STEP UP !



30








 「すみませんね、太朗君。今日の相手は会長を大変気に入っている方で、会長が相手をしないと機嫌を損ねてしまわれるん
ですよ。それでも、夜の会食の方は何とかお断りしていますから」
 「い、いえ、仕事の邪魔はしたくないから」
 「お利口ですね、太朗君は」
 「・・・・・」
(お、お利口って・・・・・)
 まるで小学生に言うような言葉ではあるが、目の前でにこにこ笑っている小田切に文句を言うことはとても出来なくて、太朗は
強張った笑みを頬に貼り付けていた。

 家族を見送り、上杉の運転する車で羽生会の事務所までやってきた太朗は、その後仕事があるという上杉と別れて小田切
と共に下の、組員達がいる事務所でお茶を飲んでいた。
 いわゆるヤクザという風体ではないものの、それでも強面の男達がいる部屋の中、太朗は全く頓着をしないで出されたアップル
パイを頬張っている。
当初は、さすがに自分とは違う世界の人間という感覚で、少し緊張し、怖かったことも事実だが、元々強面の父親が大好きだ
という(変わった)好みのせいか、直ぐに組員達にも慣れた。
 世間では彼らをどういう風に見ているのか分かっているつもりだが、彼らは太朗にとても優しく接してくれる。会長である上杉の
恋人という意識もあるのかもしれないが、それでも素人の、子供に、自分達が出来うる限り優しく接してくれた。
そんな彼らが、太朗は好きだった。

 その中でも、上杉を除いて一番一緒にいる時間の多い小田切のことは、綺麗で優しいお兄さんのようで大好きだった。
時々、ちょっと怖いなと思うこともあるが、どんな時も太朗の味方になり、自分の上司(?)である上杉に堂々と意見をする彼を
カッコイイと思っている。
 太朗がそう言うと、上杉は、

 「あいつのようには絶対になるなよ」

そう、真剣に言うが、働く男として見習ってもいいんじゃないかと太朗は思っていた。
 「すみません、小田切さんも忙しいのに」
 もしかしたら、上杉よりも忙しいであろう小田切に相手をしてもらうことが申し訳ないと言うと、小田切はいいえと直ぐに否定しく
れた。
 「私も、太朗君と話しているのは楽しいですし」
 「お、小田切さん」
 「怖いおじさんと顔を突き合わせているよりも、可愛らしい男の子とお茶をしている方がよほど有意義です」
 「そ、そうですか?」
有意義とまではいかないんではないかと思ったが、それを小田切に言い返す度胸は太朗には無かった。




 それから数時間、太朗は小田切や他の組員達と過ごした。
途中、幹部の楢崎(ならざき)が、自身の恋人で太朗とも友達である日野暁生(ひの あきお)を連れて来てくれて、久し振りに
たくさんの話が出来た。
 暁生は太朗よりも年上で、格好も今時の若者風だが、その性格はとても素直で、どちらかといえば太朗よりも大人しい。
2人で会話をしていれば、どちらが年上か分からないと楢崎が苦笑するほどだった。
 「今度、またどこか遊びに行こうよ」
 「う、うん、誘って」
 「アッキーはどこ行きたい?」
 「俺は、どこっていうよりも・・・・・みんなと話しているのも楽しいんだけど」
 暁生は申し訳なさそうに言うが、太朗はそうだよなと直ぐに同調した。
 「楓の言い方には時々頭にくるけど、マコさんや小早川さんとかと話すと癒されるし」
 「うん、分かる」
 「アッキーと高塚さんも、もっと慣れてくれたらいいのに」
 「は、始めはどうしても緊張しちゃって・・・・・」
 そう言いながら、暁生の眼差しは傍の楢崎に向けられた。まるでその存在を確かめるように何度も振り返る暁生を、そのたびに
厳つい顔をした楢崎が目を細めて見つめながら頷いている。
(・・・・・けっこー、ラブラブ?)
まだ最後まではいっていないと暁生自身が暴露したが、あれから少しはその関係が進んだのだろうか?
(・・・・・うわっ、俺、変な野次馬根性出しちゃったっ)
 人の恋愛事情が知りたいなどと、上杉とのことが無かったら思わなかったはずだ。
 「と、とにかく!今度メールするから!」
 「うん、待ってる」
歳上とは思えない素直な反応を返してくれる暁生に、太朗は自分の邪な気持ちをごまかすようにへへっと笑って見せた。




 「・・・・・」
 扉の向こうから楽しそうな声が聞こえてくる。
上杉は壁に背を預けたまま腕を組んでその声を聞いていた。
 「あ、会・・・・・」
 「・・・・・」
 上杉の姿に気付いた者達はその名前を呼ぼうとするが、上杉はしいっと指先を唇に当て、黙っていろという仕草をした。
ようやく客を別の者に預けて身体が空き、急いで事務所に戻ってきたというのに、寂しい思いで待っているだろう太朗の声は楽し
そうに聞こえる。
(・・・・・どうしたもんかな)
 待ちわびて、このまま直ぐにマンションに連れ去ろうと思っていたのだが、この楽しそうな時間を邪魔していいのかと思ってしまい、
中に入ろうかどうか珍しく迷っていたのだ。
 「・・・・・ん?」
 その時、胸に入れていた携帯がメールを受信した。
いったい誰からだと見ると、それは今日は東京にいない父親からだ。
(・・・・・何送ってきたんだ、あいつは)
 本当はこのまま閉じてしまいたかったが、部屋の中に入ろうかどうか迷っていたので一応覗いてみるかと画面を開く。
そこには、

 【仲良く入浴中】

ハートマーク付きの言葉の後、写真が添付されていた。
 「・・・・・なんだ、これは」
 太朗の父親、苑江と、肩を組んで温泉に入っている父親の姿。真ん中には満面の笑顔でピースサインをしている太朗の弟が
いる。
上機嫌に笑っている父親と、微妙な顔をしている苑江の対比が妙だったが、露天風呂に入っているらしいこの写真を撮ったのは
いったい誰だと思ってしまう。
 「あいつだろうな」
 きっと、佐緒里が面白半分に撮って送ったのだろう。
いや、佐緒里は自分の携帯のアドレスを知らない。それに、これは父親の携帯からのメールなので、父親が佐緒里に写真を撮
らせ、送らせたに違いなかった。
 「・・・・・」
 何をしているんだと思う。それでも、こうして太朗の家族を旅行に連れ出したのは、きっと自分のことを思ってのことで・・・・・何だ
か気恥ずかしくなった上杉は携帯を閉じると、そのままドアを開けた。




 「タロ」
 「あ!」
 そろそろ午後4時になろうかという頃、いきなりドアを開けて自分の名を呼ぶ上杉を見て太朗は直ぐ立ち上がった。
 「お帰りなさい!」
仕事帰りの上杉にそう声を掛ければ、上杉はなぜか一瞬目を見張って、直ぐに笑って答えてくれる。
 「おう、ただいま。待たせたな」
 「ううん、みんな相手をしてくれて。でも、仕事の邪魔をしちゃったかも」
 そう言いながら太朗が組員の方を振り向くと、組員達は慌てて首を横に振ってとんでもないと答えた。
 「俺達の方が相手してもらってたくらいで!」
 「はいっ、楽しかったですっ」
多分、彼らは気を遣ってそう言ってくれているのだろうということは太朗にも分かったが、違いますと口に出して言うのも何だか違う
気がして、太朗は素直に笑って頭を下げた。
 「相手をしてくれてありがとうございます」
 そして、上杉が現れてから、なぜか緊張したように固まっている暁生に向かっても言う。
 「今度、本当に遊ぼうな!」
 「う、う・・・・あ、はい!」
 「アッキー、ジローさんは怖くないよ?」
緊張している暁生の気持ちを和ませるために言うのだが、どうも暁生は上杉が怖いというか・・・・・苦手のようで、太朗の言葉に
コクコクと頷くものの、そろそろと楢崎の背中に隠れてしまった。
(そんなに怖いかなあ?)




 暁生の行動に、楢崎が直ぐに頭を下げてきた。
 「すみません」
 「構わねえよ」
こういう生業なので怖がられるのは慣れているし、暁生がヤクザという職業の自分に怖がっていないということも分かっている。
第一、こんな厳つい面差しの楢崎には懐いているのだ、個人の相性・・・・・そういうことだろう。
(まあ、俺はタロがいればいいし)
 結局はそこに行き着くので、上杉は暁生の態度に何とも思わないまま、ニヤニヤしてことの成り行きを見ていた小田切に視線
を向けた。
 「世話を掛けたな」
 「いいえ」
小田切はにっこりと笑う。
 「太朗君といるのは楽しいですから」
 「・・・・・」
 その言葉の中に色んな意味があるような気がするものの、それ以上追求して墓穴を掘るのもいやだったので、上杉は太朗の
腕を掴んで言った。
 「俺はこのまま帰るぞ」
 「分かっていますよ、ごゆっくり」
 「・・・・・」
 「明日は日曜ですから、事務所にも来なくていいですよ」
 「・・・・・そうさせてもらう」
(どうせ、こいつも起きられないだろうしな)
 高校生の過ごす健康的な休日にはならないだろうが、恋人同士にとっては濃密な時間が送れるはずだ。
上杉はそのまま太朗の腕から肩に手を移動させると、
 「お先に」
そう言って、部屋を出て行く。
 「あ、さようならっ!アッキー、またなっ!」
扉が閉まる瞬間に慌ててそう言う太朗が妙に可笑しくて、上杉は太朗に分からないようにプッと小さくふき出してしまった。