大力の渦流



28







 直ぐに真琴の元に帰ろうと思った海藤だったが、もろもろの手続きがあって直ぐには帰宅することが出来なかった。
仮住まいのマンションに帰ったのがそろそろ午後九時を回ろうとしていた時間で、まだ寝ている時間ではないとは思ったが
海藤は自分で鍵を開けて中に入った。
 「・・・・・っ」
 その瞬間、海藤の視界に入ったのは、玄関のフローリングの上に座り込んでいる真琴の姿だった。
 「真琴っ?」
 「・・・・・あ」
体育座りをしていた真琴は、その膝を枕にしてうたた寝をしていたらしいが、海藤が肩を掴んで揺するとぼんやりと目を開
いた。
 「あ・・・・・」
 「こんな所で寝たら風邪を引・・・・・」
 「!」
 最後まで言う前に、海藤は真琴に飛びつかれた。
片膝を着いている体勢で辛うじて後ろに倒れはしなかったが、真琴の勢いはかなり強く、首にしっかりとしがみつく手の力
も容易には外せないくらいだった。
 「真琴」
 「・・・・・かった」
 「・・・・・」
 「ちゃんと、帰ってきてくれて・・・・・良かった・・・・・っ!」
 「真琴・・・・・」
 組長との会見が終わった直後、海藤は真琴に電話をした。

 「全て終わった」

ただ、時間が無くて細かな説明は出来ず、その後は手続きがずっと続いて電話を掛けることが出来なかった。
こちらに戻ってくる道中で電話をしようとも思ったが、直接顔を見て話す方がいいと思ったので結局電話をしなかった。
それが、かえって真琴の不安をかき立ててしまったのかもしれない。
いくら全てが終わったと言っても、顔を見ないと不安で仕方が無かったのだろう。海藤は連絡を取らなかった自分の行動
を後悔した。
 「真琴、真琴、悪かった」
 「・・・・・っ」
 「顔を、見せてくれ」
 きちんと顔を見ようと肩に手を置くが、真琴はますます離れまいと強く海藤にしがみ付く。
 「まこ・・・・・」
 「やだ!」
心配のあまりのこの行動が悲しくて、嬉しい。海藤はそのまま真琴の背中に腕を回すと自分からも強く抱きしめた。
2人はそのまましばらく、玄関先にいた。



 「全て終わった」

 その電話をもらったのは昼を過ぎた頃だった。
海藤からの直接の言葉にホッとしたが、それ以降の連絡が無くて不安がぶり返してしまった。
夕方、倉橋がもう少し時間が掛かるという連絡をくれたが、その電話の向こうに海藤の気配は感じられず、真琴はもしか
して自分を安心させる為に海藤が嘘をついたのではないかとさえ思い始めた。
海藤は口数が少ないものの、嘘はつかない。
それが分かっているはずなのに、それさえも疑ってしまうほど不安で仕方が無かった。
だから、ずっと玄関先で海藤が帰ってくるのを待っていて・・・・・いつの間にか眠ってしまった。
そして、目が覚めた時、面前に海藤がいることを知って、思わず抱きついてしまったのだ。
 「・・・・・」
(俺、何子供みたいなことしちゃったんだろ・・・・・っ)
 まるで迷子の子供が、親が迎えに来てくれて嬉しがっているような・・・・・そう思うと恥ずかしくて、真琴はダイニングテーブ
ルのイスに座って顔を伏せたまま上げることが出来なかった。
 「悪いな、簡単なものしか作れなかった」
朝食も昼食も、夕飯さえも食べていなかった(食べるのを忘れていた)真琴に、海藤は素早く作り置きのリゾットを用意し
てくれた。
空腹過ぎてあまりお腹が空いたとは思わなかったが、胃に優しいこの食べ物はすんなりと口に入る。
 「・・・・・」
 「・・・・・」
 チビチビとスプーンを運ぶ真琴を、向かいのイスに座ってじっと見つめていた海藤は、やがて静かに口を開いた。
 「今回のことではお前に迷惑を掛けた」
 「そ、そんなこと」
 「全て俺のせいだった・・・・・すまなかった」
頭を下げてそう言う海藤に、真琴は慌てて首を横に振った。
 「そ、そんなの、全然、俺気にしていないですから!」
 「・・・・・」
 「・・・・・それは、ちょっとは心配だったけど・・・・・でも、海藤さんが大丈夫だって言ってくれるたびに、本当に大丈夫なん
だって思えたし・・・・・それに、海藤さんの問題は、俺にとっても無関係じゃないし」
 「真琴」
 「俺には海藤さんの仕事の事は分からないけど、それでも、一緒にいるんだから・・・・・2人の問題だって思ってます」
 「・・・・・そうか」
真琴は俯いたままだったが、海藤が笑う気配はちゃんと感じた。



 それから、海藤は淡々とした口調で今回の顛末を話してくれた。
結局真琴のバイト先を放火した相手や海老原を撃った相手は同一人物の意向で、彼は海藤をどうしても大東組の理
事にしたくなかったらしい。
 「そもそも、俺も理事になりたいとは思っていなかったがな」
 「・・・・・本当に?」
今の海藤の地位でもかなり高く、それなりの権力があることは(具体的には良く分からないが)感じている。
それより更に上の立場になれるはずだったのだ、本当に海藤にその気は無かったのだろうか?
真琴のそんな疑問に、海藤は慣れた手付きでミネラルウォーターをグラスに注いでくれながら、苦笑交じりに正直に答えて
くれた。
 「少なくとも、今の俺には無いな」
 「じゃ、じゃあ、もしかして将来は分からないって・・・・・」
 「その気になれば、必ずお前に相談する。2人の問題だろう?」
 「・・・・・はい」
自分の言葉をちゃんとくんでくれる海藤に、真琴は顔を赤くしながらも頷いた。
 「とにかく、これで今現在の問題は解決した。お前にとっては面白くない解決方法かもしれないが・・・・・」
 「ううん」
 「真琴」
 「もう、誰も怪我をすること無いんですから。俺は、それでいいです」
 怖い思いはした。
人前で、泣くこともあった。
しかし、これでもう終わりなら、それでいいのではないかと思っている。海藤が無事で、倉橋や綾辻が無事で、他の組員
達も無事なら・・・・・多くを望むのは贅沢な気がした。
 「本当に、良かった」
 「ああ」
 こんな風に2人でゆっくり過ごすのは久し振りだ。
真琴はチラッと顔を上げて・・・・・海藤と目を合わせた。
 「・・・・・」
会話が無くても、穏やかなこの空気が心地良い。
そう思っている自分と同じように、海藤もそう思ってくれているだろう。
 「・・・・・あ」
 気がつかないうちにぼんやりとしていたのか、真琴は唇の端をスープで汚してしまった。
慌てて指先で拭こうとすると、そっと伸びてきた海藤がその手を掴んで止めてしまう。
 「海藤さん?」
途惑う真琴を置いて身を乗り出した海藤は、そのままペロッと唇の端についてしまったスープを舌で舐めとった。
その瞬間、真琴の頬はカッと熱くなる。
 「か・・・・・っ」
 「黙れ」
命令の言葉なのに、その口調は酷く甘い。
甘い空気に恥ずかしくなった真琴が海藤の顔を見ていられなくてギュッと目を閉じると、時間を置くことなく優しい口付け
が唇の上に落ちてきた。