大力の渦流











 どうしてここにいるんだろう・・・・・そう思っているのが丸分かりの顔で見つめられて、宇佐見は他人には分からない程度
の苦笑を浮かべた。
自分が歓迎されない人間だというのは十分に分かっているが、それでも真琴の目の中に嫌悪の光が無かったことが嬉し
かった。



 警視庁組織犯罪対策部第三課、警視正。若きキャリアの、それが宇佐見の肩書きだった。
暴力団の情報管理、規制、排除が主な仕事の第三課に席を置いている宇佐見は、いわば海藤達とは敵対する立場
の人間で、今裏の世界では日の出の勢いとも言われている海藤率いる開成会をマークしていた。

 しかし、宇佐見と海藤の関係はそれだけではない。
海藤の父親で、元開成会若頭だった海藤貴之(かいどう たかゆき)の愛人だった女の子供・・・・・それが、もう一つの
宇佐見の立場だった。
まだ20歳そこそこの母親は貴之と不倫をし、宇佐見を身篭ったのだ。
まだ腹の中にいた宇佐見にはそれから何があったのかは分からないが、母は今の父と結婚し、その父の子として宇佐見
を産んだ。

 ヤクザの子供の自分を、血の繋がらない子供を、ここまできちんと育ててくれたことには感謝している。
社会人としても、義父(戸籍上は本当の父だが)を尊敬している。
しかし、口さがない周りから自分の出生の秘密を知った宇佐見にとっては、父は育ててくれた人という感覚から抜け出す
ことは出来なかった。

 かといって、実父を恋しいと思ったことも無い。
現に、実父を取り締まる側にいる自分は、そんな感情を割り切っていると思っている。
ただ・・・・・同い年の異母兄、海藤に対しては、なぜか敵愾心を抱いた。
海藤も親の愛情を受けている・・・・・とはとても思えず、環境からすれば自分の方が数段恵まれているとも思う。
しかし、数ケ月とはいえ自分よりも年上だという同じ血を持つ相手に対して、宇佐見はどうしても負の感情しか抱くことが
出来なかった。

 その上、海藤には西原真琴という愛人がいる。
普通の大学生のはずなのに、彼はヤクザである海藤を真摯に想っていた。
・・・・・そう、真琴は男だ。
今まで宇佐見は男相手に愛情も欲情も感じたことが無かったが、彼は・・・・・違った。
見返り無しで真琴の愛情を手に出来る海藤が羨ましくて、やがてそれが真琴に対する愛情へと変わっていったことに、宇
佐見はようやく自分でも気が付いたのだ。



(変わらない・・・・・)
 最後に会ったのは福岡だ。
貴之が撃たれたという情報が入り、自分でも分からないまま駆けつけてしまった病院で、海藤と共に現われた真琴を見
てああやはりと思った。
どんなことがあっても、海藤には真琴がいるのだという事を思い知らされた。
(そして俺も、欲しいと思ったんだ)
他の誰でもなく真琴が欲しいと、自覚したのもその時だった。
 「あ、あの、宇佐見さん」
 「悪いな、大学まで来て」
 「それはいいですけど・・・・・あの、何か?」
 また何かあったのかと不安そうな顔をする真琴に、宇佐見は隠すことなく自分がここにいる理由を話した。
 「近々大東組の選挙がある」
 「大東組?・・・・・って、海藤さんのところの?」
 「母体組織だ。聞いてなかったか?」
 「・・・・・はい」
 「まあ、そうか」
(あいつがゴタゴタを話すような男じゃないしな)
褒めるつもりは無いが、海藤は大事にしている相手を不安にさせるようなことはしないだろう。自分でも、そうする。
一瞬、言わなければ良かったかとも思ったが、これが自分の仕事だった。
 「一般人の協力として、何か知っている事があれば話して欲しい」
大きく目を見開く真琴を、宇佐見は視線を逸らさずに見つめた。



(俺に、何を言えって・・・・・)
 開成会の動きを警察に話して欲しいというのか・・・・・?それではスパイと同じだと思う。
海藤は闇の社会のことはいっさい真琴には話さないし、どうしても話さなければならない時は最小限のことだけを伝えてく
れる。
ただ、自分では気がつかなくても、事務所に出入りしている時に、思い掛けない話を無意識に聞いている可能性はゼロ
ではないだろう。
(それでも、言わない)
 自分が何かを言って海藤が不利な立場になる可能性があるのなら、真琴は絶対に口を開くつもりは無かった。
 「・・・・・何も知りません」
 「本当に?」
 「宇佐見さんは俺が知ってると思うんですか?」
反対に聞き返すと、宇佐見は即答した。
 「思わない」
 「ど・・・・・」
 「あの男が、お前に言うはずがない」
 「・・・・・」
 「ただ、これだけは覚悟をしていて欲しい。お前の存在は裏の社会だけではなく警察関係も掴んでいる。今以上に不
愉快な思いをさせられることがあるかもしれないが・・・・・」
 「・・・・・はい」
 覚悟はしている。
実際にそうなった時、自分がどんな行動を取るのかは本当は分からないが、それでも覚悟だけはしているつもりだ。
真琴にとって海藤が、そして海藤の部下である倉橋や綾辻、そしてその周りにいる人間達が、どんなにいい人だと叫んだ
としても、世間の目はやはり厳しいものなのだろう。
(でも、俺は海藤さん達の味方だ・・・・・絶対!)
 「宇佐見さん、俺は・・・・・」
 真琴がきっと顔を上げて宇佐見にきっぱりと拒絶の言葉を伝えようとした時、2人が立っているすぐ傍の車道に車が急
ブレーキを立てて止まった。
 「あ」
 「ああ、自分で開けられるよ」
 中から下りてきたのは、何時も運転手をしてくれている海老原と筒井ではなく・・・・・。
 「お、伯父さん?」
 「やあ、マコちゃん、相変わらずキュートだねえ」
自ら後部座席のドアを開けて下りてきたのは、海藤の伯父で元開成会会長、菱沼辰雄(ひしぬま たつお)だった。
還暦祝いで海藤と別荘に行って以来、時々メール交換はしていたが(別れ際にアドレスを聞かれたのだ)こうして実際に
会うのは久し振りだった。
いや、こんな風にタイミングよく現われるとは・・・・・。
呆然と立ち尽くしている真琴に、また別の声が掛かった。
 「マコちゃん、こんなとこで浮気してると社長が泣いちゃうわよ」
 「綾辻さんっ?」
(どうして?)
 「御前を迎えに行ったんだけど、どうしても早くマコちゃんに会いたいからって」
 「貴士がいると邪魔されるじゃないか、なあ」
 「あ、え、えっと」
 何て答えていいのか分からない真琴が途惑っているのを目を細めて見つめていた菱沼は、それまで全く視線を向けてい
なかった宇佐見に向かって柔らかく微笑んだ。
 「久し振りだね」
 「・・・・・」
 「最後に会ったのは警視庁に入った頃か・・・・・随分海藤に似てきたな」
皮肉ではなく、ただ本当にそう思ったと言うような素直な菱沼の言葉の響きに、宇佐見は僅かに眉を顰めた後、それでも
静かに目礼をした。