大力の渦流



25







 宇佐見の口からそんな言葉を聞くのは辛かった。
仮にも海藤と父親は同じで、その父親も海藤も、ヤクザという立場であるのだ。警察官である宇佐見がそんな2人を受
け入れられないことは分かるが、それでもせめて2人の心配をして欲しいと思うのは自分の我が儘なのだろうか。
 「・・・・・」
 真琴が何も言えずに俯いた時、席を離れていた海老原が携帯を片手に戻ってきた。
 「すみません、真琴さん、社長が代わるようにと」
 「え?」
(な、なんだろ)
宇佐見と一緒にいることを知って、心配したのかもしれない。
こんな忙しい時に申し訳ないと思う反面、声が聞けると安心するということもあって、真琴は素直に携帯を受け取った。
 「あ、あの」
 一言宇佐見に断わろうと顔を上げると、宇佐見は顎を引いて椅子に座りなおす。
それが無言の肯定だと思った真琴は、小さな声で電話に出た。
 「俺です」
 『大丈夫か?』
 穏やかな優しい声。
真琴はほっと溜め息を付きながら頷いた。
 「はい」
 『お前には関わらないようにと言っている筈なんだがな・・・・・誰に似たのか、頑固な男だ』
 「海藤さん」
 『悪い、代わってもらえるか』
海藤の言葉に、真琴はちらっと視線を向ける。
予想していたのか、宇佐見は無言のまま携帯を受け取ると、椅子から立ち上がって外に向かった。
 「宇佐見さんっ」
 「外で話してくる」
電話越しなので直接手が出てしまう喧嘩はしないと思ったが、それでも何を言い合うのか気になって仕方が無い。
 「・・・・・」
後を追おうかと立ち上がり掛けた真琴の肩を、筒井が軽く押し留めた。
 「ここでお待ちになられた方がいいですよ」
 「でも・・・・・」
 「どちらも大人ですから大丈夫でしょう」
静かに諭されればそれでもという気にはならず、真琴はガラス越しに見える宇佐見の姿を目で追った。



 海老原の連絡は予想していたものでもあった。
檜山をあれだけ脅せば、彼が保身の為に面倒なものは全て切り捨ててしまうと思ったからだ。
それは予想以上に早く、放火犯が自首したことは既に海藤の耳にも届いていた。
 『お前達のやり方は相変わらず汚い』
 電話に出るなり、宇佐見は辛辣に言った。
しかし、こういう言葉が出るのならば、側に真琴はいないということだろう。
そう見当をつけた海藤も、遠慮はせずにきっぱりと言い切った。
 「警察の無能をこちらに被せるのはやめてもらおうか。あれほど証拠を残していった犯人を特定するのに何日掛かる気
だ?」
 『・・・・・どうせ、あの男も身代わりみたいなもんだろう。お前達は簡単に事実を捻じ曲げるからな』
 「事実だけでいえば、あいつは犯人だ。だが、実行犯であって発案者ではないがな」
 海藤自身、出来ることなら檜山を失脚させて、二度とその顔を見ないようにしてしまいたいくらいだったが、多分海藤が
手を下さなくても今後檜山は同じ様な企みを企て、必ず失敗するだろう。
自ら墓穴を掘るだろう男に、わざわざ自分が引導を渡してやることもないと思った。
 『お前達は何時もそうだ。どんなに血を流し、非道な行いをしようとも、結局は自分達の利害で手打ちにする』
 「そんな人間ばかりじゃない」
 『・・・・・どうして、お前なんかがいいんだろう』
 「・・・・・」
 『俺だったら・・・・・』
 その後を、宇佐見が言うことは無かった。
海藤も、その後を訊ねるつもりは無い。
どんな仮の話をしても、海藤が真琴を手放すことなど有りえないのだ。



 「選挙は明日だったな。多分、もうお前が危険な目に遭うことはないだろうが・・・・・」

 そう言った後の、まだ何か言いたげな宇佐見の顔が忘れられなかった。
海藤との通話が終わると、お茶を飲むこともなく店から出た。さよならという言葉を言うのも変だし、またと言うのもおかしい
だろうと思い、真琴はただ頭を下げた。
宇佐見が自分のことを心配してくれているのは十分分かるものの、その思いに応えることが出来ない自分が甘えることは
違う気がするのだ。
 「真琴さん」
 マンションのエレベーターに一緒に乗り込んだ筒井は、先程からずっと黙り込んでいる真琴に静かに話し掛けた。
 「あなたが悩むことはないと思いますよ」
 「でも・・・・・」
 「社長のことだけを想っていて下さい」
 「・・・・・はい」
(それは、分かっているけど・・・・・)
別れ際の宇佐見の目を、簡単に忘れることは出来ないと思った。



 海藤が帰ってきたのは、そろそろ日付が変わろうとしている時間だった。
リビングのソファに座っていた真琴は玄関から聞こえた物音に反射的に立ち上がると、室内履きも履かないままで玄関ま
で迎えに出た。
 「お帰りなさい」
 「起きてたのか?」
 「朝、顔を見なかったから・・・・・」
 忙しい海藤に寂しいなどとは言っていられず、何時も出来るだけ笑顔を向けるようにはしていたが、日々大きくなる不
安を打ち消す為にもせめて1日1回、ちゃんと顔を合わせて言葉を交わしたいと思っていた。
そんな真琴の思いを分かっているのか、海藤は口元に僅かに笑みを浮かべてそのままキスをしてくれた。
 「俺も、今日中にお前の顔を見れて良かった」
 「・・・・・うん」
 2人共、今日のことは何も言わなかった。
海藤は宇佐見のことを、そして真琴はもう日がない選挙の事を。
お互い一番知りたいことを意識して避け、ただお互いの無事を確認した。
 「夕飯は?」
 「食べた」
 「本当に?忙しくて食べてないってことないですよね?」
 「ああ、大丈夫だ。今度の週末は一緒に何か作るか?最近俺もお前にゆっくりと料理も作ってやれてないし」
 「・・・・・週末?」
 「もうゆっくり出来る」
 言外に、もう一連の問題は数日で解決すると言っている海藤に、真琴も直ぐに頷いた。
 「倉橋さんや、綾辻さんも呼んでいいですよね?」
 「あいつらにも頑張ってもらったからな。賑やかにしようか」
真琴の肩を抱いて、顔を覗きこむようにして笑っている海藤の目には、疲れや躊躇いは欠片も見えない。
真琴はホッとして、思わずその腰に抱きついた。
 「真琴?」
 「早く・・・・・ゆっくり出来たらいいですね」
 「・・・・・ああ」
 「もう直ぐ、ですよね?」
 「心配掛けるな」
 もう、どれくらい抱き合っていないだろうか・・・・・。
朝早くから夜遅くまで帰ってこない海藤をただ心配して待っているだけしか出来なかった自分。
触れ合うのもせいぜいがキスだけで、後は寄り添って眠るだけだったが・・・・・それさえも、実感がわかないほどに短い時間
だった気がした。
体を重ねることだけが愛情を確かめる手段でないと分かっているが、こんなに傍にいるはずなのに触れ合うことが出来ない
のはとても寂しい。
(もう少しなんだ・・・・・)
 海藤は嘘を言わない。
彼がもうゆっくりと出来ると言うのならば、もう問題解決は目前なのだろう。
(誰も怪我なんかしないように・・・・・)
誰かが傷付くのはもう嫌だ。
さらに強く海藤にしがみ付くと、海藤はそんな真琴の不安を払拭させるように抱きしめる手に力を込めた。