大力の渦流
10
「マコちゃん!」
珍しく焦ったような綾辻の声に、それまで緊張して強張っていた真琴の頬が僅かに崩れた。
電話を掛けて15分。
近くにいたという綾辻の言葉が嘘ではなかったのだと分かると、真琴はわざわざ来てもらうという罪悪感が少しだけ薄くなっ
た。
丁度店には警察が来ているので、真琴は少し離れた車道に立っていたが、車を乱暴に端に寄せて飛び出してきた綾辻
の姿に、振り返る者はかなりいた。
「すみません、綾辻さん。仕事中でしょう?」
「そんなのはいいのよ!」
冷静な真琴に眉を顰めた綾辻は、ざっとその全身に目を走らせた。
「怪我は?」
「俺は何も。・・・・・店の方も床が焦げたくらいの被害だそうです。でも、警察もやってくるし、後片付けもあるから店は臨
時休業するって・・・・・」
そう言いながら、真琴は唇を噛み締めた。
後片付けを手伝うといった真琴に、古河は首を横に振った。
「お前はいいよ。そんな真っ青な顔して、怖かっただろ?」
自分がいったいどんな顔色をしているのか分からなかったが、真琴は心配してくれる古河にそれ以上強く言う事は出来な
かった。
「マコちゃん・・・・・」
綾辻が肩を抱いてくれる。
温かいそれに、真琴は目を伏せた。
「・・・・・どういうつもりなんだろ」
「・・・・・」
「うちのお店が狙われるなんて・・・・・確かにクレームが今まで一度もなかったとは言わないけど、それでもこんな風に、も
しかしたら死ぬ人だって出るかもしれないことをされるなんて・・・・・考えられない」
「マコちゃん」
「綾辻さん・・・・・もしかして、これって海藤さんの選挙のことが関係あるんでしょうか・・・・・?」
「・・・・・ごめんね」
綾辻は多くを語らないが、こんな荒っぽい手口を使う相手に全く心当たりがないというわけでもないようだ。
苦い顔をして謝る綾辻に、真琴は首を振った。
「俺を狙ったって海藤さん・・・・・絶対に意志は変わらないのに」
確かに怖かった。放火魔と擦れ違ったのだ、恐怖は後からジワジワと襲ってきて、その上今回のことが自分のせいかもし
れないということが・・・・・怖かった。
しかし、それ以上に大きかったのは怒りだ。
もしも、今回のこの騒ぎが自分を攻撃することによって海藤の動きを阻むというものならば、それこそバカだと叫んでやりた
い。
こんなことで、海藤が決意したことを曲げるはずがないのだ。
「綾辻さん、俺は大丈夫です、大丈夫・・・・・」
そう言いながらも、震えてしまう身体は止めることが出来ない。
そんな真琴の肩を、綾辻はギュッと抱きしめた。
海藤達が店の近くに着いた時、綾辻が足早に寄って来て窓を叩いた。
「真琴は?」
窓が開いてそこに藤永の姿を見た綾辻は一瞬目を見張ったが、直ぐに気を取り直したように海藤に言った。
「今聴取を受けています。マコちゃん、どうやら犯人と出くわしたようで」
「・・・・・」
海藤は視線を前方に向けた。
そこには数台のパトカーが止まっており、店にも制服警官が何人か出入りしていた。
真琴の無事な顔を見たいのは山々だが、警察関係にもかなり顔を知られている自分と真琴が関係があると思われては
痛くない腹をさぐられかねない。
「近くにファミレスがあります、そこへ」
もちろん綾辻もその辺の事情は踏まえているのだろう、そう言って100メートルほど先にある看板を指差した。
海藤は直ぐに頷き、運転していた倉橋もそのまま車をファミリーレストランの駐車場に入れた。
「説明してくれ」
直ぐに後を追ってきた綾辻にそう言うと、綾辻は固い表情のまま頷いた。
「詳しい事情はまだ分からないんですが・・・・・」
説明といっても、綾辻も今の段階では真琴の話と、顔見知りの(色々と事情があるようだが)警察官の話くらいしか分
からないようで、海藤に説明する口調も少し自信なさげだった。
「・・・・・」
「警察は店に対する嫌がらせじゃないかって思ってるようです。火をつけるんだったらわざわざガラスを割って部屋の中に
新聞紙を投げ込むんじゃなく、裏口にはよく燃えそうなダンボールとかも積んでありましたからね。店は営業していて人が
いるのは分かってるだろうし、その上でやってるんですから・・・・・」
「燃やすというよりも脅しってか?」
不意に、藤永が口をはさんできた。
「身に覚えが有り過ぎるほどあるだろ、海藤」
「・・・・・」
「藤永会長」
今はそんな軽口も不謹慎じゃないかと倉橋が止めようとするが、藤永は少しも頓着しないようだった。
「まあ、俺も人の事は言えないが、狙われて自分が真っ青になるような女は今のところいないしな」
「・・・・・真琴はどうしてる?」
「割合としっかりしています。警察にもちゃんと対応してるようですが、今は気が張ってるだけかも・・・・・」
「聴取の時間は掛かるのか?」
「今のところ、マコちゃんは当事者ではなく目撃者ですから。それ程時間は掛からないと思います」
店を出た真琴は大きな溜め息をついた。
自分が悪いことをしたわけではないのに、制服を着た警察官を前にしていると自然と緊張してしまったようだ。
「また、何か思い出したら教えて欲しい」
警察官も、まさかバイトの普通の大学生である真琴が今回のことに関係があるとは思わなかったようだが、それでも聴取
には1時間近く掛かってしまい、明日は警察署に来てくれと言われた。
店の外ではちあわせした男の人相風体も聞かれたが、とっさのことで真琴が覚えていることはほとんどなかった。
ただ、男が言った「誰のせいだと思う?」という言葉はなぜだか言えなかった。
「マコちゃん」
今からどうしようかと思っていた真琴は声を掛けられて顔を上げると、直ぐ近くの電柱の影にいた綾辻が、何時もよりは
元気がないが笑顔で手招きをしていた。
「社長が待ってるわ」
「か、海藤さん、来てくれたんですか?」
「当たり前でしょう、マコちゃんのことよ」
話しながら少し先のファミリーレストランの駐車場に行くと、不釣合いな高級外車が2台並んで止まっていた。
「無断駐車場は罰金だから、薄いコーヒーだけで粘ったわよ。それも車まで出前してもらってね」
「・・・・・」
(な、なんて言ったんだろ・・・・・)
まさか綾辻が誰かを脅すようなことは言わないだろうが、それでもかなりのプレッシャーを相手に与えたのだろう。
真琴は少し複雑な気持ちになったが、それでもそれ程長い時間ずっと自分の事を待ってくれていたことが嬉しくて、少し
足早に車に近付いた。
「・・・・・っ」
不意に、後部座席のドアが開き、海藤が下りてきた。
じっと真琴を見つめ、そのまま自分から歩み寄ると強く抱きしめてくれる。
「か・・・・・」
「無事で良かった」
万感の思いを込めた言葉に真琴が息をのんだ時、後部座席から新たな人物が現われた。
「その子がお前のウイークポイントか」
「・・・・・」
(だ・・・・・れ?)
初めて見る華やかな男の姿に、真琴は更に強く海藤にしがみ付いてしまった。
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