SUPER BOY



16








 「こんにちわ!お仕事中お邪魔します!」
 何時ものように事務所に入った途端に元気よく挨拶をした太朗に、事務所に詰めていた組員達の厳つい顔が途端に緩く崩
れた。
 「いらっしゃい、ぼっちゃん」
 「よく来たね、太朗君」
誰もが入るのを躊躇するヤクザの組事務所。しかし、太朗にとっては大好きな上杉の大事な職場だったし、ここにいる誰もが太
朗に対しては優しかった。
 本当ならば、あの場から上杉のマンションに連れ去られても全然おかしくなかったのだが、上杉の携帯に掛かってきた小田切か
らの電話にその予定は見事に(上杉にとっては)崩れてしまったらしい。
どうにか変更しろと言っている上杉の後ろから、今すぐ帰りますと元気に答えた太朗。
あっと思った上杉が否定する前に言質を取ったと言い切った小田切が電話を切ったらしく、上杉は渋々事務所に舞い戻ること
になってしまった。

 「一緒にいられる時間は、目一杯俺の傍にいろ」

 何だかただの我儘のような気がするが、太朗としても思い掛けなく上杉と一緒にいられる時間を少しでも長くと思ったので、一
応夕食までには帰るという約束をして付いてきたのだ。
 「あの、これ皆さんに差し入れです」
 組員達がにこやかに迎えてくれたのににっこり笑った太朗は、手にした包みを近くのテーブルの上に置いた。
 「たい焼き、まだ温かいから食べてください」
 「わざわざ俺達に?」
 「気を遣わなくていいのに」
 「スポンサーはジローさんだから」
 「・・・・・え?」
太朗の周りにワラワラと集まった組員達は、いっせいにどよめきの声を上げて自分の組の長である上杉を振り返った。
けしてケチではなく、むしろ太っ腹な上杉はちょくちょく差し入れをしてくれるが、それは鮨であったり、飲みに連れて行ってくれるこ
とであったり、小遣いをくれることであった。
甘いものなど一度も差し入れなどしたことが無かっただけに、どういうことかと一同は興味津々のようだ。
それに気付いた上杉が、後ろからクシャッと太朗の髪を撫でて言った。
 「こいつが、たい焼きの屋台の番犬に掴まっちまってな」
 「え〜、カッコイイ犬だってジローさんも褒めたじゃんか!」



 信号待ちで止まった車の中から見えた、スーパーの駐車場に出ていた屋台。その傍にいたフレンチブルドッグに、太朗の視線
が止まってしまったのだ。
たっぷり10分ほど遊んだ頃、その様子を目を細めて見つめていた初老の屋台の主人がお駄賃にと太朗にたい焼きを1つ差し
出してくれた。
それに申し訳ないと太朗が断って、しばらく押し問答した後、上杉が笑いながらたい焼きを30個ほど買ったのだ。太朗の1つ分
をおまけにしてもらうという事で話をつけて。
 「まあ、タロからの差し入れと思ってくれ」
 「御馳走さまです!!」
 そう言い残して自分の部屋に向かう上杉の後ろを慌てて追い掛けてきた太朗が、上杉の腕をグイグイ引っ張りながら言った。
 「あれ、ちょっと違うだろ?お金出したジローさんの差し入れってこと、みんな分かってくれたのかな?」
 「いいって。お前からって言う方が奴ら喜ぶし」
 「え?」
 「たい焼きなんて久し振りの味だろ。買おうと思ったのはお前が気が付いたからだし、やっぱりあれはお前からの差し入れ」
 「・・・・・」
まだ納得がいっていない様な太朗の肩を笑いながら抱き寄せた上杉は、そのままノックもせずに自分の部屋に入った。
 「お帰りなさい、お早いお帰りで」
 「・・・・・」
にっこりと綺麗に笑いながら出迎えた小田切だが、上杉にはその後ろに尖った尻尾が見えるようだった。
出掛けることに承諾はしてくれたものの、不本意だったという事は丸分かりだ。
 「こんにちは、小田切さん!」
 「こんにちは、太朗君」
 上杉から視線を逸らし、太朗に向かってにっこりと笑う小田切。
少しの邪気も見せないようなその顔は、多分小田切のお気に入りの犬も見せてもらえないような素直な笑みだろう。
よくぞここまで表情を変えられると思うが、それだけ小田切が太朗を気に入っている証でもあるという事だ。
 「下の者に差し入れを頂いたそうで、ありがとうございました」
既に連絡が来ているのか、小田切が優しくそう言うと、太朗は少し困ったように笑い返した。
 「お金を払ったのはジローさんなんですけど」
 「それでも、あなたがいなければ買って来なかったでしょう?懐かしいですし、私も後でお相伴を頂きますね」
 「はい!すっごく美味しかったですよ!」
 「・・・・・」
目を細めて頷いた小田切は、その笑顔のままに上杉を振り返った。
 「あなたはそこに溜まっているものを始末してくださいね」
 「・・・・・」
(悪魔め・・・・・)



 「太朗君はコーラの方が良かったですか?」
 「い、いえ、紅茶でいいです」
 子供などいるはずが無いこの事務所の中には、太朗用にジュースやお菓子が常備してある。
何に関してもそつなくこなす小田切の心遣い(太朗はそう思っている)だろうが、少しでも大人に思われたい太朗は最近紅茶を
頼むようにしていた。
本当はカッコよくコーヒーとでも言いたいのだが、やはりどんなに甘くしても太朗の口には少し苦く感じてしまう。
 「どうぞ」
 「あ、ありがとうございます」
 太朗の前に綺麗な花柄のカップを置くと、小田切もその向かいに腰を下ろして自分用に入れた紅茶を優雅に口にした。
まるで絵のような綺麗なその光景に、太朗は一瞬見惚れてしまった。
(綺麗だよなあ、小田切さん。・・・・・ジローさん、ドキドキしないのかな)
こんなに綺麗で大人な小田切が傍にいるというのに、上杉が選んだのは子供の自分だった。どうしてだろうと不思議な思いはす
るものの、上杉の思いを考えると口にはしない方がいい事も分かっていた。
(でも、ジローさんは仕事してるんだけど・・・・・ここにいていいのか?)
 上杉は自分の机に座ると、束になっている書類にどんどん目を通しながら何かを書き込んでいる。
さっきも仕事があるなら帰ると言ったが、いいからここにいろと言われて残った。
 「・・・・・」
(小田切さんも、上司のジローさんが仕事してるのにサボってて・・・・・怒られないのかな)
 「太朗君」
 「あ、はい」
 ぼんやりと考え込んでいた太朗は、いきなり小田切に声を掛けられて慌てて顔を上げた。
 「今日、八葉会の久世さんと会われたんですね」
 「はい、学校を出て直ぐに偶然会って」
 「・・・・・偶然、ね」
 「お茶を飲みたいから付き合ってくれって言われたんですけど、あの、駄目だったんですか?」
 「駄目・・・・・では、ないと思いますが。それはあくまで向こうとあなたのことでしょうし」
 「・・・・・」
(・・・・・やっぱり、いけなかったのかな)
太朗としても、ヤクザが皆友達だとは思わない。喧嘩だってするだろうし、好きじゃない相手もいるだろう。
しかし、あの夜、上杉は久世と話をしていた。
少し、空気が変かなとも思ったが、上杉は特に久世のことを言わなかったし、久世も湯浅も自分から見ればとてもいい人にしか
思えなかった。
 「・・・・・会わない方がいいのかな」
 「会う約束したんですか?」
 「・・・・・今度生まれる子猫、あげるって約束して・・・・・」
 「それはそれは」
 さすがに想像出来なかったのか、小田切は少し驚いた様子だったが、直ぐにおかしそうにクスクスと笑い始めた。
そして、先程からこちらの話を気にしていた風な上杉を振り返ると、笑みを含んだままの声で言った。
 「楽しそうなことになってますね」
 「・・・・・楽しいのはお前ぐらいだ」
 「そうですか?」
 「・・・・・」
 「な、なに?」
2人の間で交わされるよく分からない会話に、太朗は何度も上杉と小田切の顔を交互に見てしまった。