大力の渦流



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 清竜会を訪れた綾辻は、アポイントメントを取っていないのに直ぐに会長室に通された。
自分が来ることを前もって知っているかのような藤永の手配に苦笑が洩れるが、昔から自分を知っているあの男なら自分
の行動を案外簡単に予想が出来たのだろう。
(・・・・・よし)
綾辻は気合を入れて開けられたドアをくぐった。
 「朝早くからご苦労だな、ユウ」
 「もう昼近いですよ」
 「俺にとっては十分朝だよ」
 藤永は笑うと、自分が座っている向かいのソファを顎で指した。
軽く頭を下げて綾辻が座ると、直ぐに紅茶が運ばれてくる。
しかし、カップを置いて直ぐに部屋の中にいた組員達は皆外に出て行き、会長室の中はあっという間に藤永と2人きりに
なった。
 「来るかなとは思った。中間発表があったばかりだしな」
 「そうですか」
 「案外票を取ってたって、海藤は言わなかったか?」
 「あの人はあまりそういう事を口にしませんよ」
 「・・・・・まあ、そんな感じか」
 優雅にカップを口にする藤永を綾辻はじっと見つめた。
 「あなたは・・・・・どう思われたんですか?中間発表」
 「ん?俺はそんなもんかと思ったぐらいだな。多くも少なくも無い。まあ、木佐貫が結構頑張ったなとは思ったが」
 「自薦はあの人だけですからね。やりたい人に決めてしまえばいいのに」
 「今の世の中、勢いとやる気だけじゃ渡っていけないってことだな」
 「・・・・・」
(この人がこんなことを言うなんて・・・・・時間が経ったって感じだな)
昔、まだ綾辻がこの世界に足を踏み入れていない時に知っていた藤永と、今の彼はかなり違う印象を持った。
外見は、それ程に変わっていない。相変わらず綺麗といってもいい容姿だし、とても30も後半の歳とは見えないほどに若
い。
しかし、その頭の中は、あの頃よりも遥かに老成している感じがした。
何より権力のある座に就こうとしていることが、綾辻の知っている彼とは違うのだ。
 そして、藤永も綾辻が昔の彼とは違うのを知っている。
今の綾辻は一匹狼とはいえない、大事なものが出来ているということを。
 「・・・・・この間、送ってもらった倉橋・・・・・あいつ、美人だな」
 「・・・・・そうですか」
 丁度カップを持ち上げようとしていた綾辻は、何とか手が震えるのを止めることが出来た。
藤永が自分と倉橋の関係を知るはずが無い。
(カマを掛けてるだけだ・・・・・)
 「私の周りにいる人間は皆綺麗な男ばっかりで困っちゃいますよ。海藤会長も、倉橋も、あなたも」
 「俺が一番最後か?」
 「・・・・・相変わらず意地悪ですね」
 「俺に面と向かってそう言えるのはお前くらいだよ。ユウ、じゃあはっきり聞こうか?」
 藤永はソファから立ち上がると、そのまま綾辻の後ろに回り、その肩を抱きしめながら耳元で言った。
 「海藤はどこでバックレル気だ?」
 「・・・・・何のことです?」
 「あいつは今回の選挙で勝つつもりは無いはずだ。出馬も、多分本宮総本部長が推薦したから決めただけだろう?」
 「・・・・・」
 「総本部長の顔を立てつつ、この選挙を下りる算段、もうつけてんじゃねえのか?」
昔から洞察力はあった人だったが、今回もその推察はなかなか鋭い。
しかし、海藤の気持ちを自分が代弁することなど出来ない綾辻は、曖昧な笑みを頬に浮かべながらあらかじめ決めてい
た言葉を言った。
 「馬鹿な事を言わないで下さい。会長は選挙をきちんと考えてらっしゃいますよ」
 「ユウ」
 「私こそ、今日は聞かせてもらいますよ、あなたの魂胆。何の為に選挙に出ました?」
 「・・・・・自分の手の内は見せずに、俺の事だけ知りたいのか?・・・・・何の代償もなしに?」
 後ろから伸びた藤永の指が、ゆっくりと綾辻のネクタイを解いていく。
 「藤永さん」
 「ん?」
楽しそうに笑っている藤永は、いっこうに手を止めようとはしない。
綾辻は溜め息をついて言った。
 「あなたを楽しませたら・・・・・本当のことを教えてくれるんですか?」
 「出来るのか?」
 「私も、それなりの経験は積んでるんで」
 「それは・・・・・楽しみだな」
 きっと・・・・・藤永は真相を話してくれないだろうという事は分かっている。
ただ、それに近いことは多分教えてくれるだろう。
 「・・・・・」
 綾辻は無言のまま藤永の腕を引っ張ると、大きくバランスを崩した藤永の身体を支えるようにしながらそのまま深く唇を
重ねる。
感情のこもらない行為はセックスではない・・・・・そう思いながらも、綾辻は胸の奥が痛むような気がした。



 「さてと」
 今日の大学の講義は昼からだった真琴は、そろそろ出かけようかとソファの上に置いた荷物を手に取った。
そのタイミングを丁度計ったかのように、真琴の携帯が鳴った。海老原からだ。
 「今出ますっ」
遅れたかと思って慌てて玄関に向かっていると、海老原は静かにそこで待っているようにと言った。
 「え?どうしたんですか?」
 『え〜っと・・・・・ちょっと』
 「?」
珍しく口ごもる海老原に、真琴の心の中に僅かな不安が生まれた。
 「・・・・・何か、あったんですか?」
 『いいえ、そんなことは何も無いですよ』
 「じゃあっ」
 『いったん、電話切ります。直ぐに掛け直しますから、そこで待っていてください。部屋から出ないで下さいよ?』
 「海老原さんっ」
慌てて叫ぶが、電話は直ぐに切れた。こんなことも、普段の海老原ならしないような気がする。
(なに・・・・・何があったんだろ・・・・・?)
不安で仕方が無かった真琴の携帯に再び連絡があったのは2、3分ほど後だった。
 『直ぐ部屋に上がりますから』
 「海老原さん、あの」
 『話はその時に。大丈夫です、なんでもないですよ』



 何でもない・・・・・その海老原の言葉の嘘は、5分ほどしてインターホンが鳴った玄関を開けた真琴の目に明らかに分
かった。
 「え、海老原さん・・・・・」
 「すみません、玄関先を汚しちゃって」
大学生に見えるようにと、ごく普通のTシャツに上にシャツを羽織っている姿の海老原だが、その肩口がぐっしょりと鮮血で
濡れていた。
 「は・・・・・やく、救急・・・・・」
 「いえ、銃創ですから普通の病院では困るんですよ。倉橋幹部に連絡したら、とりあえず部屋に行って待機してろと言
われました。応援は直ぐに来てくれますから」
 「・・・・・」
(これって・・・・・やっぱり・・・・・)
 自分は、ごく平凡な人間だと思っていた。
恋人が男で、しかもヤクザではあるが、自分自身が変わらない限りは生活は変わらない・・・・・そう思っていた。
しかし、今回のこれは、あまりにも非日常過ぎる気がする。
(店への放火と、今度の海老原さんの怪我と・・・・・俺のせいで・・・・・)
 「真琴さん?真琴さん、俺は大丈夫ですよ?見た目はこれですが掠り傷だし、ね?」
 「・・・・・」
(俺が海藤さんの傍にいることは、こんなにも弱みになっちゃうのかな・・・・・)
 「真琴さん」
何度も何度も真琴を宥めるように声を掛けてくる海老原に、真琴は唯唇を噛み締めて立っていることしか出来なかった。