大力の渦流



26







 「お時間です」
 「・・・・・」
 控室になっていた客間のドアがノックされ、外から静かに声が掛かった。
海藤は咥えていたタバコを近くの灰皿で揉み消すと、そのままゆっくりと立ち上がった。

 いよいよ選挙当日。
海藤は再び千葉県の大東組本家にいた。
この2週間、表向き選挙とは直接関わりがないものの、海藤の身近では・・・・・愛する者、真琴の周りでは様々な出来
事があった。
それらは一応解決はしたものの、真琴の心には今だ傷が残っている。
 自分がこんな選挙に出たことで、真琴にとって不本意なことばかり起きたのには後悔してもしきれないが、今回こんな場
面を経験しておいて良かったのかもしれないとも思っていた。
まだ若輩ともいえる今の自分でさえあれほどの妨害を受けたのだ。この先もっと力をつければ、それだけ煙たく思う人間も
増えてくるだろう。その対処の仕方を、今回学んだような気がした。

 屋敷に来た時、既に木佐貫は来ていた。
しかし、檜山のことはいっさい口にしていない。それが、彼が本当に何も知らないのか、それとも知らない振りをしているの
かは分からなかったが、今の海藤にとってはどちらでも構わなかった。

 その後に到着した藤永は、口元に笑みを浮かべながら海藤の傍に歩み寄ってきた。
 「今回は色々楽しませてもらった」
 「藤永会長」
真意の読めないその笑みに、海藤は言葉を選ぶように言った。
 「あれがあなたに何と言ったかは分かりませんが、私は手放すつもりはありませんよ」
 「ふっ・・・・・親子で似たようなことを言う」
この場面での親とは当然海藤のことで、子とは・・・・・盃を交わした者のことに間違いはないだろう。
揺ぎ無い意思を込めた目で藤永を見つめていると、藤永は更に笑みを深くした。
 「お前が最終的に何をしようとしているのかは分からんが、俺は異を唱えるつもりはないから安心しろ」
彼の上機嫌の理由が何なのか、海藤は薄々だが気付いている。
しかし、それを口にすれば、動いた人間の思いを踏みにじってしまうような気がして、海藤は無言のまま深く頭を下げるだ
けだった。



 「貴士」
 控室から外に出ると、意外なことにそこには本宮が立っていた。
総本部長で、大東組の実質No.3の彼がわざわざ足を運んで来たのだ、海藤は何かあったのではと思って思わず訊ね
てしまった。
 「何かありましたか」
 「・・・・・悪かったな」
 しかし、本宮の口から出たのは意外な言葉だった。
 「俺としては、お前のような力がある奴に早く上に来て貰いたかったんだが・・・・・お前にとっては災難だったかもしれない
な」
 「・・・・・」
(どこまで・・・・・?)
本宮がどこまで知っているのかが気になったが、こんな場所で軽々しく話す話題でもない。
確かに本宮の指名から今回の色々な出来事が起きてしまったが、それらが全て彼のせいだというわけではなく、いずれは
経験しなければならなかった問題として受け止めるようにしていた。
 「本宮さんの顔を潰さないようにしますよ」
 「貴士」
 「色々勉強になりました」
そう言って頭を下げると、本宮は一瞬複雑な表情になったが・・・・・やがて何時もの豪快な笑い声を上げた。
 「全く・・・・・お前を俺の息子にしたかったよ」



 広い広間2つを続けて作った大きな会場。
その一番上座に今の関東随一、そして日本でも有数の広域指定暴力団、大東組の最高権力者、7代目現組長の
永友が座った。
 「二週間、ご苦労だったな」
 組長直々の労いの言葉に、面前に座った3人の候補はいっせいに頭を下げた。
今日も木佐貫は1人紋付袴姿、藤永は萌黄色のスーツを嫌味無く着こなしていて、海藤は紫紺のスーツを身にまとっ
ていた。
 立会人は、組長、若頭以下、理事5人と、それぞれの地区代表、そして見届け人役の組長が3人、そして今回の選
挙を取り仕切った人間5人の、総勢25名ほどが左右に分かれて並び、3人の候補の言動をじっと見つめていた。
 「さっそくだが、結果を」
 永友の言葉に、1人の男が懐から仰々しく紙を取りだした。それに全ての結果が書かれているのだと、一同の視線はそ
こに集中する。
 「それでは、結果を申し上げます。総数100、内、開成会、海藤貴士66票、清竜会、藤永清巳19票、竹島会、
木佐貫庸一15票、棄権無し!」



 おおという低いどよめきを聞きながら、海藤はチラッと理事の席に座る檜山の顔を見た。
あの時、あれほどに動揺を見せた男も、自分が権力を持つこの場では堂々と胸を張って座っている。
(狸が・・・・・)
多分、今の今まで何時海藤の口から自分の不正が暴露されるかと怯えていただろうが、結果的に海藤の圧勝ということ
であのまま不問にふされたと思ったのだろう。
海藤の視線を感じて浮かべた笑みも、ふてぶてしいものだった。
 「これにより、開成会、海藤貴士を、新理事に迎えるものとする!」
 いっせいに拍手が起こった。
血筋、そして実力共に、海藤が新理事になることを誰もが認めた瞬間だった。
・・・・たった1人を除いては。
 「申し上げます」
 いきなり、海藤は膝を進めて永友の前に進み出た。
 「どうした、海藤」
 「今の選挙結果について、申し上げたいことがあります」
 「・・・・・何だ、言ってみろ」
成り行き次第では、海藤の立場はおろか推薦してくれた本宮まで火の粉が飛んでしまうかもしれない。
海藤は覚悟を決めて慎重に口を開いた。
 「私の票66のうち、50票は委任状と共に票を受ける形になっています」
 一応、この場では誰が誰に票を入れたというのは今後の軋轢を防ぐ為に公表されないが、海藤は組長、若頭、そして
理事4人の合計16票を集めており、残りは元々海藤を支持する者達や、海藤達自らが動いて取ってきた票だった。
自分の得票を聞いた時、海藤は直ぐにその票の意味を悟った。
まさか組長と若頭まで自分に入れていたとは思わなかったが、かえってその方が話が進めやすいかもしれない。
 「私に一任された票ですから、私が票を投じた方に入れるのが本当ではないかと」
 「・・・・・お前は自分に入れてないのか?」
 「はい」
 ザワッと空気が動いた。
これは、前代未聞の物言いだ。
元々、こういった選挙に出た場合、自分が持っている一票は自分の票としてあらかじめ数えるのが普通だろう。
それが、自分ではない相手に投じているとはどういう了見なのだと思われても不思議ではなかった。
 「海藤、どういうことだ」
 案の定説明を求めてきた永友を、海藤は真っ直ぐに見つめた。
 「本宮総本部長の推挙は大変光栄に感じています。しかしながら、まだ若輩者の私には、その責務を負うのはまだ早
いようにも思いました。ならば、私と同じ様な考えを持っている方々の票を取りまとめ、私が代表して票を投じてもいいの
ではないかと・・・・・これは選挙の規約には触れないと思いますが」
 反対意見は出ないはずだった。
海藤は何度も選挙規約を見直し、念密に計画を立てたのだ。
 「・・・・・お前に票を投じた者が納得すると思うか?」
 「私の考えに賛同してくださる方ばかりだと信じています。今回の理事選も、大東組を支えるという共通目的の為。私
は、皆さんの考えが私の考えとそれほど違っているとは思いません」
 票を投じた者の名前は非公表とされている為、組長である永友も声を大きくしてそれは違うとは言いにくだろう。
海藤の考え通り、永友はしばらく黙って海藤の顔を見つめていたが、やがてはあ〜と大きな溜め息を付いて言った。
 「それで、お前が推すのは誰だ?」
 「はい、私は木佐貫会長を推します」
 「・・・・・木佐貫を?」
 それまで唖然として事の成り行きを見ていた木佐貫は、いきなり自分の名前を出されてギョッとしたように海藤の横顔を
見る。
その視線にも全く動揺せず、海藤は静かに言葉を続けた。
 「自分から選挙に立つ気概と、古きものを大切に考える心、何より大東組に執着する強い思いは、ここにいる3人の中
で一番強い方です。理事には、木佐貫会長が一番相応しい」
隣で、藤永が笑う気配がした。