大力の渦流
6
「真琴を先に送ってくれ。俺は御前をホテルまで送ってから帰る」
「はい。真琴さん、行きましょうか」
食事が終わると、海藤は倉橋にそう言った。
これから先のきな臭い話を真琴に聞かせたくないからだが、その気配は真琴も感じ取っているのか、少し表情を硬くしたま
ま海藤を見つめて言った。
「待ってますから」
「真琴」
「ちゃんと話を聞く為に、待ってます」
「・・・・・分かった」
出来ることなら真琴には聞かせたくない話だが、無関係というわけにはいかない真琴にはきちんと事情を説明して分かっ
てもらわなければならないこともある。
どこまでその覚悟が出来ているのかは海藤にも計り知れないが、真琴の受け入れようとする気持ちだけでも嬉しいと思っ
た。
「・・・・・」
海藤は真琴の髪を軽く撫でると、傍に立つ倉橋にもう一度念を押すように言う。
「倉橋、頼むぞ」
「はい」
ここで別れてしまう菱沼も、真琴の肩を軽く叩く。
「マコちゃん、またな」
「もう明日帰られるんですよね。お見送り出来たらいいんだけど・・・・・」
「気持ちだけで十分だよ。涼子さんも会いたがってたから、今度またうちに遊びにおいで」
「はい」
始終変わらなかった菱沼の穏やかな笑みに促されるように、真琴もようやく笑みを浮かべて頷いた。
車が走り出した途端溜め息をついた真琴に、倉橋は静かに声を掛けた。
「お疲れですか?」
「い、いえ、俺は全然」
(周りの・・・・・倉橋さん達の方が大変だろうし)
何か変だなという漠然とした思いが決定的なものになったのは、マンションを移ると言われた時だった。
確かに特殊な肩書きを持っている海藤には今までも大小様々な問題があっただろうが、今回は今までの比にならないほ
どに大きな出来事があるのだろう。
それが何なのか、夕方突然現われた宇佐見の言葉で少し分かった気がした。
(大東組の選挙があるって言ってた。わざわざ俺に言うってことは、それに海藤さんが関係あるって事だよな)
「・・・・・倉橋さん」
「はい」
「俺・・・・・傍にいてもいいんですか?」
「真琴さん?」
「俺が傍にいることで、海藤さんが困るなんて嫌だし、離れていた方が安心だって言うなら・・・・・」
「あなたはそれでもいいんですか?」
倉橋は頷くことも止めることもせずに、ただ静かに真琴に言った。
「よくは、ないです。でも・・・・・」
海藤が何も話してくれなかったのは、自分の事を思ってくれているからだとは分かる。
真琴自身、海藤がいる世界のことを深くまで知るのは怖い。
ただ・・・・・それでも、何でも言ってもらいたいと思うのは我儘なのだろうか。
「大切に思うあまり、言えないという事もありますから」
「倉橋さん」
「でも、今夜社長は真琴さんに全てを話されるおつもりです。あなたがどう反応するか、怖いのは社長の方かも知れま
せんが」
「・・・・・怖い?」
「あなたに嫌われる事が、です」
「そ、そんなの、俺、絶対に嫌いになんかなりません!」
「それは、社長に直接おっしゃってください」
真琴の言葉に、倉橋は口元に僅かな笑みを浮かべた。
真琴と倉橋が乗った車が走り出すのを見送ってから、海藤と菱沼は綾辻の運転する車に乗り込んだ。
今日は都内のホテルに泊まって明日は帰る予定の菱沼は、今夜のうちにもっと海藤の話を聞いておきたいと言ったのだ。
海藤も自分の本意を菱沼に伝えておく方が後々いいだろうと思たのか、その提案に素直に頷いて一緒の車に乗り込む
ことになった。
「・・・・・年々酷くなるな」
車が走り出して直ぐ、菱沼はにこやかだった顔を顰めて言った。
「それほど権力は無いはずなんだが」
「肩書きが大事な人間はどこにでもいますよ」
「・・・・・悪かったな。本宮の気持ちも分かるが、お前の為には止めさせた方が良かった」
「・・・・・」
前開成会会長と、現会長。ただ、2人の関係はそれだけではなく、伯父と甥という真実血の繋がりがあるだけに、菱沼と
しても自分の育てた会派が大きくなっていく喜びとは別に、同時に負担も想像以上に増大していく海藤の心中も心配し
ていた。
旧知の仲の本宮が海藤のことを高く買っていることを知っていた菱沼だったが、まだ30代前半の若さの海藤を本家の
理事に推薦するとは本気では思っていなかった。
幾ら実力主義に変化してきたとはいえ、今だ年功序列の色合いも残っているのだ、若過ぎることがいいことではないだろ
うと。
だが、実際に海藤は名前をあげられ、正式な手続きを経て選挙に出馬することになった。
今は隠居の身で表立っての力が無いが、それでも出来る限りは応援してやろう・・・・・そう思った菱沼はわざわざ東京に
まで出てきたのだが、想像していた以上に海藤は落ち着いていて、とても選挙中だとは思えなかった。
「・・・・・何考えてるんだ?」
「・・・・・御前にはご迷惑は掛けません」
「迷惑とは思ってないぞ?可愛い甥の為だ、出来ることはしてやろう」
何でもと言わないところが伯父らしいと、海藤は目を細めて笑む。
そんな海藤の心境を代弁するように、綾辻が笑いを堪えたように言った。
「御前、そこは『俺に何でも任せろ』って言うところじゃないんですか?」
「私にも出来ないことがあるからな」
「まあ、それはそうですけど」
「お前も、人の上げ足とって喜んでいる場合じゃないだろう?藤永のこと、あいつは私も苦手だからな、何もしてやらない
ぞ」
「え〜、冷たいじゃないですか〜」
軽い口調で言っているが、藤永とは浅からぬ繋がりがある綾辻は今回は動きにくいだろう。
卑怯な手段をとる相手ではないが、狙ったものは必ず手に入れる執拗さはある。
「綾辻、外へ行ってくるか?」
選挙が終わるまで、国内にはいない方がいいかもしれないと思っての言葉だが、綾辻は苦笑を浮かべたままいいえとそ
の申し出を断った。
「私が逃げると、違うところに迷惑掛けそうですから」
「・・・・・」
「ご心配、ありがとうございます」
「なんだ、ユウ。貴士と話す時と私の時じゃ全然違うな」
「仕方がありませんよ。今の私のボスは海藤会長なんですもの」
「冷たいなあ」
少し空気が柔らかくなったのを感じて、海藤は窓の外に視線をやった。
「待ってますから」
言葉通り、きっと真琴は海藤の帰りを緊張しながら待っていることだろう。
海藤自身も、今夜真琴に全てを話して、その上で傍にいて欲しいと頼むつもりだ。
どんな危険なことがあったとしても、真琴が泣くようなことがあったとしても、自分のエゴかもしれないが・・・・・海藤は真琴
を一時でも離したくはなかった。
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