STEP UP !











 いったい、上杉が苑江に何と言うのか、佐緒里は半分楽しみに、そして半分は心配でずっと聞いていた。
妻である自分が妬きもちを焼いてしまうほどに子煩悩な苑江。それは2人の息子共にだが、特に初めての子供である太朗への
思い入れは強いものがあり、今回の恋人騒動は簡単には決着が着かないだろうと思っていた。
(それでも、そろそろ伝えておいた方がいいと思ったんだけど)
 女なら誰もが見惚れるほどにいい男の上杉が、太朗のような子供を選び、付き合い始めてもう2年近くだ。
どうやら身体の関係もあって(ハッキリ確認してはいないし、知りたくも無いが)、きっと高校を卒業すると同時に奪い去ってしまい
そうな勢いも感じて、その前に、苑江にもこの男の免疫を付けておこうと、佐緒里は意識的に太朗の恋人の存在を匂わせたの
だ。
 いつかは、親離れをする子供。
しかし、今という時期は早いのかもしれないし、なによりその原因が上杉のような男だ。
わざわざ親まで連れて(とても親には見えない)挨拶に来たことは評価するが、一度で許してもらおうと思うのは甘い・・・・・佐緒
里はそう思っていた。
 「普通、付き合いの許しを請うものじゃないかしら」
 「もう付き合ってるんだ、今更だろ」
 「・・・・・」
 佐緒里は溜め息をついた。
(利用されちゃったかもね)
どうやらこの展開は上杉の思惑通りのようだ。一発二発殴られて、それで一応顔見せは終わったとするつもりなのかもしれない
が、それではとても苑江の気持ちは治まらないだろう。
 2人を別れさすことは無理だと、とうの昔に達観していたが、それでもいい加減な交際の申し込みを認めることは出来ない。
苑江ほどではないかもしれないが、佐緒里も太朗を愛しているのだ。
 「上杉さん、このまま帰る気?」
 「帰ってもいいが、そっちの・・・・・オヤジさんは不満だろう?」
 「あなたにオヤジだなんて言って欲しくないわね、こんなに素敵な人なのに」
 「・・・・・人の趣味は色々だな」
 「ホント。太朗があなたのどこを好きになったのか、私は少しも分からないわね」
あれだけ父親が理想の男だと言っていたのに、その父親とは正反対の上杉を選んでしまった息子。
自分の過去を思えば、恋する相手に文句などは言えないが、それでも簡単に許さないのは親としての意地でもあった。




 「太朗、今ここに上杉さんがいるんだから、ちゃんと自分の気持ちを言っておきなさい。七之助さんはあなたの話を何時もちゃん
と聞いてくれているでしょう?」
 「・・・・・うん」
 「このままで、あなた、これからも上杉さんと付き合えるの?」
 「おい」
 言葉を止めようとした上杉を一睨みすると、母は真っ直ぐに太朗を見つめて言った。
 「私達はあんたの味方よ、太朗。それでも、このままうやむやに逃げることだけはして欲しくないの」
 「・・・・・分かった」
太朗は母の言葉に深く頷いた。
今まで、自分のことを信じて父に黙ってくれていた母。しかし、それで許されていたと思う自分は甘かったのかもしれない。
(普通とは、ちょっと・・・・・違うもんな)
 同級生との、高校生らしい恋愛ではなく、歳の離れた男との、身体の関係も込みの恋愛。まだ庇護されなくてはならない年
齢の自分に、両親が上杉との関係を否定するのは十分理解出来た。
 それでも・・・・・好きなのだ。
今更、上杉との関係が無かったことに出来るほど浅い付き合いはしてこなかったつもりの太朗は、きちんと座り直すと真っ直ぐに
父を見つめた。
 「父ちゃん」
 「聞きたくない」
 「父ちゃん」
 「七之助さん」
 「・・・・・」
 母が、父の腕をポンポンと叩いている。
何時もの仲の良い2人の姿を見た太朗は、ふと自分の隣に座る上杉を見上げた。
 「タロ?」
直ぐにその視線に気付いてくれた上杉は、ギュッと手を握り締めてくれる。嬉しいなと、本当にそう思った。




 太朗が、男を見ている。
そして、男も太朗を見ている。
2人の間に流れる空気は既に好き合っている者同士のそれで、とても男が無理矢理に関係を迫り、付き合わせているとは思え
なかった。
 「・・・・・」
 「父ちゃん、俺・・・・・ちゃんと、ジローさんが好きなんだ」
 「太朗・・・・・」
 「父ちゃんがジローさんのこと嫌いになると・・・・・悲しいよ」
 「・・・・・っ」
 苑江は拳を握り締める。
しかし、その手を振り上げる勇気はとても・・・・・無かった。この男を殴れば、きっと太朗が悲しむ。この男が怪我をしても、苦痛
で呻いても罪悪感など生まれないだろうが、太朗が悲しい顔をするのは・・・・・辛い。
 「父ちゃん」
 「・・・・・」
 「父ちゃん」
 何時もより、少しトーンの違う声。
太朗が誰を思い、庇っているのか。苑江は太朗から視線を逸らしてしまった。




 苑江の空気が少しだけ変わった。怒りの気はまだ消えてはいないが、同時にどこか困惑しているような、どうしていいのか自分
でも分からないような感じだ。
このまま上杉がゴリ押しをすれば、もしかしたら諦めてしまうかもしれないが・・・・・それでは認めてもらったということにはならないだ
ろう。
 「苑江さん、俺は太朗を真剣に愛してる」
 「・・・・・」
 「生涯、こいつと一緒にいるつもりだ。俺は褒められた生き方をしてきた男じゃねえが、こいつに関してのことだけは、絶対に嘘は
付かないし、泣かせることもしない」
 「・・・・・信じられない」
 「・・・・・」
 「あんたみたいな男が、太朗だけを見ているなんて信じられない・・・・・っ。何時か、太朗に飽きて、大人の女を選ぶに決まって
る!そうしたら太朗はどうなる!男のお前を好きになったこいつはどうなるんだ!」
 「・・・・・信用ねえな」
 苑江の言葉には苦笑しか浮かばないが、それでも親としてならそう思うのが本当だろうなと思う。
これだけ親子の繋がりが深い家族を引き離すことは無理だろうし、したいとも思わなかった。今の太朗があるのはこの両親の、家
族の存在があったからだと嫌でも感じるからだ。
 「・・・・・じゃあ、認めてもらうまで、通うしかねえな」
 「ジローさん?」
 「一度で許してもらえるとは思っちゃいねえよ。そっちが俺にタロを任せられると思うまで、悪いがこの家に寄らせてもらう」
 「・・・・・許さないって言ったろう」
 「長い付き合いになりそうだな」
上杉が片頬を上げて笑うと、苑江は厳つい顔をますます顰めてしまった。




(もう少し、言葉を選べばいいんですけどねえ)
 黙って今までの流れを見つめていた小田切は、穏やかな笑みの下で溜め息をついた。
どう考えても上杉は喧嘩を吹っかけているようにしか思えない。日頃周りにいる者達のことを考えればこれでもあたりは柔らかな
方だろうが。
(・・・・・ああ、そういえばちゃんとした職業も話していなかったか)
 表の会社の名刺は渡したが、本来の職業・・・・・ヤクザの組を背負っているということはまだ話していない。多分、それを知ら
れてしまったら今以上に騒ぎになるだろうが(なにせ、相手は消防吏員という公務員だ)、その前に、今は懐の中に入り込もうと
いうのだろう。
(この手のタイプは人情に弱いだろうし)
一度自分の中に受け入れた相手を、その後で生業ではじくようなことはしないだろう。
 「夕食を、一緒にいかがですか?」
 「・・・・・」
 いきなり切り出した小田切に、そこにいた全員の視線が向いた。
 「このままでは、お母様も食事を作る気にはならないでしょう?よろしければ」
 「・・・・・買収する気か」
 「こんな安いもので買収などされないでしょう?」
睨んでくる苑江に、小田切はにっこりと笑い掛ける。周りを考えれば、苑江のこの睨みなど可愛いものだ。
 「・・・・・そうね、ご馳走になりましょうか」
 「佐緒里さんっ」
 「七之助さん、そんなに怒っていたら身体に悪いわよ?上杉さんが奢ってくれるんだったら美味しい物をいただきましょ。大丈夫
よ、そんなものと太朗を同じには考えないでしょ、ねえ、上杉さん」
 「当たり前だ。飯ぐらいでガタガタ言う気はねえな」
 何を食べようかしらと嬉しそうに言う佐緒里は、きっと苑江に猶予を与えようとしているのだろう。
今ここで全てを決断しなくてもいい、もっと、時間を掛けて上杉を見ればいいと、そう言っているのがよく伝わってくる。
(さて、どうするでしょうかね)
佐緒里よりもずっと頭の固そうなこの父親はどうするだろうか・・・・・小田切は半分面白く想像しながら見つめていたが、
 「よし!高いもの頼んでやるぞ!」
いきなり、そう言いながら苑江は立ち上がった。
 「佐緒里さんっ、伍朗も呼んで来てくださいっ、ビフテキ食べるぞ!ビフテキだ!蟹も食ってやる!」
 「・・・・・それは、美味しそうですね」
苑江の言葉に、小田切の完璧な笑顔が少しだけ強張った。