大力の渦流



18







 「こ・・・・・れは、海藤会長っ?」
 「突然すまない」
 翌日の午前中、海藤の姿は大栄会会長である大家の自宅にあった。郊外にある純日本家屋仕様の家はかなり立
派なものだ。
組事務所ではなく自宅に来たのは、雑魚達に邪魔をされない為と、自宅にならば娘がいるだろうと思ってのことだった。
連れてきたのは綾辻と、なぜか真琴の護衛の海老原だ。
 「海藤さんっ、いらっしゃい!」
 「・・・・・」
 車の中から来訪を告げて、到着するまでに15分。
短時間ながらも理佳の化粧は完璧だった。
 「わざわざ来て頂けるなんて嬉しい」
 理佳の言葉は一切耳に止めないまま、海藤は綾辻に視線を向ける。頷いた綾辻が海老原を促すと、その後ろから顔
を出した海老原は理佳の顔をじっと見た。
理佳の顔を確認した海老原が、隣にいる綾辻の頷いてみせる。
 「会長、確認出来ました」
 「分かった」
この女が真琴に余計な因縁をつけに来たのだと確認した海藤は、用はそれだけだと家に上がりもせずに踵をかえそうとし
た。
 「か、海藤会長!」
 いったい何が何だか分からない様子の大家親子に、海藤は足を止めて振り返った。
 「私はこの世界ではまだ若造だが、犯してはならない仁義というものは知っている。・・・・・大家会長、あなた自分の娘
が何をしたのか分かっていますか?」
 「え・・・・・?」
父親は何も知らなかったのか、大家は反射的に娘を見る。
理佳は大きく目を見開き、顔面を蒼白にしたまま海藤を見つめた。
(後先も考えずに行動したのか・・・・・)
 多少は、父親の大家が何らかの形で関わったのではないかと思っていた。
海藤が選挙に勝った上で自分の娘婿になったのなら、大栄会としても今まで三次団体に甘んじていた立場がガラリと変
わるはずだろう。
その上開成会と合併すれば、更なる勢力になるかもしれない。
 そんな夢のようなことを思っていた父親とは違い、娘は実際に行動に移した。
真琴のことはかなり知られているので調べれば分かるだろうし、バイト先も簡単に見つけることが出来るだろう。
いや・・・・・。
(放火まで指示したか・・・・・?)
 まさかとは思うがそこまでしていた可能性もあると思った海藤は、靴のまま玄関を上がり、磨き抜かれた廊下を頓着も
無く数歩歩いて理佳の面前に立った。
 「あ・・・・・」
 「私は、馬鹿は嫌いだ」
 「か、海藤か・・・・・」
 「私の大事な人間を傷付ける人間は、もっと嫌いだ」
 「あ、あんな普通の男っ!そうよっ、男でしょっ?海藤会長にはちゃんとした妻が必要なはずだわ!」
さすがに直接真琴に会いに行っただけ、理佳は父親よりも度胸があり、気が強いようだ。
(息子なら良かったかもな)
もしかして男ならば、かなりの戦力になったかもしれない。・・・・・いや、無鉄砲過ぎて自滅をした可能性も高いが。
 「海藤会長っ、私は!」
 さらに言い募ろうとする理佳を見下ろしていた海藤は、皮の手袋をしたままの片手で理佳の首を掴んだ。
 「・・・・・ひ・・・・・っ」
細く華奢な首は、このまま力を入れれば簡単に折れてしまいそうだ。
しかし、海藤はこんな女の為に犯罪者になろうと思わなかったし、もしも本当にその命を奪うならばもっと上手い手を考え
る。
これは、二度と真琴に手を出させない為の脅しだった。
 「・・・・・言っただろう、馬鹿は嫌いだと」
 「や・・・・・めて・・・・・」
 「お前があいつに一つの掠り傷を付けたら、その100倍はお前の自慢の顔に傷を刻んでやる。一つの言葉で傷つけれ
ば、その1000倍の言葉でお前を攻め抜いてやる」
 「・・・・・」
 少しだけ、理佳の首を絞めている手に力を入れて見せた。
 「うあっ」
 「理佳!」
 「・・・・・会長、手が汚れちゃいますよ」
焦ったように叫ぶ大家と、冷静に口を挟んでくる綾辻。
このまま手に力を入れてやりたいのは山々だが、海藤はまだ冷静にその表情を見ていられた。
 「生きていたかったら大人しくしていろ。私は甘い男じゃない」
 「・・・・・」
壊れた人形のように微かに何度も頷く理佳から手を離すと、まるで力が抜け切ったようにその場に仰向けに倒れてしまっ
た。
喉元にはうっすらと赤い跡が付いているが、あんなものは1、2日で消えてしまうぐらいの薄いものだ。
 「・・・・・」
 もうそれ以上の興味が無いと理佳から視線を外した海藤は、その脇に震えながら立っている大家に視線を向けた。
 「娘さんにしっかり教育しておいてください」
 「は、はい」
 「それと、あなたの票を私は必要としていませんから。恩着せがましく私の前に現われるのは二度としないで頂きたい」
 「・・・・・」
 「行くぞ」
そのまま海藤は大家の家からゆっくりと立ち去る。
時間にして10分も無かったであろう短時間の出来事だったが、大家や理佳が秀麗な見掛けからは想像も出来ないほ
どの海藤の冷酷さを知るのには十分な時間だった。



 「首尾は」
 車に乗った海藤は直ぐに口を開いた。
 「昨夜から時間外取引で倉橋が買収続けてます。それ程大企業でもないので、2、3日でカタが付きますよ」
 「分かった」
倉橋や綾辻の首尾に漏れがないことは分かっているので、海藤もそれ以上深くは聞かなかった。
 「・・・・・」
 自分がたった今したことで、真琴がありがとうというはずがないことは分かっている。心優しい真琴は、どんなに自分に酷
く当たった人間でも、その相手にやり返すという事を考えない性格だからだ。
海藤にとっては愛すべきその性格だが、自分の大切なものを傷付けられた海藤はそのまま黙って放って置くことなど出来
なかった。
もしもこのまま放置して、残り数日の選挙期間でさらに真琴に何かされたら・・・・・そう考えると、あらかじめ出てきた憂慮
の芽は摘んでおきたかったのだ。
 真琴には絶対に見せられない自分のもう一つの顔。
知られれば・・・・・。
(怖がられる・・・・・か)
 「社長」
 「・・・・・」
 「嬉しいと思いますよ」
 不意に、綾辻が言った。
 「そんなに思われて、嫌だと思う人間がいるはずが無いです」
 「・・・・・」
慰めてくれているのかと、海藤は少し笑みを浮かべる。
すると、綾辻はさらに続けた。
 「明日、藤永さんに会いに行ってきますから」
 「綾辻?」
 「出来るなら・・・・・あの人は敵として対するより、味方になって貰った方がいいので」
 「・・・・・」
 確かに一筋縄ではいかない藤永は、味方に・・・・・・いや、せめて中立の立場になって貰った方がかなり気が楽だ。
それでも、海藤は1つだけ言っておかなければならないことがあった。
 「綾辻」
 「はい」
 「俺はお前を離すつもりは無いぞ」
 「・・・・・これは、熱烈な告白をありがとうございます」
チャカすように言いながらも、綾辻の目は穏やかに笑っている。
伝えなければならない言葉というものはあるのだと、海藤はバックミラー越しに見えるその顔を見て思った。