大力の渦流











 「本日は5通です」
 「・・・・・」
 「私の方で処理を致しましょうか?」
 「いや・・・・・一応目を通しておかないとな」
 海藤は溜め息を付きながら、仰々しい筆で書かれた宛先の手紙の一通ずつに目を通し始めた。



大東組本家で理事選の開始が宣言された翌日から、海藤の元には推薦を誓う念書が送られてくるようになっていた。
顔ぶれからしても、海藤はこの世界ではサラブレットで一番優位だと、この後の自分達の組への口利きを期待しての反
応だという事は分かっていた。

 大東組の二次団体、開成会や羽生会と同じ位置にある組は全部で10、その下部組織は今では全国に50以上は
あり、それぞれが1票を投じる権利があった。
後は、大東組の組長が5票、若頭が3票、5人いる理事がそれぞれ2票の権利を持つ。
それに、元組長や理事、兄弟杯を交わした他の組織を加え、総数100票の取り合いが今回の選挙の概要だ。



 「・・・・・同じ文章ですか?」
 「・・・・・まあな」
 「・・・・・」
 手紙の内容はそれだけではない。
今だ独身の海藤と縁戚関係を結びたがる者は後を絶たなかった。
(俺自身の力は認めてないのかもしれないがな・・・・・)
血統という意味だけでなく、海藤自身の評価も高い。
不景気は一般社会だけではなく裏の社会までにも浸透していて、各組は年に数回の上納金を納めるのさえ四苦八苦
している。
その中で海藤は、年々納める額をアップしている勝ち組の1人で、その甘い汁を自分達にもと思う輩は少なくなかった。
 「独り身というのも大変だ」
 「でも、真琴さんが女性だったらとは思わないでしょう」
 「・・・・・ああ」
 新しく移ったマンションには、常時数人のガードが付いている。
真琴をあまり怖がらせたくなくて、学校やバイトを禁止するという事はしていないが、海藤がピリピリしている気配を感じて
いるのか、今までは忘れがちだった定時報告は欠かさず入るようになった。
 「後10日・・・・・何事も起きなければいいがな」
 「はい」
 「綾辻はどうした?昼から見掛けないが」
 「・・・・・さあ。何時もフラッと出掛けてしまいますから」
 「お前にも何も言わずに?」
 「子供ではないんですから大丈夫でしょう」
そう冷たく言い捨てる倉橋の書類を握る手が白く力が入っていたことに、海藤は気付くことが出来なかった。



 「なんだ、この時期にお前から訪ねてくるなんてな」
 「ご指名があったようだから。他から乱暴なお誘いがある前に伺いました」
 にっこりと笑う綾辻は、目の前で尊大にイスに座る清竜会会長、藤永清巳を見た。
茶色に染めた髪に、ピアス。どこと無く自分と似ている・・・・・いや、自分がこの男に憧れて同じような格好をしていたのだ
という事を、綾辻は唐突に思い出した。
(随分昔だったから・・・・・)
 藤永と初めて会ったのはもう20年も昔、綾辻が15歳の頃だった。
4つ年上の藤永は既にこの世界に居たが、自分は見せ掛けだけの権力を握る人間にはならないと笑いながらよく言って
いた。
 その彼が清竜会を立ち上げたのは数年前、丁度海藤が菱沼から開成会を継ぐ少し前だったはずだ。
それまでも年に数回酒を酌み交わす程度には会っていたが、藤永は自分の片腕になって欲しいといきなり綾辻に頭を下
げてきた。
しかし、その頃には既に菱沼に恩を感じ、海藤という逸材と出会っていた綾辻は丁寧にその申し出を断り、藤永も納得
したと言っていたのだが・・・・・。
 「あれ以来、お前怖がって俺に会いに来なくなったろ?」
 「怖くなんか・・・・・」
 「ユウ」
 藤永は立ち上がると、ゆっくりと綾辻の傍に歩み寄った。
 「俺のやったピアス、まだ持ってるか?」
綾辻の耳たぶをにそっと触れながら藤永は囁く。
 「・・・・・無くしました」
 「つれないなあ」
相変わらず掴みどころの無い相手に、綾辻は珍しく自分が失敗してしまったかと後悔していた。
他人からは口が上手い、世渡り上手だと言われる自分も、この相手にはまだ勝てないのかもしれない。
堂々と見せ付けるように溜め息を付いた綾辻に、藤永はフッと笑った。
 「海藤の様子はどうだ?」
 「相変わらずですよ」
 「あいつも欲が無い奴だからな。本当なら今頃は必死で票集めをしている頃だろうが」
 「あなたも人の事は言えないでしょう」
 藤永が本気を出せば、きっと海藤を脅かす存在になることは間違いが無いだろう。結果的に海藤が勝つとしても、相
応の傷は負ってしまうに違いは無い。
(でも、どうしてこの人が出てきたのか・・・・・)
あれほど出世には興味がないと言っていた藤永の真意が知りたくて、綾辻は直ぐ傍に立つ藤永にストレートに問いただし
てみた。
 「何があるんです?」
 「何?」
 「今回立ったメリットです。結果的にうちの会長が一番優勢なのは違いが無いだろうし、負けると分かっている勝負に
あなたが出るわけが知りたい」
 「そんなの、今話したって面白くないじゃないか」
 「あなたの娯楽ですか、今回の選挙は」
 「さあ・・・・・そうなるのかどうか、まだ分からないな。でも、ユウ、俺は負けると分かった勝負はしたことは無い。勝つ根拠
があるから立ってるんだ」
その言葉に嘘はないと、綾辻は身に沁みて分かっていた。



(何だかみんなの様子が変なんだよなあ・・・・・)
 目に見えて、と、いうわけではない。ただ、少し誰もが緊張しているのを感じる。
 「・・・・・今日はバイトないし・・・・・大人しくしてよ」
いったい何が起こっているのか分からないが、とにかく海藤達の足手まといにはなりたくなかった。
真琴は大学の門を出て、送り迎えをしてくれている海老原と筒井の乗った車を捜す。最近は電話で連絡をしなくても、
真琴の時間割を考えて前もって待ってくれているのだ。
 「電話したほうがいいかな・・・・・」
と・・・・・。
 「西原真琴」
 「・・・・・っ」
(だっ、誰っ?)
 突然、後ろからフルネームで名前を呼ばれ、真琴は反射的に振り向いてしまう。
 「あ・・・・・」
 「元気そうだな」
端正な顔に、ほんの僅かだけ浮かぶ笑み。
 「あ、はい、元気です」
あまりの驚きに呆けたように返事をする真琴を、じっと見つめている端正な顔の男。
どこか愛しい人に似た面影を持つその人は、海藤の異母弟であり、警視庁のキャリアでもある宇佐見貴継(うさみ たか
つぐ)だった。