STEP UP !
24
「お前と太朗君の関係に口を挟むつもりはないけど、僕が個人的に会うのは構わないだろう?」
まさか、その言葉をその当日に実行するとは思わなかった。上杉は眉間の皺をますます深くしながら、何を考えているのか分か
らない父親のことを考える。
「・・・・・っ、締め上げて、あの口を縫ってやった方が世間のためだな」
「まあまあ」
「俺を差し置いて、タロんちの飯を食おうとするとは」
「そのおかげで、また堂々と苑江家に行けるんですから」
「あいつのおかげっていうのがムカツクんだ」
『ジローさん、うちにご飯食べに来る?』
招かざる客の父親が帰り、それから数時間後、太朗からいきなりそう電話が掛かってきた。
何の前置きも無く言われたその言葉に、一瞬太朗の父親の苑江が自分にまた言いたいことがあるのかと思ってしまったが、話す
順番を間違えたらしい太朗の説明を聞くうちに、上杉は呆れて溜め息を漏らすしかなかった。
あの父親が、まさか再び太朗に会いに行って、今度はあろうことか苑江家の夕食に招待されたという。いったいどこでそういう話
になったのか分からないが・・・・・まさか、始めからそれを狙ってということは無いと信じたい。
「・・・・・酒と何を買えばいいんだ?」
早々に事務所を出てきた上杉は、小田切の運転で太朗の家へと向っている。途中酒を買うつもりだが、太朗の母親の佐緒
里に言った持っていく食材が何がいいのか思いつかない。
「そうですねえ・・・・・築地に行きますか?時間はずれていますが、何かあるかもしれませんよ?」
「それなら、顔見知りの料亭や鮨屋に声を掛けた方が早いだろう」
「鮪・・・・・河豚とかどうですか?」
「タロや弟が食って味が分かるか?」
子供はもっとパンチのあるものの方が好むんじゃないだろうか。
先日の食事の席での兄弟。もう何度も食事を共にしている太朗の味覚は見当がついたが、弟の方はハンバーグやオムライスな
ど、本当に子供っぽいものを頼んで食べていた。
そんな上杉の思惑を知ってか知らずか、小田切はではと次々に食材を挙げていく。
「蟹とか、海老?」
「今頃いいのがあるか?」
「鰻」
「誰が捌く」
「フカヒレ」
「おい、まともに考えろって」
小田切が次々挙げていくのは高級食材として申し分の無いものばかりだったが、どうも面白がって言っているようにしか思えな
かった。
「とにかく、あのオヤジが唸って黙るくらいの魚を持っていくか」
町の商店街というものに、壱郎は初めてやってきた。
自宅のマンションで食事をすることなどまず無く、ほとんどが外食だ。誰かの手料理を食べるとしても、高級食材のある高級スー
パーで売っているような物を使った料理で・・・・・。
(賑やかだねえ)
「おじさんっ、このキャベツとキュウリちょーだい!」
「おっ、今日はタロがお使いか。ん?新顔だな」
「イチローさんって言うんだ。俺の・・・・・友達!」
八百屋の主人にそう壱郎を紹介した太朗は、良かったのかなというような視線を向けてくる。
もちろん、壱郎にとっては一番嬉しい答えだったので、にっこり笑って頷くと、そのまま八百屋の主人に向ってよろしくと色っぽい笑
みを向けた。
「お、おう」
同じ男、それも、中年といってもいい歳の壱郎だが、華やかな世界で暮らしていたせいか若々しく、そして妙に・・・・・色っぽい
のだ。
八百屋の主人も戸惑ったような顔をしたが、直ぐに傍にいる太朗の背中を小突いた。
「お前は変わった友達を作るなあ」
「そう?まあ、面白い人だけど」
太朗はそう言うと、ビニール袋に野菜を入れている八百屋の主人に向って、これ、オマケに頂戴とトマトを指差す。
「・・・・・よし!出血大サービス!全部で500万円!」
八百屋の後に肉屋に向いながら、壱郎はずっと笑っていた。
「何で笑ってるの?」
「可笑しいから」
「可笑しいこと、あった?」
「タロ君と店の人の会話がね、なんか楽しいなって思って」
「・・・・・そう?」
(何時もと変わらないと思うんだけど・・・・・俺、何時も笑うようなこと言ってるのかな?)
ぶらぶらと袋を振りながら、太朗はいったい壱郎を笑わせた自分の行動はどれだったのかと考え始めた。
家から自転車で来られる距離のこの商店街は、太朗が幼い頃から母と一緒によく訪れていた。店の人間ともほとんど顔見知り
で、誰もがタロと呼んでくれ、オマケもこっそりとしてくれる。
昔は、お駄賃代わりに飴玉などをくれている店も多かったが、今もその習慣は残っているところもあり、今だに買い物に来た時
は、偉いなと頭を撫でられながら貰っていた。
(みんな、俺をまだ小学生だって思ってるのかも)
「今日は何をご馳走してくれるのかな?」
今日は休みで家にいた母に電話をすると、母は先日のお礼が出来てちょうどいいと、直ぐに壱郎を夕食に誘うことを同意して
くれた。
そのまま、壱郎の車で家まで送ってもらうと、母に会った途端壱郎は自分が食材代を出すと言い出した。それに猛烈に怒ったの
は誰か言うまでも無い。
「今日はうちが、うちのやり方でもてなしさせていただきますからっ!」
そうは言うものの、その招待すべき客の壱郎まで太朗と共にお使いに出してしまうのは母らしいが・・・・・。
「今日は、野菜を中心にするんだって」
「野菜?」
「イチローさんやジローさんは、きっと野菜をあまり摂ってないだろうからって」
「ははは、まあ、あたっているかもしれないけど。でも、僕の他に滋郎まで呼んでもらっても良かったのかな?」
「だって、後で知ったら絶対怒っちゃうよ」
太朗からは上杉の名前を出さなかったが、母は直ぐに彼も呼びなさいと言ってくれた。太朗の頭の中には一瞬父親のことが浮か
んだが、母は大丈夫だと笑ってくれた。
「七之助さんはいい男だから」
どういう基準で母がそう言っているのかは分からなかったが、なんだか自分の大切な相手を自慢している様は羨ましくて、太朗
もつい言い返してしまった。
「ジローさんだって、いいオトコだよ!」
そんな太朗を笑って見た母は、穏やかな笑みを浮かべている壱郎を見て、この子と買い物をしてきてくださいと、さっさとメモと金
を渡してきた。もちろん、自分が払うという壱郎を一喝してだ。
(母ちゃんには誰も勝てないかも)
肉屋に行って豚バラを買って、少し離れた果物屋に寄る。
「おばちゃん、リンゴ5つお願い!」
「はいはい、あら、タロちゃん、今日は新顔を連れてきたの?」
「うん、イチローさん」
「よろしく、奥さん」
にっこり笑う壱郎に、果物屋の中年の奥方はぽうっと頬を染めた。袋に入れているリンゴも、なぜか3つ多くなってしまっている。
「おばちゃん、多いよ?」
「お、オマケよ、タロちゃん。やあねえ、何時もオマケしてるじゃない」
「う、うん、ありがと」
また来てねと一オクターブ高い声に見送られながら店を後にする太朗は、重たいリンゴの入った袋を持ってくれる壱郎を振り向
いた。
「イチローさん、モテるね」
「そうかな?ここのお店の人が気前がいいんじゃないかな?」
「それにしてもさあ」
(普通はリンゴ5つ買うのに、3つオマケにはくれないって)
ホストという職業の人間が身近にいないので全く見当がつかないが、あんなふうに女の人に貢がれるのかと思うといいなという
思いが少しは生まれる。
ただ、その金額はリンゴ3つなどとはとても比べることが出来ないほど高額だということは想像つかないが。
「買い物は?終わり?」
「うん、付き合ってくれてありがとう」
「どういたしまして。・・・・・あ、ちょっと待って」
「え?」
「そこに寄りたいから」
そう言って壱郎が足を向けたのは花屋だ。
「花?」
「そう、佐緒里さんに」
佐緒里さん・・・・・それが母親の名前だということに、太朗は少しして気がついた。
「母ちゃんに?」
「出来ればバラの花束なんか贈りたいけど、そうしたら君のお父さんが妬きもちをやいてしまうかもしれないしね」
「や、妬きもちって」
「とても仲のいいご両親だから、2人にってことにしよう」
そう言うと、壱郎は店にあるひまわりを全部と注文した。
「全部?30本近くあるんですけど、いいんですか?」
「うん」
店員の戸惑ったような声にも笑って頷く壱郎。やがて、渡された両手一杯ありそうなひまわりの花束も、妙に似合っていた。
(花の似合う男って・・・・・)
「じゃあ、帰ろうか」
「う、うん」
片手で花束を抱え、その手でリンゴの入った袋を持ち、空いた手で太朗の背中を促すように支えてくれる壱郎に、太朗はどうし
ても聞いてみたかったことを口にしてしまった。
「い、イチローさんって、女タラシ?」
「・・・・・」
一瞬、目を見張ったような壱郎は、直ぐにクスクス笑ってウインクをして見せた。
「僕はただ、僕を愛してくれる人みんなが好きなだけだよ」
「み、みんな」
「滋郎は違うみたいだけどね」
最後には太朗自身が気付かなかった懸念までを綺麗に消し去ってくれた壱郎は、早く帰ろうと太朗の背を押した。
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