大力の渦流
12
倉橋は出来るだけ藤永を見ないように真っ直ぐ前方を向いて運転していた。
自分というものをよく理解している倉橋は、自分が藤永に言葉でも頭の回転でも勝てないと分かっているからだ。
とにかく、あの場から、綾辻から藤永を遠ざけた方がいいと判断した倉橋は、会話をしなければ何とかなると、まるで見切
り発車のように藤永の運転手を申し出たのだ。
「・・・・・」
「・・・・・」
しばらく、藤永は黙っていた。
しかし、それは話すことがない為というよりも、この沈黙を楽しんでいるかのように見える。
その気配に、倉橋は益々警戒を強めていたが・・・・・。
「・・・・・倉橋、だっけ」
不意に、藤永は口を開いた。
改めて倉橋の名前を言うのは、馬鹿にしてからかっているというよりも、本当にただ確かめているという感じだ。
会合でもほとんど話すこともない、本当に顔を知っているというぐらいの関係なので、倉橋も動揺することなく答えた。
「はい、そうです」
「俺の事は知ってるよな?」
「清竜会の藤永会長のことを知らぬ者はいません」
「口が上手いな」
倉橋の言葉に藤永は楽しそうに笑う。
「俺もお前のことは知ってるぜ」
「・・・・・」
「ユウから聞いてる」
「・・・・・」
(ユウ・・・・・)
藤永が綾辻をそう呼ぶのに、倉橋は僅かに眉を顰めた。
夜の街で綾辻のことをそう呼ぶ者は多い。開成会の綾辻というよりも、ただのユウとして夜の街を楽しむのが好きなのだと
聞いたことがある。
ただ、倉橋が出会った時はもう綾辻は開成会の中でも中心人物だったので、真面目な倉橋はそう呼ぶことは躊躇われ
たし、そこまで親しい間柄になるつもりもなかった。
しかし、今の倉橋にとっては、海藤とは別の次元で綾辻は大きな存在になっている。それと同時にその名前も特別なも
ので、今更呼び名を変えるつもりはなかった。
「なあ、倉橋、お前は気にならないのか?俺とユウのこと」
「・・・・・」
「俺達がどういう関係だったか」
「・・・・・昔のことは私には関係ありませんから」
「そう来たか」
更に、藤永は笑う。
「確かに、昔の男より今の男かもな」
「・・・・・っ」
藤永が運転席のシートに乗り掛かって手を伸ばしてきた。
細い指が、くすぐるように倉橋の首に触れてくる。
「運転中です」
「ここで事故ったら、運転手のお前の責任は重いよな」
「・・・・・」
「俺はな、倉橋、死ぬのは全然怖くないんだ。怖いのは、自分がこの世に何の興味も無くなった時。意味無く生きること
が何より怖い」
首から指が離れ、真後ろにあった藤永の気配が遠ざかった。
「だから、俺は綾辻が欲しいんだ。あいつは俺を退屈させないからな」
「・・・・・綾辻の気持ちはどうでもいいんですか?」
「そうだなあ・・・・・嫌われるのも結構楽しいかもしれないし」
「・・・・・」
「お前を俺の人形にして寝室に飾ったら、ユウも少しは反抗的になって本気を見せるかな」
「・・・・・」
(なんだ、この男は・・・・・っ)
倉橋は全く藤永の気持ちが分からなかった。
今の言葉では、自分の片腕として綾辻の頭が欲しいというよりも、ただの退屈凌ぎの為に欲しいといっているとしか取れ
ない。
そんな個人の無駄な時間の為に、綾辻ほどの男を遊ばせておくとはとても考えられなかった。
(この人には・・・・・絶対に渡せない)
開成会の為にも、そして自分の為にも、この男に綾辻を渡すわけにはいかないと思った。
綾辻の様子がおかしい。
真琴は心配になって後ろから声を掛けた。
「綾辻さん、あの、大丈夫ですか?」
「・・・・・ああ、ごめんなさい、マコちゃんに心配させるなんて情けないわ」
少し強張っていた表情を笑みで崩してそう言うが、綾辻がもっと他の事を考えているのは真琴にも分かった。
(さっきの人・・・・・あの人のこと?)
初対面の自分に、いきなり不躾な質問をしてきた男・・・・・どうやらあの男と綾辻が知り合いらしいというのは分かる。
普段の倉橋ならば絶対に自分の方が海藤を送る役をするはずなのに、まるで割ってはいるかのように綾辻と藤永の間に
立った。
もしかしたら、綾辻にとって藤永はあまりいい存在ではないのだろうか。
「真琴」
「・・・・・」
「真琴、大丈夫か?」
考え込んでいた真琴は、肩を抱き寄せてくれた海藤を慌てて見上げた。
「はい、もう平気です」
「・・・・・お前が心配することは無いぞ」
真琴が何を考えていたのか分かっているかのように、海藤は宥めるようにその髪を撫でながら言う。
「今回のことも、警察とは別にこっちでも調べさせる」
「警察・・・・・」
ふと、ある面影が浮かんだ。
「宇佐見さん、来るでしょうか?」
「・・・・・俺とお前の関係を知っている者は上層部にはいるらしい。理事選のこともあるし、無理矢理結び付けてくること
も考えられなくはないが・・・・・」
「・・・・・そうですよね」
(宇佐見さん、選挙のことも知ってたし・・・・・)
兄と弟という関係よりも、取り締まる側と取り締まられる側という関係の方を重視しているような宇佐見は、今回の真琴
のバイト先のボヤ騒ぎをどう考えるのだろうか。
もしかしたらただの悪戯という可能性も無いことはないだろうし、全てを海藤のせいにはして欲しくないと思う。
「真琴、もしもあいつが来たとしても、相手をする必要はない」
「でも・・・・・」
「お前はあくまでも一般市民だ。警察に何か言われる覚えは無いと突っぱねろ」
「・・・・・」
(そう出来ればいいんだけど・・・・・)
これが、強面の刑事相手ならば案外言えるかもしれないが、真琴にとって宇佐見の存在はやはり特別だ。
海藤の異母兄弟というだけで、簡単には切り捨てることは出来ない・・・・・と、思う。
「・・・・・」
そんな真琴の気持ちを海藤は知っているのだろう、少しだけ困ったような顔をしたが、それ以上は強く言わなかった。
例え強制したとしても人の心は根本では当人でしか動かせず、真琴の心の中で宇佐見への感情に変化がない限り態
度は変わらないからだ。
その上、海藤自身、宇佐見への複雑な思いも生まれたようだ。
「血の繋がりというものは・・・・・やっかいだな」
真琴にポツリと零した言葉。
真琴の実家を訪れ、その強い家族の結び付きを目の当たりにした海藤は、今までほとんど感じていなかった家族という
ものを、血というものを、強く感じるようになったようだ。
それ自体はいいことだと真琴も思うが、今の海藤と宇佐見の立場は簡単に仲良くという事はとても出来ないだろう。
「・・・・・」
真琴は海藤の手を握り締めた。
「・・・・・」
海藤も、真琴の手を握り返す。
言葉はなくても2人の想いは同じだと、握り合った手はずっと離れることはなかった。
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