STEP UP !



25








 太朗が壱郎と共にのんびりと家に帰った時、既に台所は戦場のようになっていた・・・・・と、いっても、動き回っているのは母1
人で他の手助けの人間はいない。
 「た、ただいま、母ちゃん」
 「おかえりっ」
 忙しい中でも、一度手を止めて顔を向けてくれた母に、さすがに太朗は続けて言った。
 「俺、手伝うよ」
もちろん、自分が猫の手よりはましだとは思うものの、戦力にならないことは分かっている。それでも、壱郎を食事の席に呼んだの
は自分だし、それにオマケについてくる上杉は当然自分の関係で・・・・・。
(な、何かやっていないと落ち着かないし)
 「もちろん、手伝ってもらうわよ」
 そんな太朗の気持ちを分かってくれていたのか、佐緒里は笑いながら答える。
すると、太朗の視線の前を黄色のひまわりが横切った。
(あ・・・・・)
 「佐緒里さん、これを飾ってもらえないかな?」
 「え?」
 壱郎が差し出した大きなひまわりの花束に、さすがに母が驚いた表情になったのが分かった。無理も無いと思う、いきなりこん
な大きな花束を誕生日でもないのに貰うなんて戸惑っても仕方が無い。
(だいたい、1回しか会ってないんだもんな)
 「あ、あの、上杉さん?」
 「ここの家には、太陽のようなこのひまわりが似合っていると思って」
 にっこりと笑うと、目尻に少し皺が出来る。しかし、その皺も年齢というよりは人生の深さを表しているようで、少しも歳など感じ
ることは無かった。
(ジローさんも・・・・・歳とったらこんな感じになっちゃうのかな)




 「・・・・・」
 苑江家の玄関先に立った上杉は、さすがに一瞬深く息をついた。
このドアの向こうには愛しい太朗がいるが、一緒にあのややこしい自分の父親もいる。
(あいつ・・・・・変なことをしていないだろうな)
 あたりが柔らかなせいか、どんな相手の心の中にもするりと入り込んでしまう父親。今だ現役のホストをしているせいか、女相
手も自分よりもよほど上手い。
あの佐緒里がその手管に簡単に乗るとは思わないが、それでも・・・・・なんだかアウェーに踏み込むような気分だった。
 「どうしました」
 「・・・・・」
 そんな自分の戸惑いを、後ろにいる小田切は全てお見通しなのだろう。笑いを含んだ声に面白くない思いを抱くものの、上杉
は声を抑えて言った。
 「お前はここで帰っていいぞ」
 「遠慮なさらず。援護しますから」
 「・・・・・邪魔するの間違いじゃないか」
 「酷いですねえ。自分の部下を信じないんですか?」
 「・・・・・」
(信じられないようなことを何時もするからだろーが)
 何を楽しみにしているのか分からないが、どうやら小田切は上杉を送った後に帰るという選択肢は無いらしい。
このまま言い合っても不毛だと思った上杉は、インターホンを押すために手を伸ばしかけた時だった。
 「・・・・・」
 「お帰りのようですね」
 家の前に軽自動車が停まり、その運転席の中に窮屈そうな格好で座っている太朗の父親、苑江を見た上杉は、くるりと向き
を変えると、苑江がやってくるまで中に入らず待つことにした。




(・・・・・いる)
 家の前まで車を運転して帰ってきた苑江は、自分の家の前に立っている男達の姿を見付けた。
来るということは分かっていたのでそれほど衝撃は無かったものの、自分の家にはとても似つかわしくないような上等のスーツを身
にまとった美丈夫達の姿を見ると、少しだけ・・・・・引け目を感じてしまう。
(あれで、ヤクザの親分で・・・・・会社の社長か)
 今の時代、ヤクザもヤクザ家業だけでは食べていけず、一般の企業のような仕事をしているところも数多いと聞くが、あの男は
間違いなくその中でも成功者と言っていいだろう。
 ヤクザという肩書きがなかったら、それこそどんな女だって選び放題・・・・・いや、たとえヤクザでも女達は寄ってくるだろうが、より
にもよってそんな男が選んだのが自分の息子だったとは・・・・・。
 「・・・・・」
 苑江は大きな溜め息をつくと、気を取り直したように駐車場に車を入れ、そのまま玄関先まで歩いて行って上杉と相対した。
 「今日は、うちの父親が面倒をかけて」
 殊勝にも、上杉は自分からそう言って軽く頭を下げてきた。この男のような立場ならば簡単に頭を下げてはならないのではと思
うが、苑江はそれを口にせずに自分も挨拶程度に頭を下げた。
 「うちの息子が勝手に引っ張ってきたんだと思います。いきなりでご迷惑でしょうが・・・・・」
 「苑江さん」
 「・・・・・はい」
 「俺に対して敬語は使わなくていい。歳だって変わらないしな」
 「・・・・・」
 自分と歳の変わらない男が、その息子と付き合うのか?・・・・・とは、さすがに口に出して言えない。
 「それに、俺のバックのことを考えているんだとしたら余計に構わないで欲しい。タロに関しては、俺はただの上杉滋郎のつもりだ
からな」
 「・・・・・」
苑江は眉を顰める。それは、上杉の言葉に反意を持ったわけではなく、むしろ・・・・・自分の中の琴線に触れたからだ。

 「私は、今までの私を全部捨てる。ただの、中尾佐緒里として、あなたには見て欲しいの」

 自分とは全く違う世界に生きていると思っていた佐緒里。
自分よりも遥かに容姿が優れ、地位も名誉もある者達が周りにいた彼女が、ただの凡人である自分に対して、そんなに真摯に
向き合おうとすることに戸惑っていた。
 しかし、佐緒里は自分で言った通り、それまでの交友関係を一切断ち切って、苑江の腕の中に飛び込んできた。
図体は大きいくせに、色々考えて簡単には踏ん切りがつかなかった自分とは違い、佐緒里の意志は強く、半分押し切られた形
で一緒になったが、今ではそんな佐緒里の行動があったからこそ、今の自分の家族があると思う。
(・・・・・タロも、真っ直ぐ思いをぶつけてきた・・・・・)
 そんな妻の魂が、子供である太朗に受け継がれているのだろうか・・・・・。
 「・・・・・そんなところで立っていないで、さっさと中に入ればいい」
上杉の横をすり抜けながら、苑江は改めてチラッとその姿を見る。自分とほぼ変わらないか、もしかしたら僅かながら高身長だと
分かると、和らぎかけた気持ちが少しだけ硬くなった。
(身長まで俺より高いなんて・・・・・)




 「ただいま」
 「お帰り!いらっしゃい!」
 インターホンが鳴って、その映像で父と上杉の姿を確認した太朗は急いで玄関まで迎えに出た。
 「2人、一緒だったんだ?」
 「まあ・・・・・」
 「そこで会ってな」
 「・・・・・」
(・・・・・凄く雰囲気が悪いって感じじゃ・・・・・ないけど)
 上杉の頬には変わらず笑みが浮かんでいるものの、父は眉間に少し皺を寄せた表情だ。それでも、凄く剣呑だという感じでは
なかったので、太朗は少しだけホッとした。
 「ああ、お前も来たのか」
 自分の後ろからやってきた壱郎が、上杉を見るなり笑いながら言う。すると、自分に向けてきた優しい顔から一変、上杉は厳
しい眼差しを壱郎に向けた。
 「お前・・・・・その格好は何だ」
 「ん?もちろん、佐緒里さんを手伝っていたからだよ、ねえ、太朗君」
 「うん」
 太朗と壱郎は、母に渡されたエプロンを身に着けている。汚れるほどに活躍していないのだが、一応格好だけは整えた形だ。
 「イチローさん、ちゃんと手伝ってくれてるんだよ?レタス洗ったりとか、キュウリ洗ったりとか」
 「太朗君は皿を並べてるんだよね?割らなくてちゃんと仕事してる」
 「・・・・・」
(な、なんか、こう言うとほとんど仕事してない感じ)
野菜を洗ったり、皿を並べたり。これは小学生の弟にも出来るんじゃないかと改めて思ってしまったが、一応太朗は胸を張ってい
ようと思った。




 壱郎は不機嫌そうな上杉を笑って見つめる。怒らせたいわけではないのだが、どうも自分のすることは息子の癇に障るらしい。
それでも壱郎はマイペースに言った。
 「なんだ、滋郎。招待されたのに手ぶらかい?」
 「・・・・・お前と一緒にするな」
 低い声で言った息子は、そのまま後ろにいる小田切へと視線を向ける。
すると、失礼しますと一言断った小田切が携帯を掛け、今持ってこいと言った。

 「・・・・・」
 「・・・・・」
 「・・・・・」
 「うわっ!ケーキ!」
 苑江以下、家族が唖然と見守る中、玄関先に次々と運ばれてくる品の数々。
様々な種類の酒に、塊の肉。20個はありそうなケーキに、最後は・・・・・。
 「父ちゃん、魚が船に乗ってる!」
無邪気な太朗の弟伍朗の興奮した声に、穏やかに小田切が答えた。
 「伍朗君、これは舟盛りと言うんですよ?君達は青魚苦手かも知れないと思ったので、その分蟹と伊勢海老を増量しました。
たくさん食べてくださいね?」
 「は〜い!」
 「なるほどねえ、大人が5人だから、このくらいが妥当かな?残したら困るでしょう?」
 壱郎の言葉に、固まっていた佐緒里が視線を向けてきた。
 「え・・・・・え、生物は確かに」
 「おい、お前」
苑江はさすがに常識外れだと言おうとしたのだろうが、その前に壱郎は苑江にまあいいじゃないですかと言った。これが息子の目
に見える形の誠意ならば、黙って受け入れて欲しい。
 「食べ物には罪はないし、こうして刺身にしてしまってから店には返せないでしょう?諦めて食べてやってくださいよ」
 「・・・・・」
 苑江は複雑そうに、ますます眉間の皺を深くする。
それでも言い返してこなかったことが彼なりの返事だと思った。