大力の渦流
11
初めて見る顔なのに会った事があるような気がして、真琴は怖々その男を見つめた。
30・・・・・前半くらいだろうか、綺麗な栗色の髪にピアスを付けたその男は、顔も十分綺麗なのだがそれ以上に纏ってい
る雰囲気が艶やかだった。
どこか羽生会の小田切にも通じているが、何時もにこやかに応対してくれる(それはあくまで限られた人間に対してである
が)小田切とは違い、その目の中には少し冷たい何かを観察するような光がある。
「・・・・・」
(あ・・・・・綾辻さんに似てる?)
会った事があるような気がしたのは、全体的なその雰囲気なのだと真琴はやっと気がついた。
もちろん、綾辻は本当に真琴を気に入ってくれていて優しい目を向けてくれているが、全体的な見た目は2人は共通す
るものを持っているような気がする。
「海藤、紹介してくれないのか?」
「・・・・・」
海藤にたいして高圧的ではないがぞんざいな口をきくのは、その男の方が立場が上なのだろうか。
海藤はそう言われても激昂するわけでもなく、側にいる真琴の肩を抱き寄せて言った。
「真琴、この人は清竜会会長、藤永さん、今回俺と一緒に選挙に出ている相手だ」
いきなりヤクザの組の会長を紹介されて、真琴が途惑っているのは良く分かった。
しかし、本来ならば簡単に名前を教えるべきでないということを分かりきっているはずなのに、きちんと紹介しない限り藤永
が納得しないだろうというのも分かっているので、海藤は一番簡潔に藤永の正体を真琴に明かした。
「清・・・・・竜会・・・・・」
「ああ、そうだ」
藤永は口元に笑みを浮かべて海藤を振り返った。
選挙のことまできちんと真琴に伝えているという事が意外であり、面白いと思ったのだろう。
普段の海藤からすればそんな組織の内幕のことをただの愛人に話すことなど考えられず、この事実だけでも海藤にとって
の真琴という存在がそれまでの遊びの女達とは全く違うのだという事はよく分かっただろう。
もちろん、海藤は意識してそれを藤永に伝えた。
もしもこの先真琴に手を出そうとしたならば、戦争を起こす事さえ辞さないという覚悟を見せ付ける為に。
次に、海藤は藤永に向かって真琴を紹介した。
「藤永さん、真琴です。私と一緒に暮らしている相手です」
「一緒に暮らしている・・・・・ね」
情人とか、恋人とか、伴侶とか。真琴の存在を表す言葉は色々あるだろう。
もちろん全てが当てはまるのだろうが、海藤にとっては日常を共にする相手という言い方が一番しっくり来るのだ。
今この場では真琴の苗字や大学生などという情報を与えることはない。
聡い藤永はもちろん海藤の意図を十分に把握して、面白そうに真琴を見つめながら言った。
「お前のイロが男だとは聞いていたが・・・・・本当なんだな。あれほど女に騒がれていたお前がどういう切っ掛けで主旨
替えしたのか知りたいもんだ」
「私自身は変わっていませんよ」
「・・・・・」
「ずっと欲しかった相手がたまたま男だったというだけです」
「・・・・・なるほど、いい話だ」
「藤永さん、わざわざこんな時間までお付き合いくださってありがとうございます。お送りしますのでどうぞ車に」
少し離れているとはいえ、直ぐ近くでは放火の騒ぎがあったのだ。ウロウロしている警察に自分達の存在が知られれば
厄介だ。
それに、かなりショックを受けている真琴を早く休ませてやりたいということもあって、海藤はこれ以上は付き合えないという
意味を込めて藤永にそう言った。
「そうだな、今日のところは引き上げるか」
「すみません」
「まあ、想定外のこともあったし、仕方がないが・・・・・」
素直に引き下がってくれそうだった藤永は、ふと思いついたように真琴に視線を向ける。
「お前、真琴っていったか。顔見知りになったことだし、俺に聞きたいことあるか?」
「え?」
「藤永さん」
「お前は黙ってろ、海藤。俺はお前の相手であるこいつに聞いてる」
どんな考えなのか、藤永はじっと真琴を見て言った。
無理に答えなくてもいいと真琴に言おうとした海藤だったが、
「・・・・・一つだけ、いいですか?」
小さくそう言った真琴の言葉に、海藤は途惑った。
「真琴?」
「黙れ。おい、なんだ、言ってみろ」
自分から水を差し向けたくせに、本当に真琴が何か言うとは思わなかったのか、藤永は少し表情を改めて真琴を見た。
「・・・・・あの、この選挙に海藤さんが勝ったら、何かするとか・・・・・考えてるんですか?」
「は?」
一瞬、藤永はその意味が分からなかったようで、もう少し詳しく言えと真琴を促した。
「だ、だから、この選挙に海藤さんが勝ったら、邪魔、するとか、その、何か嫌なこと・・・・・」
「なんだ、お前は海藤が勝つと思って言ってるのか?」
「あっ、もしもです!もしも!」
慌てて真琴は言い直したが、藤永は大声で笑い始めた。
「すごいな、海藤!お前のことを無条件でここまで買ってる相手がいるとはな!」
「すみません」
組織の中の順位やしがらみを一切知らない真琴が言った言葉であるが、これが藤永以外だったとしたら・・・・・それこそも
う1人の立候補者、木佐貫だったとしたら怒り心頭になったことだろう。
ヤクザにとって何事でも勝負の勝ち負けは、面子に関わる重要なことなのだ。
「す、すみませんっ」
余計なことを言ってしまったと真琴は真っ青になって頭を下げたが、真琴の言葉は海藤を思ってのことで、それを止められ
なかった自分の責任の方が大きい。
海藤は真琴の前に立ち、深く頭を下げた。
「失礼なことを言いました。申し訳ありません」
「海藤」
「ただ、真琴は一切この世界のことは知らないので、咎は全て私に・・・・・」
「バ〜カ、頭が固過ぎるって」
どんな詫びも辞さないというように頭を下げて謝罪する海藤に、藤永は笑いを含んだ声で言った。
「俺もこんな風な可愛いイロが欲しいぜ」
「藤永さん・・・・・」
「今の答えはな、俺は負ける勝負はしたことが無い・・・・・これだけだ。分かったか?」
「は、はい」
真琴はコクコクと頷いた。
「さてと、じゃあ、お邪魔だろうから俺は帰るとするか。ユウ、送ってくれるか?」
それまで、固い表情のままその場に立っていた綾辻は、藤永にそう言われることを元々予想していたのだろう、諦めたよ
うに頷きかけた。
しかし。
「私がお送りします」
綾辻が頷く前に、倉橋が一歩足を踏み出した。
「綾辻はこの後所用がありますので、申し訳ありませんが私が」
「克己・・・・・」
「・・・・・いいのか、倉橋」
「はい。綾辻、社長と真琴さんをお送りしてくれ」
綾辻が藤永を苦手としているのは分かっていたが、今回この場では綾辻しか藤永を送る相手はいないと思っていただけ
に、その状況の上での倉橋の言葉は、綾辻と同様海藤も意外な感じがした。
今までほとんど話すこともなかった相手、それも今回選挙を共に戦っている一筋縄でいかない相手に、真面目な倉橋が
対応出来るのだろうか・・・・・もちろん、普段の倉橋の能力は十分評価しているが、藤永はどう考えても相手が悪い。
「参りましょうか、藤永会長」
藤永は突然前に出てきた倉橋を興味深そうに見つめ、その後チラッと綾辻を振り返ってから頷いた。
「悪いな、頼む」
「どうぞ」
倉橋は後部座席のドアを開いて藤永を乗せた。
「では、社長」
「倉橋、本当にいいのか?」
「はい。無事にお送りしてきます」
「克己っ」
「お2人を頼むぞ」
思わず腕を掴もうと伸ばした綾辻の手をかわし、倉橋は直ぐに車を走らせる。それを見送りながら、海藤は僅かな不安
を感じて、真琴を抱きしめる手に無意識に力を込めていた。
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