STEP UP !



31








 何が食べたいかと言われ、太朗はえっと困ってしまった。
今日は上杉と会うことが楽しみで、それだけを考えていたので、夕食に何を食べたいのか考えたこともなかったのだ。それは、食い
しん坊と言われる太朗にしては珍しいことだった。
 「え、えっと・・・・・ハンバーガー?」
 「あのなあ。せっかく俺っていう財布がついているんだぞ?もう少しいいもの考えろ」
 「じゃ、じゃあ、ラーメン?」
 「タ〜ロ」
 「ご、ごめん」
 上杉の言いたいことは分かるものの、頭の中に浮かんでくるものは何時も食べているものが多かった。
もちろん、上杉がよく連れて行ってくれる鮨屋や料亭、レストラン。どれも驚くほど高い値段に見合ってとても美味しいものだった
が、今自分が飢えているのはそんなものではない。
 「・・・・・ジローさんちで、何か作ろうよ」
 「俺のところで?」
 「うん。チャーハンでも、焼きそばでも、2人で作れるものならいいじゃん」
(ジローさんに、海藤さんみたいな腕は期待していないし)
 ほとんどプロ級の料理の腕を持つ、友人の恋人で上杉と同じ生業の相手。表情が無く、何時も物静かなので太朗は少し苦
手だが、それでも彼の作る料理は絶品だと思っている。
 あまりに太朗が褒めるので、上杉もライバル心を刺激されたのか、最近は簡単なものなら自分でも作っているらしい・・・・・その
話を今日、上杉がいない時に小田切から聞いていた太朗は、これがなんだか一番良い案のように思えた。
(それに、ずっと2人でいられるし)




 太朗が自分達で夕飯を作ろうと言った時は少し驚いたが、考えれば自分の家ならば人目を気にせず太朗を構うことが出来る
だろう。
簡単なものなら作れると、上杉はそれから太朗と一緒に買い物に行き、アイスや菓子も買い込んでご満悦になった太郎を連れ
て(それでも外食するよりは遥かに安いが)マンションに戻った。

 「なんだ、これは」
 「だ、だって、指切りそうで怖かったし!」
 メニューは焼きそば。野菜と肉を適当に切って、麺と炒めてソースで味付けすれば終わりだ。
しかし、野菜を切る担当にしてやった太朗のその成果は、さすがに上杉が呆れて声を上げるものだった。キャベツもニンジンもタマ
ネギも、一口ではとても食べきれないほど大きく、厚いのだ。
 「そ、そんな風に言うなら、ジローさんが切れば良かったのに〜」
 太朗は流れる涙をエプロンで拭っているが、それは悔し涙ではなく・・・・・タマネギを切っての涙だろう。
 「その手で目を擦るなよ」
 「うん」
オレンジのエプロンで涙を拭っている太朗の姿を見て、上杉の口元には苦笑のような笑みが浮かんでしまった。
(これはこれで・・・・・なかなかいいかも、な)
 他には無いからと太朗に着せたエプロンは、胸当てもあるシンプルな形のものだ。それでも、その姿を見るだけでも一緒に暮らし
ているような錯覚に陥って・・・・・結構楽しい。

出来れば、裸に・・・・・などと、定番のプレイも楽しみたいなと思ってしまったが、
 「ねえ、まだ出来ない?」
 「おー、待ってろ」
 とりあえずは腹を空かせて煩く催促してくるこの子供に、最近腕を上げたと自身では思っている自分の手料理を早く食べさせて
やろうと思った。




 2人で作った焼きそばは、もちろんお店で出てくるように綺麗でもなかったし、具も豪華ではなかったものの、太朗が今まで食べ
た中で一番美味しいと思えるものだった。
 「塩コショー、ゼツミョーだった!」
 「そうか?」
 「海藤さんに負けてないかも!」
 「当たり前だろ。あいつに出来て俺に出来ないものなんてあるはずが無い」
 自慢げにそう言うところが少しマイナスポイントなのだが、何だかその顔が子供みたいに無邪気な気がして(太朗に言われたくは
ないかもしれないが)、太朗はへへっと仲良く皿を洗いながら言った。
 「まだ7時過ぎか〜。どうする?DVD借りに行く?」
 今日は親公認のお泊りなので、太朗ものんびりと出来る。別にDVDを凄く見たいと言うわけではないのだが、一緒に行く道程
や、借りる時など、なんだか楽しそうな気がするのだ。
 しかし、そんな太朗とは裏腹に、上杉は皿を洗い終わって水を止めると、
 「タロ」
 「え?」
急に名前を呼んできたので顔を上げると、
 「ふぐっ?」
いきなり、顎を取られ、そのまま口付けられてしまった。
全く心の準備をしていなかったので、太朗はそのまますんなりと口腔への侵入を許してしまい、強引に絡めてくる肉厚の舌に呆
気なく自分の舌も取られてしまう。
 「んっ、んんっ」
 上から圧し掛かってくるような上杉の厚い胸板を太朗の腕では簡単に押し返すことは出来ず、そのまま上杉が満足するまで、
太朗はキスの洗礼を受け続けるしかなかった。




 クチュッ

 音をたてて唇が離れたかと思うと、
 「ソース味」
笑いを含んだ上杉の声が耳に届いた。
一瞬それが何のことか分からなかった太朗だが、じわじわと思考が戻ってくると、ボンッと顔を真っ赤にしてしまった。
 「なっ、何言うんだよ!」
 「ん?キスの味」
 「そっ、それはっ、分かってるけど!」
 「同じものを食べたんだから、お前だってそう感じなかったか?」
 「・・・・・っ」
(そんなの、分かるわけないじゃん!)
 太朗は上杉のキスに応えることが精一杯で、とてもキスの味のことまでは分からなかった。
しかし、確かにたった今同じものを食べ、歯磨きもしないでキスをしてしまって・・・・・同じ味だというのは当然だと分かるものの、
何だかそれがとても恥ずかしく感じてしまった。
(キ、キスよりもエッチなことしてるのに・・・・・っ)
 「終わったよねっ?」
 とにかく、今はこのバクバクした心臓を鎮めるためにも、少し上杉と離れようと思う。それには、一番実用的な理由は何だろうか
と考えて・・・・・とりあえず、太朗はこれだと叫んだ。
 「お、お風呂!俺っ、先にお風呂入るから!」
風呂ならば数十分間は1人でいる時間が持てる。その間に少し落ち着いて、上杉のペースに乗せられないようにしなければなら
なかった。




 走るようにリビングから出て行った太朗の後ろ姿を見送りながら、上杉はくくっと笑みを零した。
 「可愛いなあ、あいつは」
もうお互いに身体の隅から隅まで見て、触れて、味わっているというのに、今だキスの味ごときで赤くなる太朗が初々しくて可愛
い。
 「風呂か」
 太朗は、今2人きりでここにいる空間が居たたまれなくて逃げ出したのだろうが、もちろん上杉がこんな好機を逃すはずが無かっ
た。ようやく太朗の身体を味わえるのだ、その時間は一分一秒でも長い方がいい。
 「・・・・・歯磨きが終わった頃にしてやるか」
同じキスの味の事で逃げ出した太朗には、少し猶予を与えてやるかと思った。




 ガシュ ガシュ ガシュ

 鏡を見ながら、歯が溶けそうなほどに歯ブラシを動かし続けた太朗は、口をゆすいでからふうっと溜め息をついた。
 「もう、歯磨き粉の味しかしないな」
上杉の歯ブラシが入っている場所に当たり前のように自分の歯ブラシを戻し、太朗はそのままパパッと服を脱ぎ捨ててバスルーム
へと入った。歯を磨いている間にお湯は入れていたが、まだまだ溜まっていなかったので先に頭を洗う。
 「あ、急いで上がらなくてもいいんだっけ」
 時間稼ぎで風呂に入ったのに、こんなにバタバタしてどうするんだと自分自身に突っ込んでしまうが、それでも貧乏性なのか時
間を無駄には出来なくて、太朗はガシガシと荒っぽく髪を洗い始めた。

 シャンプーをして、ついでにリンスもして、
 「ふう〜」
目を閉じたままプルプルと犬のように頭を振った太朗は、
 「!」
 いきなり背中から何かに拘束され、ビクッと身体を震わせた。怖くて、直ぐに目を開くことが出来なかった。
 「ジ、ジローさん?」
 「他に誰がいるって言うんだ?」
 「そ、だよね」
ここは上杉のマンションで、バスルームにだって彼以外がくるわけが無いと分かっていたが、真っ裸という無防備な格好で、目を閉
じている時にいきなり後ろから抱きつかれたので驚いたのだ。
 「・・・・・?」
 しかし、落ち着いてくると、今度は自分の身体に触れるものが気になってくる。
(これって・・・・・ジローさんも裸?)
 「ジローさん、あの、ちょっと」
 「どうした?」
 「どうしたって、今俺がお風呂入ってるのにっ」
 「別にいいだろ、恋人なんだしな」
 「だ、だからって・・・・・っ」
(あっ、当たってるんだってば!)
 自分と上杉には悔しいくらいに身長差があるが、尻の上くらいに、なんだか硬くて熱いものが押し当てられているのを感じてしま
うのだ。
それが何か、振り返って確かめるのも怖くて、太朗は前を向いたまま言った。
 「あ、あのさ、俺もう上がるから」
 「まだ入ったばかりだろ?遠慮するな、タロ。温泉ってわけにはいかないが、ここでも十分楽しいことは出来ると思うぞ?」
 「・・・・・っ」
 それがどんな楽しいことなのか、太朗が聞くことが出来ないのも分かっているかのように、上杉はいきなり腕の中で太朗の身体
を反転させると、そのまま唇を重ねてきた。
(あ・・・・・お、なじ、歯磨き粉の、味・・・・・)