STEP UP !



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 「お前と太朗君の関係に口を挟むつもりはないけど、僕が個人的に会うのは構わないだろう?」
 確かに、個人の自由までを奪うことは上杉には出来ない。いや、ある程度は出来るかもしれないが、一応父親でもある相手
に対して自分の権力を使うことはさすがの上杉にも出来かねた。
 それに、そこまでしなくても、多分、父親が自分の不利になることはしないだろう・・・・・そうも思っていた。
それでも、一応、不機嫌な様子は隠さないまま、白状するはずはないだろう真意を聞いてみた。
 「お前な・・・・・どういうつもりだ?」
 「心配しなくても、僕は滋郎だけのパパだから」
 「・・・・・っ、何考えてんだ」
 案の定というか、それ以上の馬鹿らしい答えに、上杉は溜め息しか出なかった。
(本当にこいつと血が繋がっているとは思えねえな)
 「・・・・・まあ、お前の自由にしたらいい。俺が止めたって無駄だろうしな」
 「ふふ、ありがと」
 「だが、これだけは覚えてろ。俺はタロを一生放すつもりはない。可哀想だとか、選択させてやれとか、そんな甘っちょろいことを
考えてるんなら無駄だからな」
 「・・・・・分かってるよ、お前が本気だってことくらいはね。そんな相手に出会えて、本当に良かった」
 「・・・・・」
自分自身は何人もの女に愛を囁き、快感を与えてきただろう父親。自分という子供を生んだ母親にさえも、本当に愛情を抱
いていたのかと思えば・・・・・多分、違うだろうと思える。
本当に愛する者を見付けられなかったこの父親に比べれば、自分はかなり幸運だったのではないか。・・・・・それでも、この父親
に同情はしないが。
 「用が済んだら帰れ。お前はホストで、ヤクザじゃねえだろ」
 これで話は済んだと、上杉は長い足を組み替えた。
父親は、笑って頷いた。




 「怪しい中年に気をつけろ?・・・・・なんだ?これ」
 ホームルームを終えた太朗は、階段を下りながらメールを読んだ。
送られてきたのは5時間目の終わる頃らしいが、いったいこの言葉の中にどんな意味があるのだろうか?
 「どうした、苑江?」
 「あ、コンちゃん」
 「紺野(こんの)先生、だろ」
 3年生になっても担任になった、自分よりも少しだけ身長の高い担任は、めっというように太朗に言い直すように促した。
最近の縦も横も成長のいい男子高校生の中では埋もれてしまいそうだが、とても熱心で、親身になってくれる紺野を慕う生徒
は多く、もちろん太朗も好きだった。
(あ、ちょうどいいや)
 「ねえ、コンちゃん、この辺、変質者が出た?」
 「えっ?」
太朗の言葉に、紺野は目を丸くした。
(あ、違うんだ)
てっきり、この辺りに変質者がいるから注意しろということなのかと思ったが、教師である紺野が知らないのならばその推理は外れ
ているのだろう。
 「変質者・・・・・俺の耳にはまだ届いて・・・・・苑江」
 「えー、あ、ごめんなさい」
太朗はごめんと直ぐに謝った。
 「なんか、違うみたい」
 へへと笑って、さよならと手を振りかけた太朗は、いきなりガシッと肩を掴まれた。慌てて振り返ると、紺野は真剣な顔をして自
分を見つめている。
 「・・・・・コンちゃん?」
 「苑江っ、おい、今の話をちゃんと聞かせなさいっ。いったい、何時その変質者に会ったんだっ?無事だったのかっ?」
 「あ、あのねえ」
 教育熱心な紺野の頭の中では、既に変質者に襲われて泣いている太朗の姿が浮かび上がっているのだろう。何度も頭から
足先までを視線が行き来し、気遣わしげに大丈夫かと何度も聞いてくる。
 そんな紺野の様子に、通りがかった他の生徒達も足を止めてしまって・・・・・。
(ちょ、ちょっとお〜)
もとはといえば自分のせいだが、太朗はがっしりと肩を掴まれ、揺さぶられながら、助けてくれと心の中で叫んでしまった。




 「本当に大丈夫なんだなっ?何かあったら直ぐに先生に連絡をしてきなさいっ」

 「・・・・・」
 太朗は、はあ〜っと大きな溜め息をついた。
一生懸命誤解だと説明して、何とかその場は納得してくれたような紺野も、他の生徒達よりも小柄な太朗のことを心配したの
か(自分も細いのだが)、携帯の番号を教えてくれた。
絶対に1人で抱え込むなと別れ際まで言われてしまい、太朗は何だか自分が本当に変質者に付け狙われているんじゃないか
とさえ思ってしまいそうになる。
 「コンちゃん、いい人なんだけどな〜。ちょっと、思い込みが激しいっていうか・・・・・」
(それとも、俺がそう思わせちゃったのかなあ)
 「・・・・・」
 もう一度大きな溜め息をついた太朗は、そのまま校門を出て近くのバス停に向った。
 「それにしても、ジローさんのメールって何だったんだ?まさか、自分のことを怪しい中年って言ってるんじゃ・・・・・まさかな」
(まだ、お腹も出てないし、髪だってフサフサだし)
確かに自分よりも20歳も年上で、父親と同世代といってもおかしくはないのだが、太朗にとって上杉はとても中年だとは思えな
かった。
(・・・・・本人に聞いてみるのが一番か?)
 ふと、太朗は立ち止まり、鞄の中から携帯を取り出した。考えても分からないものは、素直にその相手に聞いた方が話が早い
だろう。すると、
 「タロ君」
 「え?」
振り向いた太朗は、直ぐに笑みを浮かべた。
 「イチローさん!」
 つい最近も同じようなことがあった。学校帰りの太朗を校門付近で壱郎が呼び止めて・・・・・。しかし、前とは少しだけ違う感
じもするのだ。
太朗君が、タロ君に。
上杉のお父さんが、イチローさんに。
この数日間で、確かに距離が縮まった。
 「・・・・・」
 「・・・・・」
 そう思うと嬉しくなって、太朗は思わずにっこりと笑う。その笑みに、壱郎も優しい笑みを返してきた。
 「どうしたんですか?」
 「ん?きっと、滋郎が太朗君を誘うだろうから、その前に捕まえちゃおうかなって思って」
 「俺を?」
 「君っていうか、君の家族。この間の食事がとても美味しくてね。良かったらまた一緒に食べてくれないかなって思ったんだけど、
どうかな?」
 「ご飯、ですか?」
(そんなに楽しかったかなあ)
あの時は上杉とのことを父に話して・・・・・太朗の頭の中は一杯一杯で、確かに食事は美味しかったと思うが、楽しかったかとい
えば少し首を傾げてしまう。
 ただ、あの時、確かに壱郎は笑っていて、嫌がる上杉をからかいながらよく飲んでいたのを覚えている。上杉も酒が強いが、その
お父さんも強いんだなと思ったものだ。
 「・・・・・」
 確か、離婚をして、今は1人暮らしをしていると言っていた。世話をしてくれる人は多いらしいが、この人だと思う人がいないんだ
よと笑っていた。
(1人でご飯食べるの・・・・・寂しいかも)
そう思った太朗は、はっと思い付いた。




 「早く帰って来い?」
 『そう。7時頃には帰れる?』
 滅多に携帯に連絡をしてこない佐緒里からの電話。家族に何があったのかと慌てて出たが、向こうの言葉は心配していた類
のものではなかった。
 「まあ、帰れないこともないが、どうしたんだ?」
 『それがね、お客様が来るの』
 「客?」
 『太朗が勝手に決めちゃって』
 「・・・・・」
 その瞬間、苑江の眉間に皺が寄った。太朗が決めた客といえば・・・・・頭の中に浮かんでくる面影は一つしかない。
まだ、とても歓迎出来る思いにはならないためか、苑江の声は自然と険しいものになってしまった。
 「あの、男か?」
 『あの男じゃ分からないわ』
 分かっているくせに、わざとそう切り返してくる佐緒里。自分の味方のはずなのに、自分よりも広い視野の妻の本心は掴みきれ
ない。
苑江は少し考えたが、結局はその名前を口にした。
 「・・・・・上杉・・・・・さん」
 『確かに上杉さんだけど、お父さんの方よ』
 「え?」
 間違えたでしょと言って笑う佐緒里の言葉が一瞬聞き間違いかとも思ったが、続く佐緒里の言葉を聞いて、それが本当のこ
とだというのが分かった。
 『上杉さんのお父さんが、私達を食事に誘ってくださったらしいの。でも、太朗がうちで食べたらいいって言ったらしくて・・・・・私は
OKしたんだけど、ダメだった?』
ここでダメだと言う方が大人気ないだろう。少し苦手なタイプだが、それでも一緒に飲んだ酒は美味しかったように思う。
(ただ、あいつの父親ってとこが引っ掛かるんだ)
 「・・・・・父親だけってわけにはいかないだろ」
 直接的には自分達とは関係のない人物。間には、太朗と付き合うと言っているあの男がいる。黙って父親だけを招くということ
は出来ないと思った。
 『あなたならそう言うと思って、太朗に上杉さんにも連絡させたわ』
 「・・・・・手回しいいな」
 『手土産は要らないって言ったんだけど、食事の材料は持参してくれるそうよ。今日は七之助さんの好きなものいっぱい作るか
ら、楽しみにして早く帰ってきてね』
 「わ、分かった」
 電話を切った苑江は、改めて溜め息をついた。
 「・・・・・女は強いな」
自分の息子が男と付き合っているという事実を知っても、こうして逞しく笑っていられるのだ。もちろん、その心の中には自分と同
じように葛藤があったと思うが、表面に見せないだけ凄いと思う。
 そういえば、初めて出会った頃も、美人の佐緒里が自分を好きだといってくれても信じられなくて、どうしても逃げ腰だったところ
を押されに押された。結果的にそれは幸せなものになったが、あの逞しさがもしかしたら太朗にも受け継がれているのだろうか。
 「・・・・・」
 どちらにせよ、遅く帰るという嫌味なことは出来ない。
苑江は定時に帰れるようにするべく、急いで残りの仕事を片付け始めた。