その表情はとても興味本位という感じではなく、真剣で、上杉の答えをじっと待っている。
隠すこともないかと、上杉はまあ多少はと答えた。
 「それは、ある程度はあるって思っていいんだな?」
 「と、父ちゃんってば!」
 「・・・・・もしかして、タロと俺が分かれた時の慰謝料の心配とか?」
 「ばっ」
 目を見開いた太朗と、とっさに反論しようと口を開きかけた苑江。2人の反応を見ていると、容姿は全く似ているとは言えない
ものの、親子だなというのが分かる。
もちろん、上杉も苑江がそんなことで金のことを言い出したとは思っていない。ヤクザという生業を知ったせいか、上杉がどんなあ
くどいことをしているのかと心配しているのかもしれないが、全く心配されるようなことはなかった。
 「俺の個人の金は、表の仕事でまっとうに稼いだ金だ。タロに食わせるものも、やるものも、その金から出している。後ろ暗いこと
なんて少しもねえよ」
 「・・・・・」
 「手切れ金なんか考えちゃいねえが、結納金ならたっぷり渡すつもりだ。これでも、自分の身内には甘いんだよ、俺は。な、そう
思うだろ、タロ」
 「え・・・・・と」
 太朗はなぜか首を傾げながら上杉を見た。
 「あの、さ、ゆいのーきんって、何?」
思いもよらない切りかえしに、上杉はプッとふき出す。まさか、そんなところで引っ掛かるとは思わなかった。
それは苑江も同じだったようで、緊張した様子が一変、眉を顰めながら大事な息子に言い聞かせている。
 「いいか、太朗、結納金というのは、婚約成立のしるしに、両当事者かその親が金か品物を取り交わすことだ。普通は男側
から贈られて、女側はその半分くらいを返すのが儀礼なんだ。お前、そんなことも知らなかったのか?」
 「だ、だって、俺には関係ない話だし〜」
 「そうかもしれないが、そのくらい知っておいてもいいだろう」
 「でもさあ〜」
 「・・・・・」
 親子の会話を聞きながら、上杉はひっそりと笑みを漏らした。
(どんな時もタロ親子だな)
シリアスな雰囲気を長く持続出来ない・・・・・いや、当人達は真剣なのだろうが、どう聞いても笑ってしまうのは仕方がない。
(・・・・・先は長いな)
 本当に自分達の関係を認めてもらうまでには時間が掛かるだろうが、その道程は険しいばかりではないかもしれない気がする。
どちらにせよ、自分の側に太朗がいるのなら、それは上杉にとっては楽しいものに違いはなかった。




 「2人で帰ったの?」
 「・・・・・うん、まあ」
 「そこで会ってな」
 家から少し離れた場所で車を下りた太朗と父は、玄関先で2人揃った姿を驚いたような顔で迎えた母に下手な言い訳をしな
がら顔を見合わせた。

 「佐緒里さんには心配をかけないようにしよう」

 玄関のインターホンを鳴らす前に言った父の言葉に頷いた太朗は、何だか少しだけくすぐったい気分だ。
もちろん、問題は何も解決はしていないものの、自分の気持ちをはっきりと伝え、上杉の気持ちもちゃんと聞いて、何だかかなり
気持ちが軽くなったような気がしていた。
 「・・・・・まあいいわ。もう、ごはんよ、手を洗ってらっしゃい」
 「は〜い」
 太朗は慌てて洗面所に向った。
数時間前まで、1人でいることがとても寂しく思った家の中が、今は何時もと変わりなく温かく感じる。
(俺って、やっぱり単純なんだよな〜)
悩みがあっても、そのことだけをずっと考えたまま落ち込んでいられない。それが長所なのか、短所なのか、当の太朗にはよく分か
らなかった。




 佐緒里は、目の前で着替えている夫の姿をじっと見つめた。
(少し、様子が変わった感じがするんだけど・・・・・)
太朗と共に帰ってきた夫。その言葉通り、家の近くで会ったとはとても思えなかったが、わざわざそれを指摘することもする必要が
ないと思った。
 どちらにせよ、お互いに大切に思い合っている家族だ。多少喧嘩をしても、最後には笑い合える・・・・・佐緒里はそう信じてい
る。
なにより、自分が選んだ男と、生んだ息子だ。いざとなれば自分が叱り飛ばして向き合わせればいい。
(ここに、あの図体のでかい、可愛げのない男が加わると思うと・・・・・頭が痛いけれどね)




 事務所に戻ってきた上杉に、小田切は笑いながら聞いた。
 「何を飲まれますか?」
 「・・・・・コーヒー」
 「コーヒーでいいんですか?」
 「仕事中だ。酒を飲んでいられないだろ」
 「・・・・・」
一瞬、口を開きかけた小田切は、直ぐに軽く頭を下げて一度部屋を出た。何か言いたそうな表情をしていたことには気付いた
ものの、こちらから話を振ったら何を追求されるか分からない。
一応は自分の部下という立場だが、あの男は我が道を歩くタイプで、上杉を上司として認識をしているだろうが、尊敬している
とはとても思えない。
(面白いことが好きな奴だからな)



 「どうぞ」
 コーヒーを差し出すと、上杉はチラッと自分の顔を見てから軽く頷いた。
 「悪いな」
 「いいえ」
以前ならばそれだけで終わったはずだが、今ではその仕草と同時に言葉もついてくる。上杉にそんな小さな心遣いを気付かせた
のは、きっとあの元気で素直な少年だろう。
(本当に、奇跡みたいなものだな)
 上杉のような男と、太朗のような少年が出会う確率は、万に一つも無いくらい稀なことだろう。そして、出会うだけでなく、お互
いに相手を想い合うのは、もっと確率が低いはずだ。
そんな奇跡のような出会いを、上杉はどんな邪魔が入ろうとも逃がすような男ではないし、太朗も、逃げて楽になることを望む少
年ではない。
 「どうでしたか?」
 「・・・・・知りたいのか?」
 「興味がありますから」
 「どんな興味だ・・・・・」
 「あなたがこの先、私の望むトップになれるかどうか・・・・・ですか」
 「なんだ、それは」
 金儲けが上手い下手。
頭がいいか、悪いか。
カリスマ性があるかないか。
上司に望むものはたくさんあるが、小田切にとってそれらはあればいいと思う程度のもので、一番望むのは、自分が見ていて面
白い相手かどうか・・・・・だ。
 教えたり、鍛えたりすれば出来ることなど興味はない。そんなものよりも元々持っているその人間の本質が楽しいと思えるもの
ならば、小田切はその相手についていくつもりだ。
 元々、出会った時から上杉は普通のヤクザとは規格が違い、かなり変わった男だと思っていたが、太朗と出会ったことで新たな
顔が次々に生まれ、ますます面白い存在になった。
(ここで太朗君という存在がいなくなってしまったら・・・・・つまらない男になりそうだからな)
 自分の未来のためには上杉と太朗がどうなったのか、小田切は(多少の野次馬的な興味も含めて)興味があった。
 「・・・・・特に、変わらねえな」
 「変わらない?」
 「ああ」
 「・・・・・」」
 「何があろうと、俺の気持ちは変わらねえからな」
 「・・・・・」
(そういうことか)
現状が変わらないというわけではなく、自分の気持ちは変わらないということだ。それは、同時に太朗の気持ちもということなのだ
ろう。
 「苑江さんの様子はどうでしたか?」
 「ああ」
 太朗の父親のことを聞くと、上杉は何を思い出したのかぷっとふき出した。
 「ありゃ、遺伝だな」
 「遺伝?」
 「タロは父親にそっくりだ」
もちろん、外見は太朗の方が断然可愛いがと堂々と惚気る上杉に、小田切ははいはいと軽く頷いた。心配していたというつもり
はないが、これ以上聞けばただの惚気話になってしまいそうだ。
それでも、小田切は一応念押しのつもりで聞いてみた。
 「問題は無いんですね?」
 「ああ」
はっきりと言う上杉を見て、小田切もただ黙って頷いた。