SUPER BOY



27








 「マンションにも蚊がいるのね」

 翌日の夕方、太朗を家まで送った上杉は、玄関先で先制パンチのような太朗の母佐緒里の言葉をもらった。
 「な、何言ってんの?母ちゃん?」
 「・・・・・」
太朗は全くわけが分からないようだったが、上杉には直ぐにピンと来た。
(相変わらず目敏い女だな・・・・・)
太朗と付き合っていなければ、一度くらいは相手をしてもらったかもしれないいい女。上杉の佐緒里に対する認識はそうだが、
現実には大事な太朗の大切な母親だ。
 その彼女は昔かなりやんちゃだったらしく、どうしてこれほど純粋培養な太朗が育ったのかと不思議に思うほどに世慣れている。
それがいいのか悪いのか・・・・・かなり話は分かってくれているのだが、時折こうして牽制のような言葉を言うのだ。
(まあ、昨夜はタロも積極的だったしな)
 丸襟のTシャツから伸びているすんなりとした首。
そこにはまるで深夜の森にいて虫に刺されたように赤い痕が付いていた。それがキスマークだというのは当然佐緒里には分かった
だろうし、上杉も太朗に隠せとは言わなかった。
自分達の関係を知らしめようとしたわけでもないのだが、隠す必要も無い。そういったスタンスの上杉に理解がありそうで、時折
こうして牙を剥くのが太朗の母親だった。
 「母ちゃん」
 「・・・・・タロ、夏休みだからってあんまり遊び歩かないこと。七之助さんだって心配するでしょ?」
 大好きな父の名前を出された太朗は、たちまち情けなさそうに眉を下げた。
 「父ちゃん、怒ってた?」
 「怒ってないわよ。心配してただけ」
 「・・・・・俺、外泊しないようにする」
それだけではなく、腰が抜けるほどのセックスはしない・・・・・そう言われているような気がして上杉は慌てて止めようとしたが、そ
の行動を眼差しで制した佐緒里が、いい子ねと太朗の頭を優しく撫でた。
 「それがいいわ。学生の間はなるべく、ね」
 「・・・・・」
多分、こう言っても上杉が強引に引き止めれば結局は泊まりになるのだろうが、これはこれで結構な抑止力になる。
どんなに上杉が止めても、当の太朗が帰ると言えばそれで決まってしまうのだ。
(・・・・・全く)
 上杉が恨めしげな視線を向けると、佐緒里はにっこりと笑ってみせる。
その笑顔が太朗にどことなく似ていて、結局上杉は溜め息をつくことしか出来なかった。



 「お早いお越しで」
 太朗を送った帰りに事務所に寄ると、小田切が嫌味っぽく笑って出迎えた。
この顔はさっき見たような・・・・・そんな気がしてうんざりしないでもなかったが、自分の都合で大幅な遅刻(すでに午後五時)を
している身なので賢明にも言い返すことはしなかった。
 「・・・・・仕事は?」
 「一応急ぎのものは片付けました。あなたのように
優秀ではないただの幹部の私がですが、一応先方にも承諾を得たの
でいいでしょう?」
 「・・・・・悪かった」
 「謝っておけばいいと思ってるんではないでしょうね」
 「・・・・・そんなことは無いぞ」
 上杉は苦笑しながら机の上に置かれた書類を見ていった。
 「・・・・・」
そして、ある文面を見て手を止める。
 「・・・・・もう連絡してきたのか」
上杉の言葉に手元の書類を見下ろした小田切はええと簡単に頷いた。
 「案外早かったですね。補佐の湯浅さん、彼はやり手ですよ。今回はたまたまうちが有利だったのかもしれませんが、同じこと
は二度繰り返さないタイプですね」
 「・・・・・」
 今時、暴力で仕返しするのは古臭く、ほとんどの揉め事は金で解決することが多くなってきた。上杉も無駄な抗争をしたいと
は思わないが、あれほどの恐怖を体験した太朗の代償がたった二千万円だというのは安い気がした。
 「おい、これ・・・・・」
 「分かってますよ、太朗君の口座に入れておきますから」
 男と女という関係ではない自分達は、法律で定められたような特権を受けることが出来ない。
しかし、太朗をこの先も離すつもりの無い上杉は、その代償とでもいうように太朗の口座を作り、少しずつだが財産分けのような
ことをしていた。
きっと太朗が知ったら通帳など破り捨てて怒りそうだが、これは上杉にとって一種の安心材料の一つにしか過ぎない。
今回の二千万円も本来なら太朗が受け取るべき金なのだ。
 「これを見た太朗君の驚く顔が見たいですね」
 「おい」
 「勝手にしませんからご心配なく」
(お前が余計に心配にさせるんだろうが)
優秀だからこそ扱いにくい部下に、上杉はもう何も言わなかった。



 「兄ちゃん!一緒にお風呂入ろ!」
 夕食の後、弟の伍朗(ごろう)がいつものように纏わり付いてきた。
お兄ちゃん子の伍朗は事あるごとに太朗にくっついてきて、時々太朗もうんざりする事があるが、それでも弟が可愛いのは確か
なのでいつもはほとんどその誘いを断ることは無かった。
しかし、今日は違う。
 「だ〜め!今日は父ちゃんと入れよ!」
 「え〜っ、兄ちゃんとがいい!」
 「だから、今日は駄目だって!」
 「何で?何で駄目なの?」
 「な、何ででも!」
 太朗は慌てたように言いながら、Tシャツから着替えた綿シャツの襟元を抑えた。
(ジローさんめ〜っ、いっつも勝手に痕付けて!)
夕方の上杉と母の会話の意味は全く分からなかった太朗だが、ふと洗面所に行って顔を洗った時、自分の首筋に無数の赤
い痕があるのに気づいたのだ。
(は、麻疹っ?)
 ・・・・・毎回、同じように慌てる太朗だが、今回は割合と直ぐにその痕が何であるかに気づいて真っ赤になった。
そして、それがついてしまった経緯をなんとなくだが思い返す。何時もよりもかなり積極的に動いてしまった自分が脳裏に浮かぶ
と、太朗はもうその場にしゃがみこむしかなかった。
 「とにかく!今日はゴローは父ちゃんと入れ!その代わり、一緒に寝てやるから」
 「ホントっ?」
 「オネショすんなよ?」
 「しないよ!」
 何とか納得した弟を引き離すと、太朗は自分の部屋に上がっていった。
夏休みの宿題を茶の間でしようと思ったからだ。
 「父ちゃん、数学分かるかな〜」
自室にいるよりも茶の間で過ごすことが多い太朗は、携帯も机の上に放ったままだ。
そのままノートと筆箱を取って再び部屋を出ようとした時、
 「あ」
 机の上の携帯が鳴った。
 「ジローさんっ!」
絶対に上杉からの電話だと思い込んだ太朗は、誰からか名前も確認しないまま通話ボタンを押して叫んだ。
 「何であんなに痕付けちゃうんだよ!ゴローと風呂にも入れないだろ!」
すると、一瞬の沈黙の後、電話の向こうから呆れたような声が返ってきた。
 『ゴローって誰だ?』
 「弟のゴローだよ!・・・・・あれ?」
(ジローさんの声じゃない?)
太朗は慌てて表示を見た。そこには・・・・・。
 「く、久世さん?」
 『ああ。昨日は悪かったな、タロ』
人に銃を突きつけるという信じられない行為をした人間とは思えない平坦な口調に、さすがの太朗も途惑うしかなかった。
(あ、あれって、夢だったりして・・・・・?)
 しかし、あれは夢ではない現実で、だからこそ太朗は昨夜青少年にはあるまじき時を過ごしてしまったわけで・・・・・。
 「あ、あの・・・・・」
いったい何の用だろうかと少し警戒しながら訊ねた太朗に、その気配を感じたのか久世は僅かに苦笑を零したように電話口で
笑った。
 『お前に会いたいんだが』
 「え?」
昨日の今日でそう言う久世に、太朗は一瞬言葉に詰まってしまった。