大力の渦流











 海藤に情熱的に、大切に抱かれたからというわけではないが、全ての事情を知った真琴はかえって腹が決まった。
真琴自身が海藤から離れようと思わない限り、大小はあるかもしれないがこんな問題はこれからも出てくるだろう。
(海藤さんの言葉を信じてればいいんだ・・・・・)
絶対に大丈夫だと、何度も何度も耳元で囁いてくれた海藤の言葉を信じようと思った。
 「あ、ここでいいです」
 翌日、大学の午後の講義を終えた真琴は、そのまま海老原の運転する車でバイト先まで送ってもらうことになったのだ
が、丁度店まで後50メートルほどの所で赤信号で車が止まったので下りることにした。
 「いえ、店の前まで・・・・・」
 「でも、丁度止まってるし、店まで直ぐだから」
今の状況で送り迎えをしてもらうのは仕方がないと思うが、出来るだけ手間を掛けさせたくはなかった。
 「じゃあ、行って来ます」
 「真琴さんっ」
 真琴は後ろを確かめてからドアを開けるとそのまま車外に出て歩き始める。
海老原も後を追い掛けてきたそうだったが、信号が青に変わって後ろからクラクションを鳴らされた。
仕方なくという表情が丸見えの海老原に手を振って歩き始めた真琴だが、そのまま店の裏口になる中通に足を踏み入
れた時、

 ガシャッ

 「・・・・・っ?」
 ガラスの割れる音がしたかと思うと、
 「火事だっ!!」
聞き慣れた声の焦ったような言葉が耳に入った。
 「か、火事?・・・・・っつ」
慌てて店に駆け込もうとした真琴とは反対に、店の方から走ってきたサングラスに帽子姿の男が真琴にぶつかった。
その瞬間、
 「誰のせいだと思う?」
一瞬、真琴を振り返ってそう言った男は、そのまま呆然と立ち尽くす真琴を置いて表通りへと走って行った。



 「マコ!!」
 どの位立っていたのか、真琴はグイッと肩を掴まれてようやくハッと顔を上げた。
そこには店の制服とエプロンを水とススで汚したアルバイト先の先輩、古河が険しい表情のまま立っていた。
 「こ、古河さん」
 「今男が走ってきたかっ?」
 「ぶ、ぶつかって、そのまま表に・・・・・あのっ、火事って聞こえたんですけど・・・・・っ?」
 「ああ」
苦い顔をした古河は真琴に説明をしてくれた。
ほんの数分前、まさに真琴が車を降りて店に歩いてきた頃、カウンターに入っていた古河は裏からガラスの割れる音が聞
こえて控え室に行くと、丁度割れた窓から火のついた新聞紙が投げ込まれたのを目撃したらしい。
窓際に立っていたサングラスの男の姿も見たらしいが、先ずは火を消すのが先と、古河は控え室の小さな流しで側にあっ
たタオルを濡らして、それを床に落ちた新聞紙に被せて消火したのだ。
 「じゃ、じゃあ、火事は・・・・・」
 「直ぐに消したから床が少し焦げたくらいだ」
 「そ、そうですか」
 深い安堵の溜め息をついた真琴の頭をクシャッと撫でてくれた古河は、直ぐに本店と警察に連絡するからと先に店へと
戻って行った。
その後に続こうと歩き出そうとした真琴だったが、突然パタッと足を止めた。
(今の・・・・・俺の、せい?)
逃げる男が言い捨てた言葉。

 「誰のせいだと思う?」

まるで真琴のことを知っているような口ぶりだった。
考えれば、このピザ屋が狙われるのはあまりに不自然だ。店はポツンと一軒だけあるというわけではなく、周りには様々な
店が並び立っている。
まだ外も明るい中、空き巣という事もないだろう。
 「・・・・・っ」
 真琴はブルッと身震いがした。目に見えない何かが、自分の周りにジワジワと近寄ってきている感じがする。
(・・・・・知らせなくちゃ・・・・・)
真琴は携帯を取り出し、震える指で短縮に入っている海藤の番号を呼び出そうとした。
 「・・・・・」
しかし、午後から来客があると言っていた海藤に連絡してもいいのかと躊躇ってしまい、それと同じ理由で倉橋にも連絡
しない方がいいのかもと思い直す。
 「・・・・・」
やがて、真琴はもう1人の頼りになる相手の番号を呼び出した。



 応接間に通した客は、理事選の相手の一方である、清竜会の藤永清巳だった。
選挙中にわざわざ頭が敵陣に赴いて来た理由はさすがの海藤にも分からなかったが、綾辻は事前に席を外させて一対
一で向かい合っていた。
 「どうだ、海藤、首尾は上々か?」
 「・・・・・出来るだけのことをしているつもりです」
 「本当に?」
 藤永はニヤッと笑った。
こうして見ると、綾辻と良く似た雰囲気だと思う。いや、綾辻の方が似せたのだろうが・・・・・。
 「票を持ってる奴らに一応挨拶状は渡したようだが、それ以降は無しのつぶてだろ。木佐貫なんか必死で票集めしてる
ぞ」
 「木佐貫さんは真面目な人ですから」
 「確かに固過ぎるほど固いがな」
クッと笑った藤永は、出されたコーヒーを優雅に口にした。その中に何か入れられているのではという疑いを少しも抱いてい
ないような仕草に、その度胸の良さが垣間見えた。
藤永は軟弱者でいい加減だとこき下ろす者も多々いるが、海藤は一度もそう思ったことはない。見掛けを裏切る眠った
虎・・・・・そうとしか思えなかった。
(そういえば、背中に背負ってるのも虎だと聞いたが・・・・・)
 「海藤、綾辻はどうした?」
 「別の用をさせてます」
 「逃がしたか」
 「そんなことは・・・・・」
 ありませんと言い掛けた海藤は、慌しく鳴ったノックの音に顔を上げた。
 「失礼します」
中に入ってきたのは倉橋だった。
何時もは冷静沈着でほとんど無表情と言っていい倉橋が、青褪めて強張った表情をしている。
何かあったのだと海藤は即座に分かった。
 「どうした?」
 「・・・・・」
 倉橋は一瞬藤永に視線をやったが、直ぐに海藤に向き直って口を開いた。
 「真琴さんのバイト先が火をつけられたそうです」
 「・・・・・っ」
海藤は直ぐにソファから立ち上がった。
 「真琴は?」
 「丁度店に入る前だったようで、店もぼや程度の被害だそうです。今連絡がありまして、とにかく先に綾辻に向かってもら
いました。社長は・・・・・」
 「直ぐに行く」
迷う間もなくそう言い切ると、海藤は藤永を振り返った。
 「すみません、急用が出来ました」
 「放火とは物騒だな。俺も連れて行ってくれ」
 「・・・・・」
どういう思惑で藤永がそう言い出したのかは分からないが、海藤はその真意を推し量るよりも一秒でも早く、真琴の無事
を自分の目で確かめたかった。