大力の渦流



24







 「真琴さん、どこか気晴らしに出掛けましょうか?社長も少しくらいは・・・・・」
 「いいえ、戻ってもらっていいです」
 少し困ったような顔をする海老原に、真琴は出来るだけ自然に見せるような笑顔を浮かべて言った。
さすがに運転はまだ無理だという事で、最近は付いていなかった壮年の組員筒井(つつい)が運転をしてくれていた。
怪我人であるはずの海老原が助手席に座っているのは、怪我のことを心配しているだろう真琴に、たいした事ではないと
身をもって示す為だろう。
まだ当然抜糸もしておらず、微熱も残っているだろう海老原に付いてもらうのは申し訳ないが、それでも遠慮する方が彼
にとっては苦痛だという事も分かるので、真琴は大丈夫ですかという言葉を出来るだけ言わないようにしていた。
 「真琴さん、社長も無理なさらないようにとおっしゃってましたよ」
 海老原のSOSの視線に応えたのか、筒井が低く穏やかな声で言う。
しかし、真琴は軽く首を横に振って言った。
 「本当にいいんです。バイトが休みだったら特に用は無いし・・・・・」
(本当は大学も休みたいくらいなんだけど・・・・・)

 海老原が撃たれた翌日、真琴は海藤に大学を休むと伝えた。
選挙が終わるまで、大人しくマンションで待っていると言った真琴に、海藤は一瞬痛ましげに目を細めた後、その身体を
優しく抱きしめた。
 「お前が無理をすることは無い。真琴、これは俺の問題だし、それにもうじきに終わる。お前が心配する時間なんか直ぐ
に終わるから」

 海藤が口先だけ誤魔化す男ではないと知っているので、多分それは本当のことなのだろう。
しかし、真琴はその数日も心配でたまらないのだ。
(海藤さんには言えないけど・・・・・)
そう考えると溜め息が洩れそうになるが、真琴は何とか我慢して窓の外の流れる景色をぼんやりと見つめた。



 それから20分もしない内に、今現在の仮住所であるマンションに到着した。
そのまま地下駐車場に車は入ろうとしたが、

 
キッッッツ!

突然、急ブレーキの音と共に車が止まった。
 「!」
 真琴の身体は弾みで運転席のシートにぶつかってしまい、海老原が鋭く声を掛けた。
 「伏せてくださいっ」
 「・・・・・っ」
(な、何が起こったんだ?)
 「な、何が・・・・・」
 「急に車が前方に横付けされました。確認するのでじっとしていてください」
(車?いったい・・・・・)
外の様子が見たくて仕方がないが海老原の注意に従わないといけないと、真琴は言われた通り運転席と後部座席の
シートの間に身体を丸めるようにしてしゃがみ込む。
その時、助手席の海老原の手に、銃らしきものが握られているのが一瞬見えた。
 「・・・・・!」
 まさかまた、誰かが傷付くようなことがあるのだろうか・・・・・真琴は背筋がゾクッとするほどの恐怖と緊張を感じた。
が・・・・・。
 「真琴さん、もう顔を上げて構いませんよ」
それ程時間を置くことなく、筒井が静かに言った。
 「あ、あの・・・・・」
 「対立相手ではありませんでした・・・・・いや、ある意味私達からすれば敵対関係の相手ですが」
 「え?」
 筒井の言葉の意味を理解する前に、コンコンと車の窓をノックする音が聞こえた。
反射的に視線を向けた先には、真琴にとってもある意味特別な存在の人物が立っている。
 「宇佐見さん・・・・・」
立っていたのは、海藤の異母弟であり、警視庁組織犯罪対策部第三課、警視正でもある宇佐見だった。



(どうして宇佐見さんが・・・・・あっ、銃!)
 宇佐見の出現に一瞬呆然としてしまった真琴だが、直ぐにハッと助手席にいる海老原を見た。
警察官である宇佐見の前で拳銃を堂々と持っている姿など見られたら直ぐに捕まってしまう・・・・・そう思った真琴だが、
海老原は隙無くそれをしまったようだ。
ほっと溜め息をついた真琴は、どうしようかと筒井に向かって言った。
 「出た方が・・・・・いいんでしょうね」
 「わざわざこんな場所で待ち伏せしていたくらいですから。社長も、彼があなたに害を及ぼすとは思っておられないようで
すし」
 「・・・・・」
 「私達とは違ってあなたは一般人ですから、警察に進んで協力することはありません。嫌ならばもちろんこのまま無視し
て部屋に戻れますよ」
 「・・・・・」
 筒井の言った通り、ごく普通の大学生という立場の自分に対して警察が表立って何かをすることは出来ないだろう。
ただ、真琴は宇佐見がわざわざこんな場所まで来たことが気になった。
前回会った時、あれほどきっぱりと宇佐見の手を拒絶した。その上で、彼はいったい何の用でここまで来たのだろうか。
 「・・・・・会っていいですか?」
 「真琴さん」
 海老原が心配そうに声を掛けてきた。
 「もちろん、俺1人じゃなくて、お2人も同席してもらいます。それが駄目なら話をするのは諦めますから・・・・・」
 「・・・・・」
 「お願いします」
頭を下げる真琴を見て、海老原が筒井を見る。
その視線につられるように、真琴も筒井を見つめる。
若い2人の視線に、筒井は仕方なさそうに苦笑を零した。
 「あなたのお願いに弱いのは、社長だけではないんですよ」



 マンションの部屋には当然上げることが出来ないので、真琴は近くの喫茶店に場所を移した。
ホテルの部屋という事も一瞬考えたが、案外こういう普通の場所の方が目立たないこともあるはずだ。
真琴と宇佐見、そして筒井が一番奥のボックス席に座るのを見届けた海老原は外に出た。事後報告になってしまうが
海藤に連絡をしに行ったのだろう。
 「・・・・・」
 「用件だけ、言おうか」
 黙っていた真琴に、宇佐見の方から切り出した。
 「放火の犯人が自首してきた」
 「え?」
思い掛けない言葉に思わず顔を上げると、宇佐見の視線とかち合った。真琴はずっと目を伏せていたが、宇佐見はその
間も自分の事を見ていたのだろう。
その意味を考えたくなくて、真琴は微妙に視線を逸らしながら言った。
 「あの、犯人って?」
 「ピザの配達時間が遅かったとか、配達のアルバイトの態度が悪かったとか、たわいの無いことばかり自供している。準
構成員の19歳の男だ」
 「準、構成員?」
 「ヤクザの下っ端。同じ穴の狢だ」
あまりいい響きではない言葉に、真琴は自分の隣に座る筒井を気にして顔を見上げるが、落ち着いた何時もの無表情
の筒井に激昂した様子は無い。
(大人だな、筒井さん・・・・・)
こちらの心配はしなくても良いと思った真琴は、今度は宇佐見を真っ直ぐに見つめた。
 「警察は、どう考えてるんですか?」
 「証拠は揃っている。犯行時の車も押収したし、その時に使ったライターや服もそのままあった。自供も目撃されたことと
矛盾はないし、犯人としては間違いが無いだろうな」
 「・・・・・そうですか・・・・・」
頷きながらも違和感がある。
眉を顰めた真琴に、宇佐見も静かに言葉を続けた。
 「本当に・・・・・へドを吐きそうなほど見事なシナリオだ」
 「宇佐見さん」
どうやら宇佐見もそれが真相だとは思っていないらしく、自首してきた犯人の背後を考えながら思わずといったようにそんな
言葉を吐いたようだった。