「う・・・・・」
 目の前の建物を見上げて、暁生は青褪めてしまった。
(こ、怖い・・・・・)
本当は大きな声でここには入りたくないと言いたいが、せっかくの雰囲気を邪魔したくないとも思っている。しかし・・・・・《最恐戦慄
迷宮》という名前なんか、いかにも怖がって下さいと言わんばかりではないか。
 「・・・・・」
 ふと、少し離れた場所に立っている友春の横顔を見ると、心なしか彼も青褪めているように見える。普段も物静かな様子の彼
だが、もしかしたら自分と同じように怖がりなのかもしれないと思った。
(他にも・・・・・)
他にも、言葉に出して言わないが、自分のように怖いものが苦手だという者がいるのではないか。暁生はそんな僅かな思いを抱き
ながら自分の周りに視線を向けたが、見た限りでは・・・・・いないように見える。
 太朗と楓は楽しそうに話しているし、真琴と静は何時もと変わらない表情だ。
日和も・・・・・そう、暁生の認識では大人しそうな日和も、特に緊張した様子は見えず、どうやら本当にお化け屋敷を怖がってい
るのは自分だけのような気がして情けなくなってしまった。
 「暁生」
 「な、楢崎さん」
 そんな暁生の肩を抱き寄せてくれた人は、声を聞かずともその手の感触だけでも誰だか分かった。
 「・・・・・リタイヤするか?」
どうやら暁生の様子を見て、目の前のものが苦手なようだということを悟ってくれたらしい。
 「え、あ、あの」
 「無理はしなくていいんだぞ」
 それは、分かっている。入らないと言えば、それでも強引に引きずり込もうとするような者はここにはいない。
それでも、何だか1人だけ仲間外れになるのはやっぱり嫌で、暁生は明らかに強張っていると自分でも分かるような笑みを楢崎に
向けて言った。
 「だ、大丈夫です」
 しかし、暁生は気付かなかった。
自分の友人達の中ではなく、遥かに大人だと思っている者達の中に、自分と同じような顔色の者がいるということを・・・・・。




(・・・・・別に、私が入らなくてもいいだろう)
 倉橋ははなから参加するつもりは無かった。
自分が怖がりだとは思っていないが、それでも気味の悪いものはあまり好きではない。万が一、みっともなく叫ぶようなことがあった
らそれこそ恥だと、さりげなく一行から離れようとしたが。
 「どちらに行かれるんですか?」
 「・・・・・っ」
 楽しそうな声は、明らかに自分の現状を分かっている様子だが、言葉にしてはっきり言わないのがこの人物らしいと思った。
 「・・・・・警備の確認をと、思いまして」
 「大丈夫ですよ。この建物の中にも十分ガードは付けていますから」
 「そうですか・・・・・」
 「倉橋さんも楽しんだらどうです?あまりこんな場所は来ないでしょう?」
 「・・・・・それは、小田切さんもだと思いますが」
諦めて小田切を見つめると、やはりその表情は楽しげだ。何時も物腰は柔らかい人だが、何かを企んでいる時は特に・・・・・こ
んな風な表情になることを短いとは言えない付き合いで知っているつもりだ。
 倉橋は綾辻の姿を捜した。この小田切を1人で相手にするには気が重い。
 「倉橋さん」
瞳を忙しく動かしている様子を見咎めたのか、小田切がさらに言葉を継いだ。
 「良かったら、私と回りますか?」
 「・・・・・小田切さんと、ですか?」
 「守って差し上げますよ」
・・・・・どうやら、想像通りの展開になりそうな気がして、倉橋は焦って心の中で頼りになる男を呼んでいた。
(どこにいるんですかっ、綾辻さん・・・・・っ)




 「え?アッキー、楢崎さんとがいいの?」
 「う、うん、ごめん」
 「申し訳ない」
 目の前に2人並ぶ姿に、太朗は交互に視線を向けた後こっくりと頷いた。
 「分かった。じゃあ、2人の名前は省いとく」
気遣いの人である楢崎がそう言いだすということはそれなりの理由があるんだとさすがに太朗も分かる。
(それに、楢崎さんが怖がって泣く姿なんて想像出来ないし)
 普段とは別の表情が見たいという希望には沿わないような気がするので、この希望は取り入れて直ぐにアミダを書き換えた。
一組だけカップルを変えないということは、もう一組も変わらないようになりそうだが、ここは今まで傍観者の立場だった小田切や綾
辻、そして倉橋を巻き込めば問題は無い。
どこかが3人一組になってしまうが、それもワイワイ楽しそうだ。
 「じゃあ、決めるよ!」


 「俺は上杉さんか」
 よろしくお願いしますと真琴は頭を下げる。
 「僕は・・・・・秋月さん?」
友春はどうしようかと不安げな表情だ。
 「俺は海藤さんですよね?」
静は笑みを浮かべている。
 「俺は・・・・・」
 「私とよ、ヒヨちゃん」
綾辻が軽く手を振り、
 「えー、じゃあ、俺は・・・・・」
楓の視線の先には江坂がいて。
 「俺はケイとだ!」
太朗が憮然とした表情のアレッシオを振り返った。
 「後は、楢崎さんとアッキーと、三人組は小田切さんと伊崎さんと倉橋さん!」
運命の神の悪戯か、かなり面白い組み合わせが出来上がった。




 「何時も真琴にはお世話になっています。あ、海藤さんには江坂さんもお世話になってるんでしたっけ」
 「私など、江坂理事のお役に立てているかどうか分かりません」
 静かに応えてくれる海藤は、見掛けの通り物静かな人のようだ。真琴とは頻繁に連絡を取るものの、そこに海藤が絡むことは無
いので、実際に彼の何を知っているのかと問われたら困ってしまう。
 こうして2人になった時も何を話していいんだろうかと少し考えたが、実際に向き合えば海藤の持つ雰囲気は静にとって心地良
いものだった。
(・・・・・あ、江坂さんに似てるからかな)
 整った容貌で、一見無感情に見えるほど冷たい表情をしているのに、心を許した者に対する眼差しはとても温かい。江坂のそ
れが自分に対してだけのように、海藤のそれも真琴だけなのではないか・・・・・そんなことを思っていると、海藤が幾分砕けた口調
で話し掛けてくれた。
 「こちらこそ」
 「え?」
 「真琴が世話になっている」
 その言葉に真琴のことを深く思っていることを感じ取れて、静は何だか気恥ずかしい思いがしてしまった。
(友達の恋人だって知ってるから余計になのかな)
 「・・・・・俺は、何もしていませんよ」
 「そうなのか?」
海藤の目が細められ、少しだけ笑ったような雰囲気を感じ取った。そんな風に表情が少しでも崩れると随分雰囲気は優しくなっ
て、彼がヤクザの組の会長だとはとても思えなかった。
(江坂さんもそうだけど)
 整った容貌をしているだけに、人間的な柔らかさが加わると無敵だなと思ってしまう。もちろん、静に自分の容姿に関して自覚は
全くといっていいほどになかったが。
 「海藤さんはお化け大丈夫ですか?」
 「・・・・・もしかしたら、君に助けてもらうことになるかもな」
 それが社交辞令だったとしても、もちろん静は共にいるものを見捨てるつもりはない。
 「じゃあ、行きましょうか」
静は自然に海藤の腕に手をやり、ワクワクした気持ちでお化け屋敷に入った。


 「ヒヨちゃん、お手て繋ぎましょうか?」
 「あ、え・・・・・と」
 「はい」
 本来気後れするほどにモデルのような華やかな容姿の持ち主である綾辻だが、そのオネエ言葉のせいか少しも警戒感を抱かせ
ない。
こうして会うのも数えられるほどだし、その中でもちゃんと話したというのは本当に僅かだと思うのに、日和は戸惑いながらも綾辻の
存在を受け入れていた。
 「ふふ」
 「どうしたんですか?」
 「睨まれちゃった」
 誰にと聞かなくても想像出来、日和は振り返りたいのをぐっと我慢した。目が合ってしまえば、それこそ秋月は周りを見ないで自
分の方に来てしまうかもしれない。
(こんなの、気にしなくてもいいのに)
 確かにいい歳をした男同士が手を繋ぐのは恥ずかしいことかもしれないが、お化け屋敷に入って迷子になっても困ってしまう。
好きとか嫌いとかではなく、必要上だということを秋月に説明するのは骨が折れるような気がした。
 「いい?このままで」
 「・・・・・いいです。ここに入るのは初めてだし、やっぱりちょっと、怖いし」
 お化け屋敷は好きだが、恐怖を全く感じないということは無い。そのためにも誰かの存在が直ぐ側にある方が心強かった。
 「彼じゃなくてごめんなさいね」
 「・・・・・っ」
何だか今の自分の気持ちを言い当てられたような気がして、日和は熱くなった自分の頬を誤魔化すように叩いた。


 「・・・・・あ」
 「・・・・・よく出来ている方だな」
 「確かに」
 一定の距離をあけて、楓は江坂の後ろを付いて歩いていた。
この傲岸不遜な男の後ろを自分が歩くということは面白くないが、自分が前に立ち、いきなり何かが飛び出してきて慌ててしまう姿
を見られるのも悔しい。
(それにしても・・・・・少しも慌てた様子を見せないな、こいつ)
 病院に見立てたお化け屋敷。さすがの楓も薄気味悪いと思うものの、それぞれの部屋で起こるどんな出来事にも、江坂は眼
鏡の奥の目を細めて冷静に対応していた。
心強いかもしれないが、一緒にこういうものを楽しむのには向いていない人選だと思う。
 「あっ」
 その時、また部屋の中でいきなり人影が動く。作り物とはいえさすがに驚いて身体を震わせた楓とは対照的に、江坂は冷静に
相手を見据えた。
 「その血糊、あまりに赤過ぎて現実味が無い。実際の人間の血というものはもっとどす黒くて粘ついているんだが・・・・・試しに自
分の身体で見てみるか?」
 「ひぇっ」
 「・・・・・」
(おいおい、お化け役を怖がらせてどうする)
 言いたいことだけを言って再び歩き出した江坂に、楓はさすがに注意してしまう。
 「あんまり、大人気ない真似は止めたらどうです?」
 「・・・・・助けてくれ・・・・・これでいいのか?」
 「・・・・・もう、いいです」
 棒読みで悲鳴を上げられても面白くも何ともない。楓は後何十分心の中で突っ込めばいいのかと思いながら溜め息をついてし
まった。


 「うわあ!!」
 普段の自分ならば出さないような声を上げ、大きく後ずさった友春は壁にぶつかって呻いてしまった。
 「何をしているんだ」
 「す、すみません」
これがアレッシオならば、

 「お前が目に映したくないものならば見なくてもいい」

などと言い、そのまま抱き上げてしまいかねないが、側にいるのはそのアレッシオではなく、面白くなさそうな顔をしている秋月だ。
(こ、怖いの、嫌いじゃないんだけど・・・・・)
 怖いもの見たさという気持ちの方が大きいかもしれないが、それでも友春は意外にこういったものは好きだ。
レンタルビデオでもホラーものはよく見るし、漫画でも大丈夫だが、それでも恐怖というものは消えるわけではなく、足が竦むのも仕
方が無い。
 「・・・・・」
 そんな友春を、しばらく先を歩いていた秋月が立ち止まって振り向いた。
 「あっ」
遅くなってしまったのを怒られるかもしれない。そう思った友春は焦って足を進めるが、薄暗い部屋で何かに躓いてこけそうになって
しまった。
顔をぶつけてしまうかも・・・・・とっさに目を閉じた友春は、しっかりと身体を抱きとめてもらって思わず顔を上げる。
 「あ・・・・・の」
 「カッサーノ氏の大切な相手を怪我させるわけにはいかないだろう」
 「・・・・・ありがとうございます」
 「行くぞ」
 手は繋がないものの、秋月は友春の腕を掴んで強引に歩かせ始める。
アレッシオ同様マイペースな人だと思ったが、それでも始めのうちに感じた苦手意識は少し薄らいだような気がした。


 大きく厚い手の平にしっかりと握られた自分の手。
いつもならばそれだけで嬉しくて、顔が赤くなってしまうのを隠すのが大変なくらいなのに、この暗闇の中ではそれを知られる恐れは
ないうえ、自分も気にしている余裕など無い。
 「ひ・・・・・っ」
 遠くから聞こえる誰かの悲鳴に、暁生は思わず楢崎の腕にしがみ付いてしまった。
 「大丈夫か?」
 「だ、だい、じょぶっ」
いや・・・・・あまりそうでもない。視界は目を閉じればいいが、耳を塞ぐことまではなかなか出来ないのだ。
(見るのは怖い、し、でも、声だけ聞こえるのも・・・・・)
 もう、2、3時間この建物の中にいるような気分だが、実際はまだ10分かそこらだろう。やはり入口で恥ずかしくてもパスすればよ
かったかもしれない思っていると、グッと強く肩が抱き寄せられた。
 「悪かった。こんなにも怖がるとは思っていなくて」
 「な、楢崎さんが謝ることなんて、無いですっ」
 それよりも、一々反応して少しも前に進めないことが申し訳なくて仕方が無い。
 「お、俺、大丈夫だからっ」
 「・・・・・抱いていこうか?」
 「え・・・・・わあっ!」
思い掛けないことを言われたかと思ったら、実際に身体がふわっと抱き上げられた。あまりに驚いた暁生は目を開けてしまい、する
と直ぐ側にお化けを見てぎゃーっと悲鳴を上げた。
 「忙しい奴」
 「・・・・・っ」
 ぎゅっと、楢崎の首を絞める勢いでしがみ付いていると、苦笑混じりの声が耳に届く。
(ごめんなさい〜っ!)
自分の足で歩かなければならないと思う気持ちと、もっと楢崎にくっ付いていないと不安な気持ちが合わさり、暁生は自分がどう
していいのか分からないまま、ますます強く楢崎に擦り寄ってしまった。






                                          





お化け屋敷。私は苦手なので絶対に入りません!

次回もまだ続きます。