STEP UP !











 『太朗、七之助(しちのすけ)さん、泣きそうな顔で落ち込んじゃってるわよ?あんたも頭が冷えただろうし、一度家に帰ってきな
さい』
 「母ちゃん・・・・・」
 自分達兄弟の前でも、父のことを《お父さん、お母さん》や《パパ、ママ》とは呼ばず、《七之助さん、佐緒里さん》と呼び合う仲
の良い夫婦。その母から父が落ち込んでいると聞いた太郎は思わず泣きそうになってしまった。
 嘘だけはつきたくなかったので、とにかく逃げるしか出来なかったのだが、今となっては太朗は逃げ出してしまった自分を深く後悔
していた。
 「・・・・・うん、今から帰る」
 『上杉さんのとこにいるんでしょう?迎えに行きましょうか?』
 「ううん、ジローさんが送ってくれるって。そ、それでね、あの・・・・・」
(ジローさんと、そのお父さんも一緒だってこと言わないと・・・・・)
 太朗がどこに避難しているのかは分かっていただろうが、さすがにこれから上杉が父に挨拶に行くとは想像していないだろう。
どんな風に切り出そうかと悩んでしまったが、結局・・・・・太朗は正直に伝えようと思った。
 「ジローさんね、父ちゃんに挨拶するって」
 『え?』
 「こっちに来たら、ちょうどジローさんのお父さんもいて、一緒に行ってくれるって言ったんだ。父ちゃん、いるよね?」
 『・・・・・あんた、本気なの?』
 「何時までも父ちゃんにだけ内緒にしてたくないよ」
 大好きなのに、1人だけ除け者にしているようで嫌だった。
多分、凄く怒られるだろうし、絶対、反対もされるだろうが、それでも、自分の好きな人はこの人なのだと、父にちゃんと上杉を紹
介したい。この先ずっと一緒にいる相手は、上杉しかいないのだ。
 『・・・・・』
 電話の向こうで、母が深い溜め息をつく気配を感じる。
太朗は、母ちゃんとか細い声で呼んだ。
 「駄目、か、なあ」
 『・・・・・何情けない声出してるの。決めたんでしょう?2人で』
 「・・・・・うん」
 『じゃあ、2人で乗り越えなさい。言っとくけど、母さんは七之助さんの味方だから』
 「・・・・・うん、分かってる」
 『あんたは、上杉さんの味方をするんでしょう?』
上杉さんに殴られる覚悟をしておくように言っておいてねと笑いながら言った母に、太朗は携帯を握り締めたままうんうんと頷くこと
しか出来なかった。




 「お前の母ちゃんらしいな」
 太朗から佐緒里の言葉を聞いた上杉は苦笑を漏らすしかなかった。
一般人とはとても思えないような度胸と度量の大きさを持つ太朗の母親、佐緒里。彼女の複雑な立場はよく分かるし、敵にな
らないだけよほど助かる。
 「滋郎は太朗君のお母さんには会ってるんだ?」
 「会って驚くなよ?・・・・・いや、案外気が合うかもしれねえな。どう思う?」
 「そうですねえ、楽しそうな会話が聞けそうですね」
 「背筋が凍りそうな、だろ」
 運転席の小田切にそう言い捨てた上杉は、今だ携帯を握り締めて俯いている太朗の肩を強く抱き寄せた。
 「ジローさん・・・・・」

 太朗の父親に会うと決めた上杉は、そのまま事務所の中に置いてあった予備の中で一番地味目な色合いのネクタイを選ん
だ。外見だけ変えるというのも情けないが、出来るだけ第一印象はいい方がいいだろう。
ただ、着ているものや身に着けているものは、普通のサラリーマンが持つには桁が違い、これでどこが殊勝なのかと思われるかも
しれないが、一応これも嗜みのつもりだ。
 「お前まで来なくて良かったのに」
 父親は仕方ないにしても、小田切が同行するのはさすがに眉を潜めてしまう。どうせ、太朗の父親に殴られる上杉を笑いなが
ら見るのだろうが。
 「柔道をなさっておいででしたよね」
 そんな上杉の小言(口の中で呟いていた)などいっさい無視をしたまま、小田切は太朗に話し掛けた。俯いていた太朗も慌て
て顔を上げて頷いてみせる。
 「は、はい、小学校から習ってたって」
 「段持ちか?」
 「知らない。あんまり教えてくれないから。でもっ、弱くないよ?昔、遊園地の乗り物で割り込もうとしてた奴を、母ちゃんと一緒
に摘んで追い払ったし!」
 「・・・・・」
(それは、母親が強いんじゃ・・・・・ねえか?)
父親に対して絶対的な信頼と愛情を持っている太朗の感想は半分に聞いていた方がいいだろう。
どちらにせよ、よく太朗が《熊のように大きくて優しい》と言っている父親だ。ただ身体が大きいだけか、それとも腕力もあるのか、い
ずれにせよ当人に会うのももう直ぐだ。




 車が家の玄関前に着くと、太朗は緊張したように何度も大きく溜め息をついた。
(い、いよいよだ・・・・・)
車庫には車が停まったままで、父親が家にいることは確かだろう。いや、予め母に電話をしたので、もしも太朗を捜しに出ていた
としても帰ってきているはずだ。
(・・・・・怒るかな、父ちゃん・・・・・)
 「・・・・・」
 「ん?」
 太朗は隣に座っている上杉を見上げた。
もしも、付き合っているのが同級生だとしたら、ここまで自分は引け目を感じただろうか。自分の中では、男の、それもかなり年上
で、しかもヤクザの上杉と付き合っているということに、どこか後ろめたい気持ちを持っているのかもしれない。
 好きだという気持ちだけで突っ走ることが出来た付き合い始めの頃は、太朗はまだ15歳の、高校1年生になったばかりだった
が、それから付き合いの時間も関係も深くなり、今太朗は色々なことを考えるようになっていた。
 「・・・・・ごめんね?」
(こんなこと思ってる俺が・・・・・情けないよな)
 男らしくない自分に、太朗の気分はどんどん落ち込んでしまう。
すると、上杉はくっと目を細めて笑った。
 「俺と、別れないんだろ?」
 「あっ、当たり前じゃん!」
 「それなら何も問題は無い。俺にとっては、お前がここにいるってことが一番大事なんだからな」
上杉はそう言って、車のドアを開けた。
 「勝負だぞ、タロ。一緒に勝とうな」




 インターホンを鳴らして太朗が帰宅を告げると、しばらくして玄関が開いて佐緒里が顔を出した。
 「本当に連れて来たのね」
そこにいる上杉の姿を目に留め、太朗に向かって溜め息混じりにそう言った佐緒里は、自分達の後にいるオマケ2人にも視線を
向けた。
小田切とは以前会ったことはあるが、父の壱郎は初対面だ。
(・・・・・まあ、分からねえだろうな)
 一見しただけでは、とても上杉のような男の父親には見えない壱郎を戸惑ったように見つめる佐緒里に、上杉は端的に立場を
紹介した。
 「俺の親父」
 「え?」
 「上杉壱郎です。このたびは息子がお世話をかけて申し訳ない」
父親はにっこりと魅惑の笑みを浮かべる。普通の女ならば途端に堕ちてしまいそうな笑みも、佐緒里には・・・・・やはり効き目は
無かったらしい。普通に自分の自己紹介をしてきた。
その様子に、壱郎は肩を竦めるが楽しそうだ。
 「さすが、太朗君のお母さんだ」
 「佐緒里と呼んでくださって構いません。私の名前はお母さんじゃありませんから」
 きっぱりと言い切った佐緒里は、そのまま上杉に視線を戻した。
 「親まで同行させたあなたの覚悟は十分分かったけど、うちの七之助さんは一筋縄じゃいかないわよ。私が妬きもち焼いちゃう
くらい、この子と伍朗(ごろう)を愛しているから」
 「ああ、分かってる」
 「じゃあ・・・・・どうぞ」
佐緒里が大きくドアを開け、招き入れる言葉を口にする。
一瞬、太朗が自分を見たが、上杉はもう躊躇うことはなかった。たとえ今から会う人間が太朗にとって一番大切な肉親であって
も、奪い取っていく覚悟は出来ているのだ。
 「失礼します」
 一言断ると、上杉の身体には少し小さめの玄関へと足を踏み入れた。
すると・・・・・。
 「・・・・・どなたでしょうか」
 玄関のたたきの上に・・・・・熊が立っていた。
(・・・・・なるほど、熊だな)
かなりの長身に、堂々とした体躯。
もみ上げから顎にかけて髭を蓄えた男は、鋭い眼光を上杉に向けている。
佐緒里は事情を話していないはずだが、どこかで予感がしていたのだろうか・・・・・明らかに警戒している上からのその眼差しに、
上杉は真っ直ぐ見返しながら言った。
 「初めまして、上杉といいます。息子さん・・・・・太朗君とお付き合いさせてもらってる者です」