STEP UP !
28
憂いが全て無くなった(元々、それ程心配はしていなかったが)上杉は、早速その週末、太朗を呼び出してマンションに泊まら
せようと思った。
ただ、今までとは違い、既に自分という存在を知っている太朗の父親が、そう簡単に息子の外泊を許すとは思えなかった。
強行に突破するか。
それとも、見え見えでも嘘をつかせるか。
上杉は仕事の手を休めて携帯を見ながら、じっと考えていた。
「何、遊んでるんですか?」
「・・・・・遊んでるわけじゃねえ」
「手が止まっていますよ」
上杉の仕事の進み具合を定期的に見に来る小田切は、また遊んでいるという眼差しを向けてくる。教師に睨まれた生徒では
ないが、上杉は思わず言い訳をしてしまった。
「たった今休憩したんだよ」
「・・・・・あなたの常套句ですね」
「・・・・・」
「きちんと仕事をしていたらいいことを教えてあげようと思ったんですけど・・・・・どうやら違うようなのでもう少し後にしましょう」
「・・・・・なんだ、それは」
何時も思うことだが、なぜこの男は自分よりも優位に立っているのか不思議に思う。立場から言えば自分は小田切の親(盃は
交わしていないが)になるはずで、子である小田切は自分のために動くのが本当のはずだ。
小田切視点でのいいことというのがどんなことなのかは分からないが、どんなことでも先ず自分に報告してもいいと思うのだが、
なぜかそれを言わせない迫力があった。
(・・・・・ったく)
「おい」
ここで声を掛けてしまうこと自体が小田切の思うままだとは分かっているが、含みを持っている言葉の裏を考えるよりも聞いた方
が早いと思うので、上杉は苦々しい顔をしながらも分かったと言った。
「今日はもうサボらねえから、ほら」
早く言えと促すと、小田切はふっと笑みを浮かべた。
上杉から言質をとれば、思わせぶりに隠すことも無かった。この男は自分の言葉を後から撤回するような真似はしないというこ
とは分かっているからだ。
「先程、壱郎さんから電話をいただきまして」
「はあ?」
いきなり出てきた父親の名前に、上杉の表情は目に見えて面白くなさそうに変化した。父親のことなど聞く必要もないと思った
ことが丸分かりだ。
「それで・・・・・・」
「おい」
「はい?」
「それは俺に必要な情報か?」
「・・・・・まあ、一応、聞いていた方がいいんじゃないですか?週末のあなたの予定も関係ありますしね」
「週末?」
ようやく興味が湧いたのか、上杉は少しだけ表情を変える。
現金な上司に内心笑いながら、小田切は話を切り出した。
「温泉旅行?」
「ええ、箱根に、一泊二日で」
さすがに全く想像もしていなかったらしい言葉に、上杉が不思議そうな顔をしたのは予想通りだった。
(私も、少し驚きましたし)
壱郎からの電話は今から30分ほど前、唐突だった。彼の言動は何時もそうだったのでそれ自体に驚くことは無かったが、さすが
に電話の内容を聞いた時は思わず本当ですかと聞き返してしまったくらいだ。
『うん、本当。苑江さん一家を温泉に誘ったんだよ、この間の食事のお礼に』
元々、あの食事会は壱郎が原因で、その礼をというのも分かるが、一家全員を温泉旅行にまで連れて行くほどの礼をするも
のだろうか?
いや。
「それは、太朗君も一緒に?」
『まさかあ、あの子は滋郎の所にお泊りでしょう?』
含み笑いのこもった返事を聞いた瞬間、小田切は壱郎の本意が分かった気がした。
この、とても父親には見えず、それらしいことをしてきたとも思えない男は、息子のために再び後押しをしてやるつもりなのだろう。
(これが、親心とかいうやつですかねえ)
今までとは違い、上杉との交際を知った太朗の父親が外泊を許す可能性はほぼない。
それも、時間が解決するかもしれないが、知られた直後の外泊を言い出す方も言い難いだろう。それを、強引にでも旅行に連
れ出して、両親の不在ということを免罪符にしろと言っているのだ。
もちろん、苑江がその旅行を承諾するかどうかは今の時点では分からないが、あの壱郎だったらどんな言葉を継いでも頷かせ
そうだし、母親の佐緒里は・・・・・。
(あの人は、子供の幸せを考えられるし、もう子離れしているようですし)
(あいつ、また勝手に動きやがって・・・・・)
小田切の説明は上杉が考えてもいなかったことで、また自由に行動している父親に呆れてしまったという気持ちもあるが、その
一方でなんだか気恥ずかしい気分もしていた。
(父親面しやがって・・・・・)
「嬉しいですか?」
「・・・・・バカいえ」
「でも、これで太朗君を誘い出しやすくなったんじゃないですか?」
「・・・・・」
確かに、そうだ。家族が家にいなければ、太朗が自分のマンションに泊まっても表面上はおかしくはない。
今後、惰性的に外泊を認めさせるためには、自分の存在を認めてしまった後の一番最初が大事なのだが・・・・・。
「・・・・・勝手なこと・・・・・」
「今度遊びに来られたら、美味しいケーキでもご馳走して差し上げたらどうです」
「何時来るか分からねえ相手にか?」
「近々来られますよ、首尾はどうだったかと訊ねに」
「ふん」
その言葉に、上杉は馬鹿馬鹿しいというように答えなかったが、小田切の言う通りの光景が見えるような気がして、溜め息をつ
くしかなかった。
「えっ?旅行?」
「・・・・・そうだ」
夕食時に父の口から出てきた言葉に、太朗は思わず母を振り返ってしまった。長い休暇ではないのに、父の口からいきなり旅
行の話が出てくるなど考えられなかったからだ。
そんな太朗の疑問に答えるように、佐緒里が付け加えた。
「この間の食事のお礼だって、上杉さん・・・・・お父さんの方が誘ってくださったのよ」
「へえ」
(お礼っていっても、ジローさん達が持ってきたものの方がすっごく高かったと思うんだけど・・・・・)
とてもその日にでは食べられなかった食材は、それから数日苑江家の食卓に並んでいる。どちらかといえばご馳走されたという
意識の方が大きくて、太朗は首を傾げて母に言った。
「どうするんだよ?」
「旅行も久し振りだしねー。七之助さんさえ良かったら行ってみてもいいかなって。上杉さんのお父さん、話し上手だし、面白い
人だから」
もちろん、旅費は母さんの懐から出すわよという母から、今度は父に視線を向けた。
自分から話を切り出したというのに面白くなさそうな顔をしていて、黙々と食事を続けている。
「父ちゃん、どうするの?」
「・・・・・お前は?」
「俺?ちょうどジローさんから誘われているから、泊まりに行ってもいい?」
夕方、上杉から週末の誘いのメールが入った。両親にどう説明しようかと思っていたのだが、出掛けるのならばちょうどいいかも
しれない。
「旅行なんて久し振りなんじゃない?行ってきたらいいよ」
「ちょうどジローさんから誘われているから、泊まりに行ってもいい?」
「・・・・・」
屈託無く、しかし、どこか心配そうに言う太朗に、苑江は思わず口の中の物が喉に詰まりそうになって、慌ててお茶を飲み干し
た。
「父ちゃん、ゆっくり食べなくちゃ駄目だろ」
誰のせいで喉が詰まりそうになったのか・・・・・この可愛くて幼い息子は全く分かっていないようだ。
(泊まる?泊まって・・・・・どうするんだ?)
これが娘だったら、当然声を荒げて反対した。結婚前の未成年の娘が、恋人という年上の男の家に泊りがけで出かけるなど
絶対に許せないと言う。
ただ・・・・・太朗は男で。男が年上の知り合いの家に泊まりに行っても、何があるかなんて・・・・・言いようが無い。
そう、苑江は上杉をただの太朗の友人だと思いたいのだが、それならば余計に遊びに行ってはいけないとは言い難い。上杉の職
業で差別もしたくなかった。
(ここで、俺が駄目だって言ったら、理由を絶対に聞かれるはずだろう・・・・・)
上杉と、不純同性交遊をさせたくないから・・・・・そう言えば、太朗があの男と深い関係だということを自分が認めてしまうという
ことになってしまう。
それは・・・・・。
(絶対、駄目だ!)
「・・・・・父さんは忙しいからな。いきなり休みを申請しても認められないかもしれないし」
「あら、有給を使えって煩く言われているって言ってたでしょう?それに、土日なら問題ないんじゃない?」
「佐緒里さん・・・・・」
いったい、どちらの味方なのだと情けない思いで見つめれば、佐緒里はふふっと笑って答える。
「夫婦の仲は永遠なのよ?」
「・・・・・」
「ね、七之助さん」
すっかり子離れしているらしい妻は達観したように言って、何事も無かったように食事を続ける。
家族との旅行よりも、大事な相手の所に行くという息子は、いったいどこに行くのだと楽しそうに話している。
下の、何も知らない息子は、俺も俺もと、2人の仲間に入りたがって・・・・・。
「・・・・・」
苑江は大きな溜め息をついた。こんなことならば、いっそ太朗が娘だったら、一発上杉を殴った上でくれてやることも出来るが、
息子だから話は簡単ではない。
(それでも・・・・・押し切られるんだろうな・・・・・)
離れ離れの夜を過ごしながら、今頃太朗は・・・・・そんなことを悶々と考えなければならないのかと、苑江は胸が詰まりそうにな
るのをごまかして、大きな口で焼いたイワシに頭から齧り付いた。
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