STEP UP !
29
週末。
太朗の心を表すかのように快晴の空の下、太朗は旅行仕度をした家族を見て笑って手を振った。
「気をつけてね。お土産、忘れないでよ」
「太朗・・・・・」
なぜか、朝からどんよりとした空気を背負っている父。しかし、母に聞けば、
「拗ねているだけよ」
と、笑って言った。
母が笑っているのならばたいしたことではないのかと思い直し、太朗は自分も上杉のマンションに泊まりにいく用意を済ませた。
男なので、着替えと財布と携帯くらいしか持つ物は無いのだが、それでも久し振りにゆっくりと上杉とくっ付いていられると思うと、
自然に頬には笑みが浮かんできた。
その笑顔のままに玄関に立っている太朗は、兄ちゃんも一緒に行こうという伍朗を宥めるのに手間取っていたが、
「太朗」
再び、名前を呼んできた父の声に顔を上げた。
「何?父ちゃん」
「お前・・・・・」
「うん」
「・・・・・」
「?」
(どうしたんだろ?)
父にも、今日ははっきりと上杉の所に泊まりに行くと伝えた。隠しごとをしなくてもいいということはとても気持ちが楽だなと思って
いたが・・・・・父は何か自分に言うことがあるのだろうか?
明るく笑っている太朗の顔を見ると、苑江はこのまま旅行はやっぱり中止、外泊も駄目だと言うことが出来なかった。
厳しい父親という世間の評価があるものの、苑江はどうしても子供に甘い父親でもあった。
「・・・・・お前も、一緒に行かないか?」
言える言葉は、太朗も旅行に行かないかと誘う言葉だ。
しかし、父親にべったりのはずの愛息子は、あっさりと首を横に振った。
「ジローさんと約束してるし」
「・・・・・」
「心配しなくても大丈夫だって!母ちゃんに、連絡先もちゃんと教えてるし、大人がいるから悪いことだって出来ないし」
「・・・・・」
(・・・・・お前の考える悪いことって・・・・・なんだ?)
恋人である男のマンションに泊まることは悪いことではないのかと言いたいが、言えばその理由を説明しなければならず・・・・・そ
れだけは苑江は言いたくない。
そのジレンマで、表情は自然と強張ってしまうのだが、自分の気持ちを一番分かってくれるはずの妻も何も言ってくれなかった。
「・・・・・」
はあと深い溜め息をついた時、家の前に2台の車が止まった。
苑江の給料ではなかなか手が出せない高級車。その中に誰が乗っているのか、考えなくても分かる。
「ジローさん!」
嬉しそうに叫んだかと思うと、太朗が車に向かって走り出した。
その肩を掴もうと伸ばしかけた苑江の手は、どうしても途中で止まってしまった。
結果的に父親の思惑に乗ってしまった形になってしまったが、全てを任せきることはしたくなかった上杉は自分の方が車を提供
すると言った。
どうやら、父は年甲斐も無く電車の旅行をしたかったらしいが、あんなに目立つ男が一緒では苑江家もいらぬ視線を集めてしま
いかねない。それだけは駄目だと頑強に言い、東京駅で駅弁だけは買わせてやるということで妥協させた。
(それくらい、安いもんだ)
運転する若い組員には、いくらゴネたとしても、一度車が走り出せば目的地まで絶対に止まるなと言ってある。
東京から追い出せば、もうこちらのものだった。
「ジローさん!」
何時ものように、子犬みたいに自分に駆け寄ってくる太朗。
知り合った時から比べれば、いくらか身長も伸び、表情も大人びた様を見せるようになったが、それでも笑顔だけは全く変わるこ
とが無い。
上杉は車から降り、飛びつくように駆け寄ってきた太朗の身体を抱きしめた。
「なんだ、朝から大歓迎だな」
「え、だ、だってさっ」
自分の言葉に太朗が照れたように笑うのを見て、その気持ちが手に取るように分かってしまう。自分が今日を心待ちにしていた
ように、太朗もきっと、2人きりになる時間を待ち望んでいたのだ。
(思ったよりも、父親は頑固だったがな)
上杉は太朗から視線を上げ、まだ玄関先に立っていた苑江を見た。
その手には旅行用のバックが握られており、服もラフな休日仕様だ。旅行に行くという意志は一応あるように思えた。
「おはようございます」
わざとらしく丁寧語で言うと、苑江は目を逸らしながらも、
「・・・・・おはようございます」
そう、言葉を返してくる。
どんなに思うことがあっても、挨拶だけはきちんとする様子が太朗と重なって、上杉は思わずふっと笑みを漏らしてしまった。
「今回は、うちのを頼む」
「・・・・・」
「酒は、どんなに飲んでも潰れないと思うぞ」
苑江も強いようだが、あの男には敵わないはずだ。柔和な表情に騙されるかも知れないが、もう何十年も夜の世界のトップで
やってきた男はそれなりの根性はある。
「・・・・・上杉さん」
その上杉の言葉を聞いていたのかどうか、不意に苑江が声を掛けてきた。
少しだけ硬い口調に、いったい何を言うのだろうかと半ば楽しみになってしまったのは、もうこの後の太朗との楽しい時間しか考
えていない余裕かもしれない。
「ん?」
「・・・・・きょ、今日は、太朗が世話になるが・・・・・」
「ああ。ちゃんと世話をするから心配は無い」
こういう言い方をするほど、苑江の血圧が上がってしまうことは分かっているものの、素直な反応を見せるのでどうしてもからかい
たくなってしまうのだ。
「・・・・・午後9時と、寝る前、必ず電話をさせろ」
「電話?」
「一応・・・・・悪い遊びをしていないかどうか、親として確認する義務があるからな」
「・・・・・ふ〜ん」
(そうきたか)
午後9時と寝る前・・・・・きっと、午後11時前後を考えているのかもしれないが、思わず苦笑が零れてしまうほどに微妙な時
間帯だ。
このまま連れ去って昼間から抱いてもいいと思っていたが、実は九州から来る客とどうしても会わなければならず、夕方までは上
杉は身体が空かなかった。とりあえず、その間は小田切が太朗の相手をしてくれるはずだが、その後、夕方から食事をして、それ
からベッドに押し倒していたら、その頃はちょうど可愛く啼かせているか、それとも一休みさせて眠らせているか、そのどちらかのよう
な気がする。
(荒い、いかにもセックスしてたっていう呼吸で電話をさせるのもな・・・・・)
「・・・・・」
「・・・・・」
上杉の眼差しに、苑江は一歩も引かない様子を見せる。
それになんと応えようかと考えていると、直ぐ傍から暢気な声が聞こえてきた。
「分かった。定時連絡ってことだよね?」
心のどこかでは、家族みんなとの旅行にも行きたいと思っていた太朗だが、やはり上杉と一緒にいたいという気持ちの方が勝っ
た。それでも、心配を掛けたくはないし、声を聞けば自分も安心するだろうと思うので、父の申し出は太朗にとっては嬉しいもの
だった。
「いいな?」
「うん」
「・・・・・タロ」
しっかりと父と約束していると、後ろから呆れたような上杉の声が聞こえてくる。
振り向くと、先程までとは違い、なぜか苦々しい表情の上杉がいた。
「何?」
「何って、お前な」
「・・・・・」
「・・・・・まあ、いい」
「まあいい?」
(何が?)
上杉の言葉は時々分からないこともあるが、なぜか自己完結してしまうことも多い。太朗はそのわけも知りたかったが、今日は
たっぷりと時間があるので、今の疑問はその時に聞けばいいかと思った。
「おはよう、タロ君」
「おはようございます!今日はよろしくお願いします!」
元気にそう言った太朗に、壱郎は楽しくなって笑みを浮かべた。
今回は残念ながら太朗は同行出来ないが、素直な苑江と、曲者の佐緒里、そして孫といってもいい年齢の可愛い伍朗との
旅は、きっと楽しいものとなるだろう。
(今度は、滋郎とタロ君も一緒に行けばいいし)
「今日は滋郎に美味しい物をご馳走してもらうといいよ」
「はい!」
「おい、さっさと行け」
「お前は冷たいねえ。苑江さん、蹴られないうちに行きましょうか?」
太朗を残していくことに今だ納得出来ていないらしい苑江だが、伍朗に手を引かれ、佐緒里に背中を押されて、渋々といった
ように車に乗り込んできた。
「太朗・・・・・」
「気をつけてね!行ってらっしゃい!」
元気に手を振る太朗に何も言うことが出来なかったのか、黙ったままの苑江を見た上杉が合図をすると、車は滑らかに走り出
す。
「伍朗君、今から駅弁買いに行くよ」
「駅弁っ?凄いねっ、父ちゃん!」
子供らしくはしゃぐ伍朗の頭を軽く撫で、苑江は窓の外を向いて溜め息をついていた。
(今日は、酔い潰してあげるかな)
息子のため、そして、この苑江のためにも、そうしてやることが一番いいように思えて、壱郎は一泊二日のこの旅を自分なりに楽
しむことにした。
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