最後の最後まで、この自分が振りまわされたものだと江坂は苦い笑みを浮かべた。
ずっと不快な思いをしたかといえば・・・・・意外にもそんなに今日という時間を後悔することは無かったが、それでも。
 「江坂さん」
 江坂は窓の外から静へと視線を戻した。綺麗な景色だから見てくれと言われて視線を向けたのに、当の静はどうやらそんな自分
を先程からじっと見ていたらしい。
向かいの席を立って隣に座って来ると、なぜか嬉しそうな笑みを浮かべたまま江坂の腕に自分の腕を組んできた。
 「どうしましたか?」
 「江坂さん、優しい顔してるなって思って」
 「優しい・・・・・ですか?」
 あまりにも思い掛けない言葉に、江坂は少し驚いてしまった。
 「鏡があったら見せてあげたいくらい」
 「・・・・・」
江坂は自分の頬に手をやろうとして・・・・・止める。己で確かめなくても、静が言うのならばそれは確かなのだろう。
(こんな子供じみた時間を楽しんでいるのか、私は・・・・・)
生き馬の目を抜くほど厳しい世界で生き抜くために、日々緊張感を持って生活している江坂。そんな江坂が唯一気を抜くのは静
の前でだけで、だからこそ愛しい者と過ごす2人だけの時間を大切にしてきた。
 第三者がいる前では、気を許したことも無い自分だが、今日を共に過ごした者達を多少は受け入れているのだろうか・・・・・そん
なことを思う自体何だかおかしくて、江坂は反対の手で静の顎を取り、上向かせた。
 「静さんは私の世界を広げてくれますね」
 「え?」
 自分の雰囲気がこのまま穏やかになることはありえない。それでも、気を許しても良い場所があるというのは・・・・・悪くない。
 「静さんには感謝をしないといけません」
 「それなら、俺だって」
 「・・・・・」
 「江坂さんがいたから、俺、今こんなふうに笑えているんですよ」
綺麗な笑みを向けてきて、そんなふうに可愛らしいことを言う。
 「それは、私以外には見せて欲しくないですね」
 「江・・・・・」
 静は最後まで江坂の名前を呼ぶことは出来なかった。
重なった唇は互いを確かめるかのように何度も角度を変えて、江坂はここが密室で良かったと頭の片隅で考えていた。


 「・・・・・どうして、小田切さんと乗らなかったんですか?」
 「えー、観覧車は恋人同士とって決まってるじゃない」
 向かい合ったまま、倉橋の視線は微妙にずれている。その照れた仕草が可愛いのよねと内心では思いながら、綾辻の口調は
何時もと全く変わらないで言った。
 「・・・・・私は気が進まなかったんですが」
 「やだ、克己、お化けだけじゃなくて高いところも怖いの?」
 「・・・・・っ、誰も、そんなことは言っていません」
 「ふふ」
(分かってるわよ)
 倉橋が高所恐怖症だということは聞いたことが無い。この素直でない恋人は、密室で2人きりになるということに抵抗感を抱いて
いるのだろう。
(そこまで野獣に思われちゃってるのかしら)
 さすがに綾辻もこの狭い場所で、限られた時間で、濃厚な愛撫を施すことは出来ないが、それでもくっ付いてイチャイチャしてい
たいとは思う。
同行者が多く、しかもそれがそれなりの立場の者の時は自分達は警備や何やらで忙しく、なかなかゆっくりとした時間を取れない
のは覚悟の上だが、

 「ここはお2人でどうぞ」

なぜか、笑みを浮かべながら自分達の背を押してくれた小田切の好意に素直に甘えたいと思った。
 「克己、こっち」
 「・・・・・」
 来い来いと手を動かしても、倉橋は窓の外を向いたまま動こうとはしない。それならと綾辻が立ち上がって隣に座ると、焦ったよう
に何ですかと聞いてきた。
 「だから、イチャイチャしたいの」
 「・・・・・っ」
 今度は拒絶の言葉は聞こえてこない。
それをいい事に手を伸ばそうとした綾辻は、不意に携帯が震えたことに気づいた。
(何よ、いいところなのに)
 何かあったのかと思うが、観覧車の中にいる今どうすることも出来ない。それでも、緊急の用だったらと思いながら携帯を覗くと、
それはメールの受信だった。
 「・・・・・あ、綾辻さん?」
 自分の背中から圧し掛かるようにしながら動きを止めた綾辻の名前を怪訝そうに呼ぶ倉橋の声が聞こえるが、綾辻は送られて
きた短いメールと添付された写真を見て・・・・・口元を緩めた。
 「お仕置き、決定」
低い呟きに、倉橋が怯えたような眼差しを向けてきた。


 「おい、寝るなよ」
 「・・・・・ふぇ?」
 強く肩を揺すられた太朗は、ハッと目を瞬かせた。
 「そ、そっか、ここ観覧車の中だっけ」
乗って直ぐは上杉とたわいも無い言い合いをしていたが、次にどんどん高くなる景色に目がいって・・・・・そのまま、うとうとと眠くなっ
てしまったらしい。
 昨夜、今日のことを考えてなかなか眠れなかったせいだなと、太朗はパシパシ自分の頬を叩いた。そんな太朗の仕草に、上杉
が声を出して笑う。
 「頬が真っ赤になってるぞ。眠気覚ましに何をしたのかがバレるな」
 「えぇっ?」
 そんなにあからさまかと慌てて窓ガラスに自分の顔を映すが、色までは良く分からない。
それでも上杉が嘘を言うはずがないしなどと思っていると、ガラスに映った自分の顔の直ぐ上に上杉の顔があって・・・・・何時の間
にか上杉に背後から抱かれていることに気がついた。
 「ジローさん?」
 「楽しかったか?」
 エッチなことをするのかと警戒した太朗の耳に、優しい上杉の声が聞こえる。
そう言えば、遊園地に行くという無理な願いを聞き入れ、色々手配をしてくれた上杉にまだちゃんと礼を言っていなかった。
太朗はモゾモゾと身体の向きを変えると、直ぐ間近にある上杉の顔を見上げる。
 「今日は、本当にありがとう」
 「タロ」
 「ジローさんと遊べて、本当に楽しかった」
 大好きな友人達と共に遊ぶのはもちろん楽しかったが、そこに上杉がいるのならばそれはまた格別だ。
自分の我が儘を聞いてくれ、カップルを交換するというお遊びも許してくれた。それは一見自分の意見が通った様に見えるものの、
その影には上杉の存在があったはずだ。
 「そうか。楽しんだのなら良かった」
 「うん」
 「じゃあ、今度は俺が楽しませてもらうかな」
 「・・・・・っ」
 耳元で囁かれ、太朗はビクッと首を竦めてしまう。その反応に上杉がクッと笑うのが聞こえたが、何だか恥ずかしくて顔を上げられ
なかった。
 「タロ、ほら、顔を上げないとそのままキスするぞ」
そんなことを言って、顔を上げても絶対にキスをしてくるはずだ。
 「タ〜ロ」
後、何回名前を呼ばれたら顔を上げてしまうんだろうか・・・・・太朗はギュッと手摺に掴まったまま、上杉の甘い囁きに耐えていた。


 「あ、今頂上」
 真琴の声に、海藤も外の景色へと視線を向けた。
 「思ったよりは高いな」
 「海藤さん、観覧車に乗るの初めてなんですか?」
 「ああ」
幼い頃も、成長してからも、海藤はこういった場所に足を踏み入れることは無かった。
子供の頃の遠足も、修学旅行も休んだし、友人達と出掛けることも無く、それが特に寂しいとも不思議とも思わない捻くれた子
供だったと思う。
 今更、過去に戻ってやり直したいとも思わないし、未経験だということを心の傷になどしない。それよりも、初めての普通の経験
を、こうして真琴と共に出来たことが嬉しかった。
 「絶叫系はどうでしたか?」
 「ああ、最初は少し驚いたな」
 「嘘。全然表情変わらなかったのに?」
 「お前が見ていない時は泣きそうだったかもしれないぞ」
 「え〜」
 海藤の言葉に真琴が笑い、海藤もつられたように微笑む。
ゆっくり回る観覧車の中、真琴は何が楽しかった、あの時はあの人がと、海藤に身振り手振りで本当に楽しそうに話して、海藤も
そんな真琴の話を興味深く聞いて。
 「じゃあ、後は何に乗りたかったんです?」
 不意の質問に、海藤は眼下の乗り物を見ながら言った。
 「そうだな・・・・・コーヒーカップが回る奴とか・・・・・ああ、作り物の馬とか?」
 「海藤さんがメリーゴーランド・・・・・可愛いかも」
 「可愛いか?」
どこをどう考えたらそんなふうに思うのか分からないが、海藤の言葉は真琴には思いがけず面白いものだったようで、目尻に涙を溜
めながら笑いを堪えている。
 「真琴」
 「ご、ごめんなさい、想像したら・・・・・っ」
 「そんなに笑うな」
 怒っているのではない。何だか照れくさい気がしてしまうのだ。
 「・・・・・キスをして止めるぞ?」
そう言えば、真琴は焦って笑みを引っ込めるかもしれないと思って言ったが、真琴は目元まで笑いながら自分の席を立つと、
 「じゃあ、止めてください」
自ら海藤の唇にキスをしてきた。真琴らしからぬ大胆な行動だが、今日は真琴自身も高揚しているのだろう。
海藤はそんな真琴の腰をそのまま引き寄せると、許された唇にもっと深い口付けを与えた。




 一つ一つ開けられる観覧車の扉。
出てくる恋人達の顔は誰もかれも緩んでいて・・・・・そう見せ掛けないようにしている者もいたが・・・・・小田切は何があったのだろ
うなと思いながら皆を迎えた。
 「お疲れ様です」
 「ごめんなさい、小田切さん。1人にしちゃって・・・・・今から俺と乗りませんか?」
 太朗の申し出に、小田切は嬉しいですがと答えた。
 「私は高い所が苦手なので」
 「え・・・・・高所恐怖症?」
その質問には笑って誤魔化した。もちろん、高い所が苦手だというのは嘘で、太朗と乗り込むと言えば絶対に上杉もついてくるだろ
う煩わしさを考えたら、自分の弱みと言った方が気遣いの出来る太朗はそれ以上に誘ってはこないだろうし、話は早い。
 「ご、ごめんなさい」
 「気にしなくていいですよ」
眉を下げて謝罪する太朗に笑って言うと、小田切は次々に降りてくる一行に視線を向けた。

 「・・・・・」
(おや)
 その中の一組、綾辻と倉橋の姿に小田切の笑みは深くなる。満足そうな綾辻と、切れ長の目元をうっすらと染めた倉橋。
何があったのか、それを仕掛けた側である小田切には十分分かっていた。
 「満足されたようですね」
声を掛ければ、綾辻が笑う。
 「おかげさまで」
 「綺麗に映っていましたか?」
 それが何を言っているのか・・・・・綾辻はニヤッと人の悪い笑みを浮かべた。
 「十分。人が悪いわね」
 「それを利用したあなたも十分に、だと思いますけれど」
 「ふふ」
結局、お互い様だということなのだろう。お互いの性格を知り過ぎるとまではいかないにしても、その裏の顔を知っている自分達に
はその距離が丁度いい。
(まあ、好みが被らないのが良かったのかもしれないけれど)
 借りというわけではないが、綾辻はきっと今回の自分のプレゼントに対する見返りを自分に返してくれるだろう。それがどういったも
のか、気長に楽しむことが出来そうだ。
 「終わっちゃったわ」
 「そうですね」
 あれだけ奔走した今回のお遊びも、もうそろそろ終わりの時間になった。
ヤクザと遊園地というアンバランスさも今回はいいスパイスになったようで、小田切は一同の顔が満足げだということに自身も満足し
ていた。
別に、何時も周りをかき回すだけが自分の趣味ではないのだ。
小田切は最後に降りて来た海藤と真琴の姿を見てから、一同を振り返った。




 「それでは、そろそろバスに戻りましょうか」
 これが最後の乗り物だと分かっていても、やはり最後だとはっきり言われたら物寂しく、太朗は未練混じりに今降りて来たばかり
の観覧車を見上げた。
 「・・・・・もっと、遊びたかったなあ」
 「俺も」
 太朗の言葉に真琴の声が重なった。
 「でも、こんなに寂しいんだから、次に会った時嬉しさが倍になるんじゃないかな?」
 「マコさん」
 「そうだね。それに、太朗君のおかげで普段見れない江坂さんの顔が見れたし、俺もすっごく楽しかったけど、次に遊ぶのがさらに
楽しみになったよ」
綺麗な笑顔で言う静に、太朗もコクンと頷く。
(そう、だよな。これが最後じゃないんだし)
 「じゃあ、さっそく次の約束も決めておく?」
 「カッサーノさんはイタリアにいるもんね」
 「友春も、カッサーノさんがいる方がいいでしょう?」
 「え・・・・・えっと・・・・・」
 静の言葉に友春は戸惑ったように視線を揺らすが、以前感じた拒絶といった雰囲気は無かった。
(イタリアからわざわざ呼び寄せるのも悪いんだけど)
しかし、今回電話を掛けた時は怒鳴られることは無かったし、また今度も誘い出す役目を自分が買って出てもいいかと思う。
 「あ、ヒヨもだぞ?」
 「俺は誘ってもらう方が嬉しいけど、秋月さんって1人だけグループが違うみたいだし・・・・・」
 日和には、いや、ここにいる年少者達は自分達の恋人の世界を詳しく知っているわけではなく、会派が違うと言われても同じヤ
クザじゃないのかと首を傾げるのだが、そこにはかなり大きな差があるようなのだ。
 「大丈夫じゃない?黙ってたら分かんないし」
 「そうだね。真琴の言う通り、わざわざ言うことでもないし」
 何時もマイペースな真琴と静がのんびりと言い、そうなのかなと日和もつられている。
 「・・・・・」
(ちょっと違うんだけど)
(だ、大丈夫かな)
ヤクザの組の息子である楓と、楢崎の仕事を一時期見ていた暁生はさすがにその違いを分かっていたが、この雰囲気を壊すこと
もないかと思って黙っていた。
 「それじゃ、秘密ってことで!」
 結果、太朗が堂々と宣言したことにより、次回の集まりも秋月は自分の上には秘密のまま参加することがあっさりと決定してし
まった。






                                          





今回で遊園地でのお遊びは終わり。

次回はそれぞれの帰宅。最終回です。