STEP UP !











 いったい、この父親はどういう態度を取るだろうか・・・・・上杉は腹に力を入れた。
あれ程の体格をしている人間に殴られたらそれなりの衝撃だろうが、太朗の前でみっともなく倒れることだけはしたくなかった。もち
ろんそれには自分のプライドもあるが、それと同時に、いや、それ以上に、父親が恋人を殴り倒したというショックを太朗には与え
たくなかったのだ。
(殴られるのなんか、久し振りだな)
 若い頃はかなり無茶もしたので生傷は耐えなかったが、致命傷などは負ったことはない。殴られても死ぬことはないと、上杉は
覚悟を決めて太朗の父親・・・・・苑江を見つめていた。
 しかし。
 「ご丁寧に、ありがとうございます」
 「・・・・・え?」
いきなりそう言った苑江は靴も履かずに玄関に下り立つと、狭い場所で大きな身体を丁寧に折り曲げた。
 「太朗の父親の、苑江と申します」
 「あ、いや・・・・・」
(何だ?)
 いったいどういう展開なのかと、上杉は自分の後ろに立つ太朗に視線を向けるが、太朗も目を丸くして父親を見ている。
太朗の様子に、今度は佐緒里を見るが、佐緒里も肩を竦めているだけだ。
 「・・・・・あー、お父さん」
 一瞬、どういう風に呼ぼうかと思ったが、太朗の父親だからと苗字ではなく《お父さん》と呼んでみた。後ろにいる本物の父親に
も言ったことがない言葉だ。
 「私は」
 「本当なら、男側の親である私の方が挨拶に行かなければならないくらいですのに、太朗が・・・・・息子が誰かとお付き合いし
ているということを今日知った不甲斐無い父親で・・・・・」
 「・・・・・」
 何か、おかしい。
上杉は開きかけた口を閉じて、そのまま苑江の言葉を聞いた。
 「それで、うちの息子は、お宅のお嬢さんときちんとした交際をしているんでしょうか?」
 「・・・・・オジョウ、サン?」
(もしかして、俺を相手だって・・・・・思ってない?)
 上杉のその反応に、苑江は強面の眉間にますます深い皺を浮かべる。
 「子供っぽい息子が、まさかとは思ったんですが・・・・・中学、生・・・・・っ!小学生のお嬢さんでしたかっ?」
 「とっ、父ちゃんっ?」
 「・・・・・」
(・・・・・ビンゴだ)
思わず空を見上げた上杉の耳に、必死に噛み殺す父と小田切の忍び笑いが虚しく聞こえてきた。




(父ちゃんめっ!何ジローさんを親だって誤解してるんだよ〜!!)
 太朗は父親の壮大な勘違いをなんと言っていいのか、上杉に申し訳ない気持ちで一杯だった。
確かに、常識で考えれば太朗の交際相手は同年齢の・・・・・女の子、だろう。
目の前の、父親とそれ程歳の変わらない、体格的にも見劣りしないこの男が息子の交際相手と思うよりも、その父親だと考え
る方が妥当だとは分かる。分かるが・・・・・。
 「・・・・・」
 太朗は茶の間へと向かう上杉をチラッと見上げた。
 「ごめんね、ジローさん。父ちゃん、勘違いしちゃって・・・・・」
 「まあ、いきなり殴られるよりも結構キタが・・・・・これからの親父さんのショックを考えればなんでもないことだ。それより、タロ、お
前の方こそ大丈夫か?」

 「図体の大きい人ばかり玄関にいると暑苦しいわ。七之助さん、上がってもらいましょう」

 固まってしまった空気を母親の言葉が解かしてくれ、今一同はぞろぞろと移動中だ。今から本当の自分達対父親の対決が
始まる。
 「・・・・・うん、大丈夫」
ここに、上杉が一緒にいること。それだけで太朗の気持ちは強くなっていた。父親の衝撃を考えると悲しくて寂しいが、それを乗り
越えないと何時まで経っても父親を騙し続けることになってしまう。
(そっちの方が嫌だもんっ)
 太朗は拳を握り締めてちゃんと顔を上げる。
その肩を後からポンッと叩かれ、太朗はうんっと足に弾みをつけた。




(タロは・・・・・いったいどんな子と付き合ってるんだ?)
 苑江は家に現れた3人連れを見て、本当は内心混乱していた。
上杉と言った男は、男の自分から見ても堂々とした態度に男らしい容貌の主で、普通のサラリーマンにはとても見えなかった。
いや、この男だけではない。同行者の1人は綺麗な容姿であったし、もう1人は年齢不詳の雰囲気のある者だ。
 「七之助さん」
 「あ、ああ」
 とにかく、付き合い自体に文句を言いに来たのか、それとも他の理由があるのか分からないが、こうやって大の大人が3人も来
たのだ、簡単な話ではないだろう。
 それでも、苑江は息子の、太朗の味方になってやろうと思った。
今朝は、それまでまだまだ子供だと思っていた太朗に恋人がいると突然聞かされ、まさかと思わず強く問い詰めてしまったが、考
えたら太朗も彼女の1人でもいてもおかしくないのだ。
 親に反対されたから交際を諦めるなどと思って欲しくない。多分、太朗の初めての恋を、出来るなら応援してやりたい。
自分が問い詰めた挙句に太朗が逃げ出してしまい、それが苑江にはとてもショックだった。

 「父ちゃんが一番好き!」

 弟の伍朗と競争のように自分に抱き付いてそう言ってくれていた太朗が急に大人になったような気がしたのだが、まだまだ自分
が守ってやらなくてはならないのだ。
(タロ、父ちゃんに任せておけ!)
必ず交際の許可は取ってやると、苑江は強く心に誓った。




 何度か訪れた太朗の家の茶の間。
さすがにもう炬燵ではなく、台の上にはミカンも無かった。
 「うちには、応接間という洒落た場所はないので・・・・・」
 「いえ」
 まさか、あなたの留守に何度か来ていますとは言えず、上杉は苦笑を零しながらも名刺を取り出した。もちろん、表の企業の
肩書きのものだ。
 「・・・・・会社を、なさってるんですか」
 「小さいものです」
 「いや、ご立派です。あいにく、今名刺を持っていないんですが、私は消防吏員(しょうぼうりいん)、消防司令補(しょうぼうし
れいほ)を任命されております」
 「・・・・・消防士、ですか?」
 「早く言えば、そうです」
 「・・・・・」
(なるほど)
 ようやく、上杉は太朗の父が不在が多い理由が分かった。消防士ならば夜勤等もあるだろうし、ある程度の肩書きを持ってい
るのなら忙しいだろう。
 「・・・・・息子から、聞いておられなかったんですか?」
 「公務員だとは。ただ、その割には時間が不規則だなとは思いましたが」
 何だか微笑ましい気がする。太朗の潔さや男らしさは、消防士の父親を見て育ったからだろう。
(それに、ボケ具合も似てるしな)
 だが、このまま苑江の勘違いを利用しようとは思わない。わざわざここまで来たのは、太朗との付き合いをはっきりと伝えるため
だ。それを受け入れるかどうかは、苑江次第だが。
 「先程、挨拶をさせてもらいましたが」
 「ええ。息子は全くお嬢さんとの付き合いの話を話してくれなくて・・・・・」
 「違います」
 「・・・・・違う?いや、ですが、付き合いをしているって・・・・・」
 「それは、間違いありません」
 苑江は上杉の言葉をどう考えていいのか分からない様子だ。上杉にすればあれでもはっきりと言ったつもりだったが、もっとちゃ
んと言葉にしなければ伝わらないと、改めて苑江に視線を向けて言った。
 「息子さんとお付き合いさせていただいているのは、私、です」
 「・・・・・あなた?」
 「はい」
 「あなたが・・・・・太朗と?」
 「恋人として付き合っています。ああ、私には妻も娘もいませんから」
 「・・・・・!!!」
声なき声を上げた苑江が思わず立ち上がり、真上から上杉を睨みつける。それは、先程玄関先からぶつけられたものよりも遥
かに強い、殺気を帯びたものだった。
 「貴様が太朗と付き合ってるだとっ?本気で言ってるのか!」
 「冗談で言えることじゃないでしょ」
(この反応が当然だ)
 これで、ようやく太朗の父親との対決が始まった。上杉は出来るだけ不遜には見えないように(十分雰囲気はそうだったが)下
から苑江を見上げて言う。
 「もちろん、別れる気はありませんから」
 「ジ、ジローさん!」
喧嘩腰にはならないつもりだったが、男と男の張り合いには負けるわけにはいかなかった。