大力の渦流











 「マコちゃんに何の用かな?この子は普通の大学生で、警視庁のキャリアに目を付けられるようなことはないと思うんだ
が・・・・・」
 以前会った時と変わらないのんびりとした口調に、真琴は自分でも気付かない内に緊張していた肩をそっと落とした。
特にすごまれていたわけでもないのだが、やはり警察相手だと緊張してしまうのか。
(・・・・・宇佐見さんだから・・・・・?)
 福岡で会った時の、別れ際の宇佐見の言葉を忘れてはいない。

 「悪いが、簡単には逃がさないぞ、真琴。ほんの僅かなチャンスでも、俺は逃すつもりはない」

自惚れるわけではないが、どうやら宇佐見は自分に対して何らかの感情を抱いているらしいと思う。
それが真琴自身に対しての率直な思いなのか、それとも義母兄の海藤に絡んでの思いなのか、はっきり言ってよくは分
からない。
ただ、真琴にすればどんな思いも受け入れることは出来なかった。
 「・・・・・菱沼さん、今回の大東組の選挙に海藤が立ちましたね」
 「・・・・・」
 「勢力図の塗り替えが近々行われるようですが・・・・・」
 「さあ。私は隠居してる身だからね。今の組織がどうなっているのか分からないなあ」
 菱沼からすれば、宇佐見は自分の妹の夫を寝取った女の子供。海藤と同じ貴之の子供であっても、菱沼からすれ
ば全くの赤の他人だ。
だからなのか、何時もと変わらない飄々とした口調であっても、どこか突き放したような響きがあるのは仕方ないのかもし
れない。
(仲、悪いのかな)
いや、そもそもそれ程親しくも無いだろう。
 「・・・・・失礼しました」
 「あんまりマコちゃんにちょっかいを掛けないでくれよ?この子は貴士の大切な子なんだから」
 「お、伯父さん!」
 「それは、約束出来かねます。彼に関しては、私の個人的な感情もありますから。でも、今日はこれで・・・・またな」
宇佐見は菱沼に会釈し、真琴に向かって小さく笑みを見せると、そのまま路上駐車していたらしい車に乗り込んだ。



 「人気者も困りものねえ、マコちゃん」
 「そんなんじゃないですよ」
 そのまま綾辻が運転する車に乗せられた真琴は、今日の迎えを綾辻自らが買って出たという事を聞いた。
 「もう少し早かったら彼とかち合わなかったのかもしれないけど・・・・・御前が途中で甘いものが食べたいなんて我儘言
うから」
 「あれはあそこのSAにしかないんだよ」
 「この間お土産に持って行ったばかりでしょう?」
 「涼子さんに全部食べられたんだ」
 「また何か悪さしたんでしょ」
 「・・・・・まあいいじゃないか。何とか間に合ったようだし、なあ、マコちゃん」
 「あ、はい」
こうして傍から聞いていると、菱沼と綾辻はかなり打ち解けて気安い関係のように思えた。
(綾辻さんがあんなふうに言っても怒んないし)
海藤と菱沼よりも、どちらかというと綾辻の方が身内のような感じだが、そんな仲にもどこか一本線を引いた主従関係が
見え隠れしている。
複雑だなと真琴は思った。
 「あ、あの、今からどこに?」
 「久し振りの東京だからな。貴士に美味い物でもねだろうと思ってね」
 「あ、じゃあ俺は・・・・・」
 「もちろんマコちゃんも一緒。華がないとつまらないよ」
 「は、華ですか?」
 「倉橋も呼ぶからね、ユウ」
 「トーゼンでしょう」
綾辻は前を向いたまま笑って言った。



 ようやく最後の電話を終えた海藤はそのまま立ち上がった。
 「・・・・・」
 「社長」
 「お前も来い、御前のご指名だ」
 「はい」
海藤にとって母親の兄である菱沼だが、意識としては前開成会会長という思いの方が強かった。
昔から可愛がられはしたが、いずれこの世界でトップを行くようにと育てられた海藤に、菱沼はただ甘いだけの伯父では
なかったのだ。
自分とは違い社交的で、誰からも信頼されていた伯父。その跡を継ぐのはそれなりの覚悟が必要だった。
(甘い人ではないからな・・・・・)
 「・・・・・御前は、今回は何を?」
 「選挙の陣中見舞いらしい」
 「でも、真琴さんは」
 「真琴には何も話していないと言ってある。あの人も、真琴の事は気に入ってくれているから、多分・・・・・ヘタなことは
言わないだろうが」
 今回の理事選のことは菱沼の耳にも入っているらしい。本宮は海藤を推薦すると決めた時、菱沼にも断りの連絡を
入れたらしいのだ。
その時の菱沼の答えは、

 「貴士の器量は私が決めることじゃない」

そう言ったらしい。
今回の事が菱沼の口から出たわけではないということに(多分違うだろうとは思ったが)、海藤はなぜか安堵した。



 そのままエレベーターで1階まで下りて外に出ようとした海藤と倉橋だったが。
 「あ、社長!」
慌てたように立ち上がった受付の姿と、その前にいた人物に視線を向けて海藤は眉を顰めた。
 「ああ、海藤会長!お会い出来て良かった!」
 「・・・・・大家会長」
 そこに立っていたのは、大栄会(だいえいかい)会長、大家勝(おおや まさる)だった。
開成会の下、三次団体に属するその会派は、どちらかといえば今まで清竜会の側についていたはずだった。
少し大きな金になるシマ(縄張り)を持っている上、若く、あまり愛想も良くない海藤を煙たく見ていて、会合などで顔
を合わすことがあってもあまり話もしなかった。
 そんな大家が何の為に敵陣営の本拠地でもあるこの事務所に来たのか・・・・・いや、大家の後ろに立つものを見れ
ば嫌でも意味が分かり、海藤はその端正な顔に皮肉気な笑みを浮かべた。
 「・・・・・どうされたんですか、わざわざ選挙の最中に」
 「いや、丁度この辺りの知人に用がありましてね、海藤会長がいらっしゃれば挨拶をさせてもらおうかと」
 海藤より20歳近く年上の大家は、痩せぎすの顔に狡猾な笑みを浮かべて言う。
 「それで、丁度娘も、噂の海藤会長にお会いしたいとだだをこねて」
 「やだわ、パパッ」
 「娘の理佳(りか)です」
 「大家理佳です、初めまして」
さすがにヤクザの娘である理佳は海藤の冷ややかな眼差しにも屈することなくにこやかに笑みを浮かべた。
いや、噂以上に容姿端麗な有望株の男に、意識的か無意識にか眼差しに媚を込めている。
 「どうです、今から夕食でも」
 「・・・・・」
(馬鹿らしい)
 多分、大家はここに来る前に、同じように娘を連れて清竜会の藤永のもとを訪れているはずだ。
その藤永に相手にされず、こうして返す刀で海藤のもとを訪れたのだろう。
どっちつかずの腰の軽さを醜いと思いこそすれ、簡単に頷くほど海藤も馬鹿ではない。第一真琴が待っているのだ、どち
らが優先か考えるまでもなかった。