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「着いたぞ」
「あ・・・・・」
楢崎の声に、暁生は恐る恐る目を開けた。
「・・・・・外だあ」
楢崎が嘘を言うとは思わなかったが、目を開けた時にまた暗闇だったらどうしようかと不安だった。しかし、目に映った青空に、暁生
は大きな溜め息をつく。
「ご苦労さん」
そんな暁生を見て、楢崎は笑いながら髪をかき撫でてくれた。ずっと自分を導いてくれた大きな手。その存在があったからこそ、最
後までこれたのだとお世辞ではなく思っている。
「あ、ありがとうございました」
「礼を言うことでもないだろう。俺がお前と一緒にいるのは当然のことだしな」
「・・・・・っ」
(そ、そんなに真面目な顔で・・・・・っ)
楢崎の、ごく当たり前だという口調がとても嬉しく、しかし、馬鹿みたいに喜んでいる自分を見せるのが恥ずかしくて、暁生は焦っ
て顔を逸らした。
「アッキーッ、どうだった?」
そんな暁生に、太朗が手を振って訊ねてくる。
「こ、怖かった!」
「でも、楢崎さんが一緒なんだから平気だったんだろ?」
「・・・・・うん!」
チラッと楢崎を振り返ってから、暁生は太朗に向かって大きく頷いて見せた。
自分と楢崎の関係を知っているここにいる友人達くらいには、こうやって自慢しても許されるだろうか。少し、怖くて、でも、やっぱり
言いたくて。
それに返ってきた返事は、
「いいな〜」
そう、羨ましそうに言う太朗の言葉だった。
最後に出てきたのは、上杉と真琴だ。
「遅いじゃんっ」
「お、待ったか?」
自分に向かって駆け寄ってきた太朗を寸前で抱き寄せて上杉は笑った。子供扱いをされたと思ったらしい太朗は腕の中で暴れる
が、もちろんそのまま解放してやる気は無い。
「お前と回りたかったな。怖がって俺に抱きついて・・・・・あ、お前、カッサーノに抱きついてないだろうな?」
「あ、あのなあっ、俺は怖がりでもないし、誰かれ構わず抱きついたりしないよ!」
思った通りの反応に満足した上杉は、自分の隣で笑っている真琴を振り返った。
「な?こいつ、つれないんだよ」
「でも、上杉さん嬉しそう」
「タロ不足だから」
今日は太朗が楽しむようにとその意見を聞き入れてきたものの、目の前にいるというのに触れることが出来ないのはやはり寂しかっ
た。
それがこんな風に向こうから歩み寄って来てくれたら・・・・・可愛いと撫でまわしたくなるのもしかたがないだろうと思う。
「お前と一緒にいるのも面白かったがな」
「そうですか?」
太朗が慕っている年上の友人。
自分が認めている海藤という男の恋人。
興味を持つ理由は色々あるものの、結果としてはなかなか面白い子だなということ。
なにより、自分に対しても自然体で接してくれ、太朗もきっとこんな真琴の傍にいることが心地良いのだろうと思えた。
「マコさんっ、ジローさんに変なことされなかったっ?」
「はは、何、変なことって」
「おい、タロ。恋人のことを何てふうに・・・・・」
「だって、普段がふざけているから心配だし!ね、大丈夫だった?」
可愛くないことを言う太朗をどうしてやろうかと思ったが。
「さあ、どうかな」
「えっ?」
「おい」
なぜか、意味深な所で言葉を切った真琴が、笑いながら上杉を見た。
(どういうつもりだ?)
太朗は何かを疑うように見てくるし、真琴はずっと笑いっぱなしで、上杉は何を言っていいのか分からない。
「あ、海藤さんっ」
その内、真琴は海藤がいる方へ走って行く。
「おい・・・・・」
「ジローさん!」
置いて行かれた感じになってしまい、上杉はどう太朗を宥めようかと考えるしかなかった。
「あー、もう、お前ら自由にしろ」
それから。
いい加減疲れてきた大人達はそう言い、まだ元気が余っている年少者達は自分達だけで乗り物を制覇すると言いながら走って
行った。
保護者的な役割も含めて付き合えたのは綾辻だけで、残った男達はベンチに座り、各々煙草を吸ったりコーヒーを飲んだりして
一息ついていた。
「全く、あの元気はなんなんだ」
呆れたような上杉の声に、海藤が苦笑しながら答える。
「楽しんでいるようで良かったじゃないですか」
「まあなあ・・・・・あ、海藤、お前あの子にちゃんと言っておけよ」
「え?」
「大人をからかうもんじゃないってな」
あれから、太朗はお化け屋敷の中で真琴に何かしたのではないかと疑って、何度説明しても納得をしてくれなかった。どうして真
琴があんな態度を取ったのかは分からないが、それでも一言文句は言いたい。
「あんな顔して、人が悪いぞ」
「・・・・・多分、苑江君のためじゃないですか?」
「ん?」
上杉は煙草を口に銜えたまま片眉を上げる。
「あなたの傍にいる理由作りに」
「・・・・・」
(そう、なのか?)
今回のことでは太朗は率先して一同の仲をかき回して楽しんでいて、自分の傍に落ち着くという時間はなかなか無かった。
それが、真琴があんな言葉を残してしばらくは、まるでじゃれるように自分の傍にいた太朗の姿を思い出し、まさかそれを狙っていた
のかと改めて思う。
「・・・・・深いな、お前の恋人は」
「ありがとうございます」
穏やかな笑みを湛える海藤の顔はどこか自慢げで、上杉はからかうように片肘でその背中を小突いた。
「もー、満足!」
散々、遊んだらしい年少者達が戻り、そろそろ帰る時間になってきた。
「じゃあ、最後に観覧車に乗りませんか?」
そう提案した真琴に反対する者はいなかったが、それまでカップルをシャッフルしてきたせいか、最後ぐらいはそれぞれ恋人同士で
乗りたいという意見が出て、もちろんそれにも反論する者はいなかった。
「ようやく、2人だ」
そう言った楓は、甘えるように伊崎の腕にしがみついた。
「でも、今日は楽しかったでしょう?」
「・・・・・うん、楽しかった。でも、恭祐が傍にいないのが嫌だった」
腕に頬をすり寄せる子供のような仕草に目を細めた伊崎は、手を離して下さいと言った。
「何だよ、嫌なのか?」
「私からも、抱き締めたいんですよ」
「・・・・・っ」
耳元で囁けば、白い肌が鮮やかに染まる。何時もは完璧に整った容貌の楓だが、こんな風に色を染めると、さらに艶めいて見え
て、伊崎は拒絶されないことをいいことに楓の肩を抱き寄せた。
楓は直ぐに安心したように身体を寄せてくる。それが自分に対してだけだと知っている伊崎は、そのまま手を動かして楓の髪を撫で
て言った。
「疲れていませんか?」
「大丈夫。・・・・・今日は、デートのつもりだったんだけど、タロが変なこと言いだしたし」
「今は、2人きりのデートでしょう?」
からかうように言えば、楓はチラッと上目づかいに見つめてきた。
「・・・・・時間が短過ぎる」
「それは・・・・・二周、回りますか?」
「馬鹿」
真剣に言ったのだが、どうやら楓は冗談だと思ったらしく笑いだしてしまう。伊崎もつられて笑い、そのまま楓の顔を覗き込むように
して頬にキスをした。
「場所、違うだろ」
キスの場所が違うと言われ、伊崎はすみませんと言いながら唇にキスをし直すと、楓の手が縋るように胸元のシャツを握り締めてき
て。うっとりと目を閉じた楓の艶やかな表情を他の者に見られなくて良かったと、伊崎はここが密室の観覧車だったことに安堵して
いた。
「全く、疲れた1日だった」
「そうですか?俺は楽しかったけど」
言葉の通り頬には笑みを浮かべたまま、日和は観覧車の窓から外を見つめている。そんな日和の横顔を見つめていた秋月は、
「日和、ここ」
と、自分の隣を叩いた。
「・・・・・バランス、崩れちゃわないですか?」
「そんなんで崩れるわけないだろ」
「うわっ」
ようやく2人きりになったというのに、離れて座っている意味は無い。そう思う秋月は少し身を乗り出して手を伸ばすと、そのまま反
対側に座っていた日和の腕を掴んで引き寄せた。
「あ、危ないですよっ」
大きく揺れた観覧車に恐怖を覚えたのか、日和の手が無意識に秋月の腕に縋りついてくる。
(もっと素直になればいいのに)
誰の目もないこの場所では、もっと自分に対して甘えてくれてもいいのにと思うが、そんな自分と日和の思いはどこかすれ違ってい
るようだ。
もちろん、日和の思いが自分に無いとは思わないものの・・・・・先に惚れてしまった方が負けだということか。
「秋月さん、ありがとうございました」
「ん?」
「今日、一緒に来てくれて。最悪、俺だけが来ようかと思ったんだけど、こうして一緒に来れたのが嬉しいし」
「一緒に来るのは当たり前だろう」
「それでも、です」
1人で来る気だったという言葉には眉を顰めるものの、その後の一緒に来れて嬉しいという言葉には嬉しさを感じる。
恋人の言葉に情けなく一喜一憂してしまうが、それも日和限定なので良しとしよう。
「日和」
「だから、ありがとう」
照れたようにそう言って、秋月の手を握ってきた日和の行動に口元が緩むが、もちろん手を握るだけで済まそうとは思わない秋月
だった。
(た、たか・・・・・)
どんどん地上から離れていく観覧車。別に高い所が怖いわけではない・・・・・と、思うものの、何だか先程からドキドキと心臓が
高鳴っているのが止まらない。
「どうした?」
「え、あ、ううん、何も」
(そっか・・・・・楢崎さんと一緒にいるせいなんだ)
お化け屋敷の時は一緒にいる喜びもあったが、それと同じように恐怖も感じていたので別の意味でドキドキしていた。しかし、今
は2人きりだというこの状況に落ち着かないのだ。
「変な奴だな」
楢崎はそんな暁生の気持ちが分からないのか、苦笑交じりの笑みを浮かべて窓の外に視線をやった。
観覧車と、楢崎。何だかとてもアンバランスだが、そこに自分がいることがとても不思議で・・・・・とても嬉しく思う。傍にいることを許
されているのだと、楢崎のリラックスした横顔からも感じ取れるのだ。
「・・・・・良かった」
「ん?」
「な、何でもないっ」
「怖いなら隣に来い」
お化け屋敷のことをまだ引きずっていると思ったらしい楢崎はそう声を掛けてくれるが、今の暁生にとって怖いのはそんなものでは
ない。
楢崎の恋愛への鈍感さがじれったく思うものの、それが彼らしくてさらに愛しく思ってしまう。
「だ、大丈夫だよっ」
「そうか?」
これ以上近付いたら、この心臓の音が聞こえてしまうかもしれない。それは恥ずかしくてたまらないと、暁生は誤魔化すように自
分も窓の外を見つめた。
「高いな」
「え?」
アレッシオの呟きに、友春は直ぐに振り向いた。
(そう言えば、イタリアにこんな乗り物あるのかな・・・・・っていうか、ケイがこういうのに乗るのなんて想像が出来ないけど)
友春にとって、アレッシオは恋人と言える存在になった今でも謎の部分がたくさんある。これまで彼のことを知ろうとしなかったからか
もしれないが、例えば今のように・・・・・。
「あの、ケイ」
「ん?」
「・・・・・こういうのに乗ったのって、初めて?」
「そうだな。あまり子供らしい遊びをした覚えは無い」
「・・・・・そう、なんだ」
(じゃあ、観覧車にこうして2人で乗ったのも、僕が初めてってことなんだ)
友春は自身の様々な初めての出来事をアレッシオから強引に教えられたが、そんなアレッシオにも初めてという出来事があるんだ
なと思うと何だか面白い。
「トモ?」
「今日は、楽しかったですか?」
「・・・・・それは難しい質問だな。お前と出掛けることは嬉しいことだが、2人きりでないことは面白くない」
アレッシオらしい答えに苦笑すると、だがなと言葉は続いた。
「お前の友人であるターロのために、今日という日はプレゼントすることにしよう」
「ケイ・・・・・」
「その代わり、私はトモに楽しい夜をプレゼントして貰う」
「な、何を言ってるんですか!」
今夜、アレッシオは当然日本に泊る。その夜を共に過ごそうという誘いの言葉なのだろうが、こうもあからさまだと恥ずかしくて仕方が
ない。
そう言えば、どんなに言葉を変えても意味は同じだと怒られそうだが、そういう問題ではないのだ。そこに、日本人である自分とイタリ
ア人のアレッシオの意識の違いがあって、それはなかなか埋めることが叶わない。
いったい、どちらが歩み寄ればいいのか・・・・・最終的には自分の方が引きずられるのではないかと思っていると、案の定、
「トモ」
アレッシオが名前を呼びながら手を差し出してきた。
あの手を取るかどうか考えている時間は多分自分にはないだろうと思った瞬間、案の定友春はアレッシオに抱き寄せられ、そのまま
濃厚な口付けを受けていた。
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観覧車の話はやっぱり甘い雰囲気に。
次回も続きます。