STEP UP !
27
子供というものはいずれ親元から飛び立っていくのは分かっていた。
特に、太朗はああ見えてちゃんとした男で、立派に1人で立つことが出来ると苑江は信じている。ただ・・・・・少し、まだ少し、自
分の手の中から離れていくのは早いような気がしていた。
それも・・・・・。
(こんな男に取られるなんて・・・・・っ)
結局、上杉に取られてしまうということが嫌なのだ。
「・・・・・そっ」
小さく呻いた自分の言葉が聞こえたのだろうか、佐緒里がポンッと膝を叩いてきた。
「そんなに落ち込むことなんてないわよ、七之助さん」
「・・・・・」
「太朗の中の一番は、変わらず私達家族なんだから」
そこに、オマケが1人入っただけじゃないと笑う妻は、もう割り切っているのだろうか?思わず情けない思いで振り返ると、思いがけ
ず佐緒里は優しく笑っていた。
「私の一番は変わらずあなたなんだけど、七之助さんは変わっちゃったの?子供が一番?」
「・・・・・佐緒里さんが、一番だ」
「それならいいじゃない。私はずっとあなたの傍にいるんだもの。それにね、あの子が幾つになったって私達の子供であることは変
わらないし、この人と太朗は別れちゃったら赤の他人なのよ?そう思って、気長に別れるのを待ちましょう」
「・・・・・そうだな」
苑江は俯いた。多分、その別れの日は永遠に来ないような気がするが・・・・・自分は何時までも厳しい父親の立場でいれば
いい。
男として、容姿も、収入も負けているこの男に、堂々と大きな顔をしてしてやることが出来る。
(そうだよな・・・・・俺はずっと、太朗の父親だ・・・・・)
負けたとは思わない。父親として、寛大な心で、少しの間目を瞑ってやるだけだ。
「おい」
「・・・・・」
「一度でも泣いたら、絶対に引き離してやるからな」
明るい笑顔の太朗に、どんな理由でも・・・・・それが、上杉のヤクザという生業のことでも、女関係でも、とにかく一度でも太朗
を泣かすことがあれば、この憎らしいほどに完璧な男の手から太朗を取り戻すつもりだった。
「・・・・・分かった」
上杉は直ぐに頷いた。
「絶対に泣かさない」
「・・・・・一応は、聞いておいてやる」
「厳しいな」
どんな思いで苑江がその言葉を言ったのかは分からない。親の気持ちが分かるというほどに、上杉は誰かの気持ちを読み取れ
るなどと思ってはいない。
しかし、言葉は素直ではないものの、一応は自分との関係を認めてくれたらしいその気持ちには、素直に感謝をしたい気分だっ
た。
(ま、違った意味では泣かすけどな)
自分の特殊な立場のせいで太朗が危険な目に遭ったり、泣かせたりはしないと堂々と口に出して言えるが、腕の中で泣かせ
るのはまた違うことだろう。
普段はせいぜい中学生くらいの言動をする太朗だが、その身体に覚えこませた快感を引き出してやると、驚くほどに艶やかな
表情を見せてくれる。そのギャップが見ていて楽しいし、もっと可愛くするために泣かせたりもするのだが・・・・・それは太朗の父親
に言うことではない。
(許可は貰ったということでいいんだな)
佐緒里と同じように、見て見ぬふりということだろうが、それでも上々だ。
(さっそく、今度の週末泊まらせるか)
ここしばらく、太朗が父親のことを気にしていたので当然泊まることはなかったし、もちろんセックスだってしていない。いくら上杉が
十代のようにがっついていなくても、愛している相手が傍にいてずっと抱かないでいられるわけはなかった。
しかし・・・・・。
「ああ、言っておくが」
いきなり、苑江が顔を上げて上杉に詰め寄った。
「せめてあの子が二十歳になるまでは、そ、その、変なことはしないようにな!」
「・・・・・変なこと?」
「ふ、不純なことだ!」
「・・・・・」
(今時、言うか?)
数が多いとは思わないが、今時高校生だってセックスくらいはするはずだ。もちろん、それが同性の、こんなに歳の離れた相手と
いうのはほとんどないだろうが、好き合って、付き合って、親の了解も(一応)得て、それでいてプラトニックな関係を貫くのならば、
きっと男の身体に欠陥があるとしか思えない。
少なくとも上杉は、そう思っていた。
(・・・・・)
チラッと佐緒里に視線を向けると、その目は面白そうに笑っている。自分の夫がどういう反応を示すか想像がついていたはずの佐
緒里のこの反応は、これでどうするというように聞かれている気分だった。
(本当に、七之助さんて可愛いわ)
見かけの厳つさとは全く正反対の、心優しい誠実な男。出会って、結婚して、高校生の息子もいるというのに、その性格は全
く変わっていないのだ。
中には、きっとこの苑江の反応を古臭いとか、子離れ出来ていないとか言うだろうが、佐緒里はそうは思わない。愛情深い人だ
からこそ、子の行く末を心から案じているのだ。
(あの人も強引なタイプだから、少しは自重してくれたらいいけど)
上杉が言葉で言って納得するような男ではないと知っているし、太朗とどこまで深い関係なのか・・・・・分かっているつもりだ。
苑江も、上杉のような大人の男が、付き合っていると言うのだから実際はどこまでいってるかなど想像はついているのだろうが、考
えたくないというのが本音だろう。
そうでなくても、あまり周囲を気遣うということをしなさそうな(特に太朗との恋愛に関しては)上杉には、このくらいの牽制では効
かないとは思うものの、多少は気に止めるのではないだろうか。
(ほんと、太朗ってば、凄い恋人を捕まえちゃって)
「今からこれじゃあ、タロ君をお嫁に貰う時は大変そうだ」
「・・・・・」
その時、直ぐ近くから楽しそうな声が聞こえてきた。
この、上杉のような息子がいるとは思えないほどに若々しい壱郎に、佐緒里はワインを注いでやりながら答える。
「一応、あれでも男の子なんですけど」
「ああ、失礼。女の子だと思っていたわけじゃないんだけど」
「ええ、それは分かっています」
「・・・・・ごめんね、佐緒里さん。でも、僕は誰かに本気になるあの子の姿を見るのは初めてだから、絶対に上手くいって欲し
いと思っているんだよ。それが、君達夫婦にとっては不幸なことだとしてもね」
その言葉は、同じ親として佐緒里も分かる気がする。とても親には見えないが、この男にも上杉を思う気持ちがあるのだなと、
佐緒里は微笑ましい気分になった。
「不幸なんて思ってないですよ。これは、太朗が自分で選んだことですし」
「・・・・・うん」
「それに、あの子だってこれからどんどん大人になるんですよ?上杉さんが何時までもあの子を捕まえていられるなんて保障は
ないんですからね」
「・・・・・怖いねえ、佐緒里さん」
言葉とは裏腹に、壱郎の眼差しは嬉しそうに細められている。佐緒里も同じようにふふっと笑うと、難しい顔をして睨み合って
いる夫と上杉の横顔を見ていた。
「うわっ!凄いね!小田切さん!」
「これは簡単な仕掛けなんですよ?」
当事者同士の話の間の子守ではないだろうが、小田切は座敷に席を移して太朗と伍朗を前にトランプの手品を見せていた。
そもそも、小田切は子供は好きではないものの、太朗のことは好ましいと思っているし、伍朗のことも素直な子供だと思ってい
て、数十分の子守は苦にはならない。
(・・・・・終わったか?)
そして、2人の相手をしながらも、小田切は茶の間にいる上杉と苑江の様子をチラチラと見ていた。
どうやら、苑江の方が折れた形にはなったようだが、もちろん2人の関係がそれで良好になったとは言えないだろう。
「・・・・・」
「・・・・・」
自分と同じように、太朗も父親と上杉の様子を見ていた。
心配そうな横顔は、以前父親が上杉を殴ったところを見ていたので、お互いが喧嘩をしないか・・・・・そう思っているのかもしれな
い。
「伍朗君、五百円玉を持ってきてもらえませんか?他の手品も教えてあげますよ」
「はい!」
上杉のことは堂々と名前を呼び捨てにしているらしい伍朗だが、小田切に対しては敬語になっている。これも人徳だなと内心
思いながら、小田切は伍朗が席を立った隙を狙って太朗に言った。
「一応、話はついたみたいですね」
「え?」
振り返った太朗は、不安そうな眼差しを向けてくる。
広くない茶の間とはいえ、子供達の手前声を潜めていた2人の会話が聞こえなかった太朗には分からないのも当然かもしれな
いが、唇の動きが読める小田切には大体の話の内容は分かっていた。
「・・・・・本当に?」
「ええ」
「父ちゃん・・・・・許してくれたのかな」
「許したというより、諦められたのかもしれませんね。うちの会長はスッポンの様な人ですから」
「スッポン?」
若い太朗には分かりにくい例えだったかと、小田切は説明を付け加えた。
「太朗君に食いついたら離れないってことです。まあ、当分は無視という許可かもしれませんが、これで少しは気が休まるんじゃ
ないですか?」
父親に知られたらどうするか、反対されたらどうするか。太朗にとってはこの2つが一番心配だったことだろう。
その太朗の心配は、上杉にとってはいらぬ心配で面白くない話だったかもしれないが、普通の家庭の、それも男子高校生を選
んだという時点で、苦労を自分から背負い込んだのだ。
(このくらいで済んでよかったと思ってくれないと)
上杉が邪魔だと思っていた壱郎の存在も大きかったし、太朗の母親である佐緒里の言葉も大きかった。自分1人で解決した
と上杉に思わせないためにも、後でネチネチと意見してやろうと思う。
「今週末は覚悟しておかないと」
「え?」
「最近、泊まっていないでしょう?」
「え・・・・・あ、えっと、だって」
慌てる太朗の耳が赤い。
小田切はクスクスと笑った。
「あなたのお父さんにどういう風な言い訳をするかは分かりませんが、壊されないようにしっかりと前置きしておかなくてはいけませ
んよ?」
「お、小田切さんっ」
「小田切さん!持って来ました!」
言い返そうとした太朗は、伍朗の出現に焦って口を噤む。その様子に穏やかに微笑むと、小田切はキラキラとした視線を向け
てくる伍朗から五百円玉を受け取った。
「じゃあ、ちゃんと見ていてくださいね?」
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