大力の渦流
14
車が走り出して直ぐ、宇佐見はもったいぶる事も無く切り出した。
「所轄から放火騒ぎのことは聞いた。ただの悪戯にしては燃え残った残留物からは一つの指紋も検出されなかったし、
手掛かりになるようなものは何も発見されていないらしい」
「・・・・・」
「愉快犯や子供の悪戯という可能性はもう除外されている。後は、店かそこに勤める人間に対しての恨みになるんだ
が・・・・・ここにはお前、西原真琴がいた」
「・・・・・俺?」
「警察内でもお前の存在は知られている。そのせいか、今回の放火は開成会に戦争を吹っかけたんじゃないかと思う
人間もいるんだ」
「・・・・・」
「もう、選挙のことは知っているな?」
それは、確かめるというよりも確信しているといった言葉だった。
海藤も、宇佐見は大東組の情報を知るだけの立場だと言っていたし、ここで首を横に振っても信じてはもらえないだろう。
(警察も俺のこと・・・・・)
自分が知らない不特定多数の人間が、自分の事を知っているのは薄気味が悪い気がする。
その上、悪いことをした覚えも無いのに警察に目を付けられている・・・・・何だかたまらなかった。
「・・・・・」
そんな真琴の俯いた横顔を見つめながら、宇佐見はきっぱりと言った。
「これが、ヤクザと付き合っているということだ」
「宇佐見さん・・・・・」
「あいつと付き合っている限り、お前はずっとこんな思いをしなくてはならないんだ。・・・・・真琴、今まで普通の生活をし
てきたお前にそれが耐えられるのか?」
真琴・・・・・そう呼ぶ宇佐見の声は、やはり海藤に似ているような気がする。
しかし、宇佐見は海藤ではなく、海藤の思いを自分に伝えてくれるわけでもなかった。
「・・・・・宇佐見さん、俺は、多分何の力もないし・・・・・何時も怖がって逃げてばかりかもしれないけど、海藤さんの傍
にいるっていう幸せを失いたくはないんです」
「・・・・・」
「どんなに、嫌なこととか、怖いことがあったとしても、俺は・・・・・海藤さんから離れません」
自分でも、なぜこんなにきっぱりと言いきれるのか分からないが、真琴は警察官である前に海藤と血の繋がった兄弟であ
る宇佐見に対しては、ちゃんと伝えなければと思った。
それに・・・・・。
「ごめんなさい」
「真琴」
「俺のこと心配してくれてるのに・・・・・ごめんなさい。ごめんなさいついでに、他にも情報があったら教えてください」
「・・・・・」
「お願いします」
真琴は深く頭を下げた。
(あいつを・・・・・そんなに大切に思っているのか・・・・・)
海藤が羨ましかった。
これ程に自分を思ってくれる相手を見付けた海藤が、とても羨ましかった。
世間的にいえば宇佐見の方が恵まれた家族も地位も持っているはずで、現に宇佐見自身も自分が海藤よりも恵まれ
ていないとは思っていなかった。
ヤクザな実父を恋しいとも思っていなかったと思うし、全てを知っている息子に今もって真実を言おうとしない母を責めよう
とも思わなかった。
ただ・・・・・今は海藤が羨ましい。
心だけでも変わりたいほどに、今の海藤の立場を欲している自分がいる。
「宇佐見さん・・・・・」
「・・・・・」
それでも、多分真琴は中身だけ入れ替わった海藤である自分を愛すことは無いだろう。
「卑怯だな」
そう言うと、真琴の顔色が見る間に青褪めていく。
真琴の言動一つ一つに心が動いてしまう自分が滑稽で情けないが、不思議と何も思わなかった頃に戻りたいとは思わ
なかった。
「話せることはそれほど無い」
「そうですか・・・・・」
「ただ、気になる情報が一つ。あの放火の数日前、店の周りを何度もうろついていた男がいたらしい。店の中を覗き込
むようにして何度も回っている姿が目立って、向かいの喫茶店のマスターが男が乗り込んだ車のナンバーを覚えていた」
「・・・・・」
「ナンバーから調べたら、その車の持ち主は清竜会の関係者だったらしい。今、海藤と争っている候補だな?」
「・・・・・清竜会・・・・・」
どうやらその表情から、真琴にも心当たりがあるように思えた。
(誰か付けておくか)
大東組内だけでなく、警察関係者にとっても、今回の大東組の選挙は大きな出来事だ。
最近暴対法や、ヤクザの世界にも不況の波が襲っていて、大きな義理事は数少なくなっていた。
そんな中、今回新しい理事が決まれば、披露目の会は必ず行われる。大東組系列の人間だけではなく、兄弟の杯を
交わした者も、敵対している組織の者も来るだろう。
人が動けば、金も動く。
大きなイベントになるはずのその会の主役が誰になるのか、警察内部も興味津々に見つめているのだ。
「関係者といっても、幹部というわけではないようだが、全く関係ないという事は無いだろう」
「・・・・・」
「どう思う?」
「どうって・・・・・俺には分かりません」
「そうか」
これ以上は、今の真琴の口から聞ける様子は無い。
自分にとって特別な人間であるはずの真琴を、こんな風に警察官の目で見ている自分。
染み付いてしまったその職業病に、宇佐見は変わる事の出来ない自分の心を笑うしか出来なかった。
「ここでいい」
宇佐見が車に乗っていた時間は20分も無かった。
道端に車を止めさせた宇佐見は、そのまま自分で車のドアを開こうとしてふと手を止める。
「これを」
「え?」
胸ポケットから何かを出した宇佐見は、素早くそれに何かを書いて真琴の手に握らせた。
「・・・・・名刺?」
「今書いた番号はプライベートのものだ。何かあったら連絡をくれ」
「で、でもっ」
「持っていてくれるだけで安心なんだ」
「・・・・・」
「じゃあ」
「宇佐見さんっ」
躊躇う真琴の返事を待たずに、宇佐見はそのまま車から降りた。
直ぐに車を発進させた海老原が、バックミラー越しに真琴を見て言った。
「今の、全て報告しますよ」
「・・・・・」
「真琴さん?」
「あ、うん、分かってます」
真琴は手の中の名刺に視線を落とした。
所属部署がきちんと書かれ、その裏にはプライベートな番号まで書いてある名刺。
もしも真琴がこれを悪用すれば、宇佐見にとっては非常に立場が悪くなる明らかな証拠になるのではないだろうか?
(それだけ俺を信用してくれているってこと?)
はっきりと宇佐見からの好意を拒絶した真琴に、どうしてここまで心を砕いてくれるのか・・・・・返すことが出来ない想い
を向けられている今の状態では、真琴にとって負担にしかならない優しさだ。
しかし、その優しさをどこかで利用しようとしている自分がいて・・・・・今、警察情報を聞きだしたのも、宇佐見の好意を
分かった上でのことではないのだろうか・・・・・。
「俺って・・・・・ホント、卑怯者だな・・・・・」
「真琴さん?」
「・・・・・」
(それでも、海藤さんの役に立ちたいんだ・・・・・)
真琴はギュッと名刺を握り締めると、心の中でごめんなさいと小さく呟いた。
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